日記

直近7日分。

  • 4月26日(金)

     5時半に一度起きる。このまま活動してもいいなと思いつつ、そこまで眠くはないけど、今日は本番が控えているから、体力をとっておこうと、少しまどろむ。再び目覚ましで7時に起きる。家計簿をつける。こういうことも気にしつつやる。食器を洗う。洗いやすい気がする。洗剤が強いのか。食洗機を使う習慣があるから、食器に傷が少ないからか。前日にタイ(ディアボリスト)に言っておいたけど、8時から洗濯機を回す。彼は洗濯機の隣の部屋で寝ているのだ。

      海外に来るといつもそうだけど、日本のものと勝手が違うので、本当にこれで洗えるのかどうか、少し不安になる。でも、ちゃんと洗濯できた。空は曇っている。乾くのに時間がかかりそうだ。

     朝一番でヴァータックスのワークショップをする。ディアボリストのタイと一緒。一応事前に話して、基礎的なことをやろう、という話になっていたから、それをやる。まともにヴァータックスができる人は、少ない。だから半分は、アクセラレーションのやり方、みたいになる。でも、みんな楽しそうでいい。学ぶ気は満々で来ていて、その上で気負いなくやってる感じ。

     一旦家に帰って、昂汰くんを呼んで三人で「投げないふたり」のポッドキャストを録る。埼玉にいる大吾さんと繋いで喋る。出国前は忙しくて普段通りのことができるか少し不安だったけど、今のところ、概ね予定していたことは大体できていて嬉しい。ラジオ収録もその一つ。

     収録終わって、いつも通り、巨大ソーセージを焼いて、パンに挟んで食べる。朝のうちに買ってきておいたものだ。近所のIGAというスーパーは7:30からやっているので、便利だ。14時から昂汰くんのワークショップがあるので、食べ終わったら、食器を洗ってジムに向かう。昨日のバイロンの提案で、ミーティングルームで行うことになっている。そうだ、動画でも見せればいいじゃないか、と思って、大画面を借りて、昂汰くんのアカウントにある秘密のビデオたちをみんなに見せる。子供達の様子を写したものが特に反応がよかった。多分、このビデオを見せているときは、特に昂汰くんが何者であるか、ということが伝わっていたんじゃないかと思う。昂汰くんの仲間たちがジャグリングを楽しんでいる様子、挑戦している様子、仲良くしている様子をたくさん撮って、それを綺麗にまとめて、大事に保存しているということが、それを、リーダーである昂汰くんがやっているということが、とてもたくさんのことを物語っている。僕は通訳としてその場にいる。このビデオを見ていて、ビデオがみんなに伝えている情報量以上のものを、僕が彼の言葉を翻訳することで伝えることはできないなぁ、と思った。言葉が脆弱であるのはこういうときだ。僕はなるべく黙ってそのビデオを見ていた。

     ワークショップが終わって、そのまま歩いて劇場に向かう。練習場も、ガラショーを行う劇場も、どちらも同じ通りの徒歩3分の距離にある。だから気が楽だ。リハーサルは4時からだけど、少し早めに向かって、場所を把握しておく。が、着いてみたら、前の人が早く終わりそうで、しかも控室がやたらに広い部屋だったから、そこで練習をしつつ待つことにした。しばらくすると、金髪メッシュのジェームズが声をかけてくる。もういいよ、いつでもどうぞ、と。ジェームズは、プレッシャーを与えないようにいろんなことを伝えるのが上手い人、という感じがする。まずは昂汰くんのリハーサル。照明についてもいろいろとお願いをしたけど、照明担当のスティーブンはいいよ、オッケー、という感じでテキパキと対処してくれて助かった。頭にヘアバンドを巻いて、だるっとしたパーカーを着て、やることやったらあとは終わり、みたいな雰囲気でとてもよかった。

     それから自分の番。照明とか、色使いとか、正直自分ではよく判断できないから、その場にいた昂汰くんと、タイに聞いて決めた。最終的にタイがいい感じに色を決めてくれて、よかった。彼は照明に詳しい。

     劇場は、小さいがいい劇場だった。そこらじゅうに、地元の人が書いたと思しき風景画や抽象的でエネルギーのある絵が飾ってあって、棚には本がいっぱいあって、それを5ドル均一で売っていたりして、地元の人のための場所、という感じ。

     家に軽く夕飯を食べに帰った(麺を食べた)。セリーヌが家を出たと思ったらバタバタと帰ってきて、「一番大事なものを忘れた」と言って、ニコニコしながらビールを4缶詰めていった。「終わったらお祝いしなきゃいけないじゃない」と言って笑顔でまた走っていった。再び、7時には劇場に向けて出発。

     いよいよガラショーの時間が近づく。到着した時には半分以上のパフォーマーが揃っており、それぞれ支度をしたり、ウォーミングアップをしていた。あるタイミングでステージマネージャージェームスがみんなを集める。

    「じゃあいくよー、AJC、AJC〜」

     あまりにも適当な掛け声をするのでみんなバラバラに合唱する。ふにゃふにゃと始まるかに見え、それも面白いなあと思っていたら、MCのエリーが威勢のいい声で「AJC,AJC, AJC!!!」と叫んで、引き締まった始まり。

     僕は後半の部の最初だったので、同じく後半の部の最後、つまりトリを務める昂汰くんと一緒に客席の一番後ろの方から前半のショーを見る。前半が終わり次第、舞台裏へ。そして僕の番。

     なんだか今までで一番緊張していない。なぜだろうか。ひとつには、コンベンションで出会った人たちがいい人たちだともうわかっていたからかもしれない。劇場がこぢんまりとして落ち着く場所だったからかもしれない。あるいは、ジェームズやスティーブン、サムがみんないい人たちだから?

     でもやはり、きちんと準備ができている、という自信があるからかもしれない。「自分ができる最高のことを」とか、「恥ずかしくないものを」とか、「少しでも新しい技を」とか、一切考えていない。ただ、こういうジャグラーがいるんです、と示したいだけ。普段話す時と同じくらいの感じで望んでいた。何がどうなるかはわからないけど、僕がステージに立つ、やることはもう決まっていて、別にそれをド忘れするようなことはない、という時点でもう満点なのである。

     結果として、僕はいつになく楽しくショーをした。ちょっと落としたところもあったけど、だからなんだ、というくらい、むしろ、その落とした技をその後に決めたので、余計に盛り上がっていた。
     ガラショーが終わった。

     こうたくんはちょっと不満もあったようだけど、でも舞台裏に帰ってきてみんなに温かく迎え入れられ、とてもいい雰囲気だった。■

  • 4月25日(木)

     7時には起きて、リビングに降りて日記を仕上げる。映像もアップする。今のところ毎日できている。今回の旅の目標のひとつは、日本での生活の延長を続けることだ。というか、日本の延長、という意識すらない方がいいかも知れない。ただ生活がある、ただ流れている感じ。

     いよいよフェスティバルが始まる。サイモンは主催者なので9時前に、家の他のみんなは9時半ごろに家を出て、僕たちは11時近くに会場へ行く。12時からの僕のワークショップに間に合えばよし。と、着いて早々、別のワークショップを手伝うことになった。外の芝生でディアボロを教える。といっても初心者向けの簡単なもの。子供から大人まで和気藹々と楽しそうにディアボロをしていた。サイモンはディアボロのパスを教えていて、盛り上がっていた。これ、いいなあ。

     それから、ガラショーの順番などを決めるミーティング。部屋に集まってみんなで話す。ジェームスが仕切っている。彼は溌剌としてていい。なんだか、この旅のキーマンになる気がしている。深く繋がれる人だ、という感じがするんだ。部屋を閉め切って20人ほどが集まるものだからちょっと空気がこもっていた。

     お昼の時間。近所のインド系の人が経営するバーガー屋へ。僕はハンバーガー、昂汰くんはホットドッグを注文。家に帰ってジュースと一緒に食べた。

     そして14時にまたジムに戻り、最初のワークショップ。いきなり「Comfortable Juggling」のワークショップ。これは、僕が今回一番うまく行くか懸念していたワークショップだ。要点もメモして、しっかり準備していこうと思ったけど、結局大した下準備もせず、流れに任せることにした。気負わずやろう。別に僕のワークショップが目当てでみんな来ているわけではない。ただ、こんなジャグラーがいるんだ、とわかればそれで良いのだ。失敗とか、ない。大成功はあるかもしれないけど、別にそれを狙ってもしょうがない。ただ経験から結果が生まれるだけだと思おう。

     「なんで、気持ちいいのがいいんでしょうか」

     と始める。大声で始める。輪になって、みんなこちらを向く。僕は14歳からジャグリングをしていて、若い頃はみんなよりもうまくなりたいという思いがとても強くて、苦しいときもありました。でも、32歳にもなると、ジャグリングとの向き合い方って、変わってくるんです(同じく32歳のバイロンが頷く)……

     最初の10分僕はしゃべっていた。自分でもなんで僕は英語でこんなに饒舌になれるのかよくわからない。いったい僕はどこでこんな能力を身につけているのか。自分の身体から言葉が出てくる、という感じがする。僕はここに辿り着くまで、13歳で英語を勉強し始めてから、20年近くかかったなぁ。別に今が到達点だ、というのじゃないのだけど、でも、今の自分の姿を、20年前の僕に見せても、15年前の僕に見せても、10年前の僕に見せても、5年前の僕に見せても、そして5日前の僕に見せても、驚くだろうなと思う。喋る、ということが、「英語」と「日本語」という区別ではなくて、ただしゃべっているか、しゃべっていないか、という区別で行われている感じがする。これは、僕の最近人生に訪れている変化と呼応している。自我の感じ具合をコントロールできるようになってきている。とても心地がいい。

     みんなに道具を持ってもらい、気持ちいいジャグリングをする、という意識で、同じ技を5分間続けてもらう。みんなふわふわと動く。果たしてこれが効果的なのかどうか、よくわからない。最終的に楽しければ、いい、ということになるんだけど。

     「これ違うわ、と思ったらすぐいなくなってくれて構わないですから、それがあなたの気持ちよさですから。僕はあなたに、あなたがどう気持ちよさを感じるかを教えることはできないんです。だから、自分でモニタリングしてください。自分の身体のことは自分に聞いてください」

     僕はジャグリングを教えるつもりってほとんどなくて、ただ、僕がジャグリングを通して自分自身をより楽な方へ導く、という態度について、自分で理解しようとしている。みんながこれに興味があるかどうか、とかももう関係ないかも知れない。ただ僕はこうだ、って言ってるんだ。それを強く言う。僕は人を退屈にさせることを極度に恐れてきた。多分今も恐れている。でも、少しずつ、受けてが退屈することを恐れる心と、自分が「こう」であることをただ「こう」であることで見せる、ということのバランスを取るのがうまくなっている気がする。僕はこうしてどんどん文章を書いていく。こんな感じで、僕はワークショップでみんなと話していた。ジャグリングも、ワークショップも、生活も、オーストラリアも、日本も、

    全部一緒になっていくんだ。

     2時40分にはネタ切れになって、さて、どうしましょう、と言ったら、バイロンが、「静かな部屋で話そうぜ」というから、半分ぐらいの人と一緒にミーティングルームへ移動した。そこでもずーっと、話した。

     17時からは昂汰くんのワークショップ。通訳として参加した。30人ほどが参加し、基礎的な動きをみんなで学んだ。そしてここでもバイロンが、明日以降で一回、静かな部屋で話そうぜ、と言う。というわけで、明日の内容も決まった。

     それから、AJCの5周年を祝うんだ、と言って、バースデーパーティが開かれる。食パンにバターを塗ってデコレーションの砂糖をまぶしたフェアリーケーキ、と言うのをみんなで食べる。シンプルだけど、疲れた体には美味しかった。

     一度夕飯を食べに帰る。スーパーでソーセージを買い、焼いてマギのめんと一緒に食べる。美味。やっぱ肉だね。オーストラリア。

     それからもう一度会場に戻って、ファイヤージャムをやっていたから参加。みんなで、火のついた道具を回す。ニクラスと言う青年が、ファイヤボールとトーチを貸してくれた。

     体育館に戻るとバイロンがいて、昂汰くんと小一時間話した。馬が合うようだ。よかったよかった。いつか日本にもきてほしい。

     早めに家に帰ったが、色々と作業をして12時ごろに絵を描き終わった瞬間、バッタリとねた。■

  • 4月24日(水)

     6時に目覚ましをセットし、一度は起きたと思うのだが、そのまま眠る。起きたのは8時近く。リビングに降りるも、誰もいない。日記を完成させ、絵を描き始める。ステゴ、セリーネが降りてくる。コロンビア出身のディアナもやってくる。同じくコロンビア出身のカタリナも降りてくる。昨日の夜に来たので、まだ会ったことがなかった。サイモンのパートナーだ。挨拶する。

     徒歩3分のパン屋まで、みんなでパンを買いに。昂汰くんはクロワッサン、僕はチョコレートドーナツを食べる。到着した日は、日差しが暑いと思ったけど、今朝は肌寒いくらいだ。スーパーにも寄って、必要なものがあるか見てから(結局何も買わなかったけど)家に帰る。ネスプレッソのマシンでコーヒーを淹れて一息。宿に元々備わっていたもので、コーヒーも置いてあった。至れりつくせりである。

     AJCでは、初日の夜に一般の人も無料で見られるファイヤーショーがあり、周辺住民にその旨を周知する必要があるのだという。そこで、きちんと認可を受けているイベントですよ、と書かれた手紙を家々に配り歩く、という仕事を任された。ステゴ、セリーネ、カタリナ、そして昂汰くんと一緒に、5人で家にポスティングして回った。どの家も大きくて素敵だ。

     お昼は、イタリア人のセリーヌがパスタを作ってくれた。ズッキーニとマッシュルームをレガトーニに混ぜたクリームパスタ。とても贅沢。ステゴにビールももらって、(coopersという、アデレードで作られている美味しいビールだ)サイモンとディアナも一緒に、7人で食べる。量が多い。けど、うまいのでぺろっと完食。

     食べたら少し休んで、昂汰くんはしばし家で練習、僕は他のパフォーマーと一緒にビーチへ。宿の目の前にGoodwoodというトラムの駅があるので、そこで乗車し、30分弱。トラムを降りると、クリーム色の石造りの建物がいくつかあり、その向こうに長い地平線が広がっている。地平線。僕は地平線が好きなんだ。

     桟橋を歩いて突端まで行く。風が強く吹いている。とんでもなく寒いだろうに、若者2人が楽しそうにサーフィンをしている。しようとしている。波はほとんどない。通りがかった子供たちが、「イルカだ!」と叫ぶ。まさか、と思うが、このあたりには確かにイルカがいるらしい。

     近場の芝生でしばし練習。主催者のサイモンもひさびさに会うのだ、というクリスも合流している。練習が終わったら、トラムでまた家まで。着替えをして、昂汰くんを連れて、今度はタイ料理屋へ。ここで、10人近くのジャグラーが合流。大所帯に。僕はトムヤムクンを頼む。昂汰くんは、焼きうどんのようなものを頼んでいる。あとは、ワニ肉を頼んでみた。白身魚のような味がした。

     歩いて家に帰ってくる。なんだかんだでとてもたくさん動いたので、今日も疲れた。まだ夜の9時にもなっていないが、みんな寝るモード。三々五々リビングから離れていって、僕も11時ごろには就寝した。■

  • 4月23日(火)

     

     昨日の夜脚がつって目が覚めた。狭い二段ベッドの上で体勢を変えられずキツかった。5時半に、一度目覚ましで起きる。が、部屋が真っ暗で、また寝る。起きたのは8時ごろ。昨晩は11時には寝ていたので、しっかり回復している。

     チェックアウトの時間は10時で、それまでに無料のシリアルやコーヒーを摂る。昂汰くんも起きてきて一緒に食べる。それからチェックアウトをして、まだ中にいても良い、とのことなので、中庭で絵を描きながらスペースを少しやる。映像付きというのができたので、大橋くんが後ろでジャグリングをあいていたら、途中で、横で見ていたおじさんが話しかけてくる。20年近く前に日本に行ったことがあるんだよ、と言う。宮崎にあった室内ビーチの話をしていた。

     大きな荷物を置いて、宿を出る。今日も特にこれといった予定はないので、まずはきのう駅でパンフレットを見て気になったMOD. という名前のミュージアムに行くことにする。

    今日は日差しがそこまで強くなくて過ごしやすい気候だ。風がややある。雲も出ていて、もしかしたら雨が降るかもしれない。そんな予感。

     ミュージアムの手前で感じのいいデザインギャラリーがあった。おそらく大学敷設のギャラリー。可愛らしい焼き物や織物がある。奥の部屋ではアーツ&クラフツのコンペの結果発表のような展示もやっていた。いい空間だった。特に、レジ横にあった鳥のティータオルが最高に可愛くて本気で買おうか迷ったけど、一旦やめておく。でも、お土産で買ってもいいかも。もう少し考えよう。まだ旅は始まったばかり。

     ミュージアムについた。入場は無料。この日はいくつかミュージアムを見たけど、どれも無料が多かった。いいことだ。このミュージアムも大学の敷設のようで、学生らしき人たちがスタッフをやっていた。詳細はわからないけど。テーマは移り行く地球環境の中であなたはどのような行動を起こすか、というようなやや教育的なもので、入場時にもらうトークンをATM大のかっこいい機械のマークの上に置くと、選択肢を選べる、というものだった。A〜Eまで自分が取るであろう選択肢が選べて、最終的にその選択によってどのような未来が切り拓かれるか、という仮想未来が表示されるというインタラクティブな展示。なかなか面白かった。ちびっ子を連れた家族が多くて、こういうものに無料でアクセスできるのはいいなぁと思う。社会への贈与を感じる。

     それからボウにお勧めしてもらったヴィーガンバーガー屋へ。歴史ある商店街の一角にあるお店。昂汰くんはバロンバーガー、僕はチリコンカンバーガーを頼む。バーガー一個で足りるかなとも思ったけど、十分なボリュームだった。店員のお姉さんが優しかった。トイレの場所を聞くと、鍵がついたフライ返しを渡され、あっちに行ったドアをこれで開けてね、と言われた。

     まだお昼を少し過ぎたところ、ここでサイモンから連絡があり、あと1時間ほどで到着する、という。ちょうどいいや、と思って、バーガー屋から歩いて15分ほどの植物園に行って時間を潰すことにする。植物園は、日本では見ないタイプの樹々や鳥でいっぱい。親子連れ、友達同士、カップルがいて和やかな雰囲気。

    「あそこ、落ちてくる果物に注意!って看板あるよ」

    「面白いですね」

     すると横で見ていたおばちゃんが話しかけてくる。

    「これなんの果物か知ってる?」

    「いやあ、全然わからないですね、なんでしょうね、緑の、なんか、ブロッコリーの頭を丸めましたみたいな」

     そしておばちゃんは紐で区切ってある区域に入って行って木に貼ってあるプレートを見、これはオレンジの一種らしいわね、と言って帰ってきた。

     適当にぶらぶらしていると、「アリガト」と言う言葉が聞こえてきた。テーブルを前に座っている子供が、日本語の練習をしている。お父さんが笑っている。僕がそこで「こんにちは」と声をかけると「君も日本語を喋れるんだねえ」とふにゃふにゃと落ち着きのない感じで返してきた。

    「そうだよ、日本語、ちょっと喋れるよ」

    「ゴズィッラを知ってる?」

    「ゴジラね、僕の育った街には、今ゴジラの足跡があるよ、東京でゴジラを見たこともあるよ」

    「東京にはさあ、ゴジラのおっきな人形が二つあるんだってさ」

    「(知ってるんだ…)そうそう、ゴジラは見たことあるの?」

    「スィン・ゴズィッラの最後では、背びれがすっごく怖くて、ゴズィッラの尻尾も長いんだよ」

    「よく知ってるねえ」

     お父さんが「この子、どハマりしちゃってるのさ」と笑っている。日本のどこから来たか、とか色々話した。ちょっとこの子に日本語を教えてよ、と言う。日本語かあ、何がいいかな、と昂汰くんに聞いたら、お父さんが「その『ニホンゴ』ってのは何?」と言うので、「ゴ、というのは言葉という意味で、それをつければなんでも言葉になりますよ、日本語、中国語、スウェーデン語、イタリア語、ゴジラが喋ったらゴジラ語」

     お父さんは笑って、それを息子に伝えた。

    「ゴズィッラは日本語でなんていうの?」

    「ゴジラ」

    「ゴッジロ」

    「そう、ゴジラ」

    「Minecraftは?」

    「マインクラフト」

    「マーインクラフトゥ、オウ」

    「そうそう」

    「その、『ソウ』ってなあに」

    「Rightっていうことだよ、いいねえ、いっぱい興味を持って」

    「『イイネエ』は?」

    「Goodって意味だよ」

    「イーネー」

     僕らがなぜここにいるのかを説明し、昂汰くんがボールジャグリングをやって見せたら、飛び跳ねて喜んでいた。彼は名をイーライ、と言うそう。もう1人の小さな娘さんも日本語をやっているんだそうで、この子はエンバーという名前だった。

     少しだけ芝生でジャグリングをしていたら、サイモンから再び連絡があって、そろそろ迎えに行ける、と言う。そこで植物園の外で待つ。全然来ないなぁ、と思っていたら、反対側からサイモンが現れ、手を振り、体をくねらせていた。

    「オーストラリアにようこそ!今、えらい違法駐車してっからチャッと行くよ」

     窓にひびが入り、ドアは土でドロドロの三菱ASXで、これから一週間滞在する宿に向かう。

     宿はAirbnbで予約したもので、会場から徒歩5分。肌色のレンガを組んで作られた大きな一軒家。最も、これは日本人の僕視点で、オーストラリアでは別に大きくないのかも知れにあ。でも、僕からしたら大豪邸。中に入るとすぐにキッチンとダイニング、そして奥にはリビングルーム。2階に上がると、部屋が三つあって、バストイレは各階にある。コーヒーマシンやレンジ、巨大な冷蔵庫も完備されていて、とても暮らしやすい。すでにソファで、コロンビア人の女性ディアナが寝ていて「ハロー」と眠そうに笑顔で挨拶をしてきた。2階に上がったらイタリア人の男女、チームバウビーニのステゴとセリーヌ。イタリア語で話しかけたらびっくりしていて、セリーヌは「むっちゃうまいね」と褒めてくれ、サイモンは「ナオヤはランゲージ・マスターだ」と目をかっぴらいていた。

    「6 時からアデレードの地元のジャグリングクラブ活動があるから行こう」

     とサイモンが言った。というわけで、4時から6時まで少し寝たり、荷物を整えたりしてからジャグリングクラブへ。

     サーカス学校で、毎週水曜日に集まっているんだという。サーカス学校といっても、とても大きなものではないけど、エアリアルもできるし、いわゆるサーカスで使うものは一通り揃っている印象で、豊かである。三々五々、最終的に15人ほどのジャグラーが集まった。サイモンはずっと叫んでいた。サイモンは声がでかい。昂汰くんは、こういう場所が、長崎にあればいいのに、という。別に必ずしも上手くなることが目的じゃなくてもいいから、みんな集まってジャグリングを楽しんでる、みたいな場所。僕が毎週通っているYDCと言うクラブはわりとそういうところで、そうですよね、また行きたい、と言った。以前来たことがあるそうだ。

     帰り道、スーパーが開いていたら、との望みで近くでおろしてもらったけど、結局タッチの差で閉まっており、代わりに、ガソリンスタンドに付設されたコンビニでカップ麺とポテチを買って行った。家に帰ったらイタリア人のステゴとセリーヌがゆっくりしていた。ステゴがビールをさっと差し出してくれて、僕はお礼を言ってそれを飲む。アデレードのローカルビールだ。日本よりも柔らかい、赤い缶に入った冷たいビールは、疲れた身体にじんわりしみた。■

  • 4月22日(月)

     断続的な眠りから覚めたら、窓の外に海が広がっていた。少し前屈みになって左手を見ると、広大な陸地が広がっていた。オーストラリアである。飛行機着陸10分前に、僕たちの隣に座るマダムがペットボトルを差し出してきた。なんだろうと思って2人で見つめていたら、クルクルとキャップを回す仕草をして、「開けられないのよ」と言う。昂汰くんがキャップを開けてあげる。いつ着陸したのかわからないくらい、スムーズに着陸。待機中に機内から外を見た。空には文字通り雲ひとつない。日差しの鋭さが、窓越しからも伝わる。

     入国審査に並んでいて、この国はのどかで落ち着いているなぁ、という印象を受けた。理由はわからない。みんな朝早い到着のフライトで疲れていて元気がないからかもしれない。

     ……と、そう思っていたものの、入国審査でなぜか昂汰くんのパスポートがはじかれた。自動ゲートを通らないのである。ついでに僕も一緒に質問を色々受けるハメに。最後は「あなたたち何個ジャグリングできるの、えっ、7個? ジャグリングのフェスティバルなんてあるのねえ、ま、気をつけてね」と談笑で終わったけど、少しひやっとした。まぁ、多分滞在日数がそれぞれ違う、とかちょっと怪しかったのだろう。

     そしてSIMカードをアクティベートしたり、バス停を見つけたりと少し空港を出るまで手こずることが多く気疲れするも、無事市内に出るバスに乗り込んで今夜泊まる予定のホステルへ。迎えてくれたのは中華系のお姉さん。名前はハビ。まだチェックインはできないから、スーツケースだけを置いて、「おすすめの場所はあるかな」と聞いたら「中華街がいいんじゃない」と得意げに勧められた。英語に結構訛りがあって、きっとこの人はしゃべるに違いないと思ってこちらは中国語を喋ったら、向こうは喜んでくれた。

     特に当てもないので、とにかくアデレードの街の雰囲気を掴むために、歩いた。ホステルを出て、ハビが言った通りにまっすぐ歩いて、でも中華街には向かわずに、川に向かってみた。川に出ると、思っていたよりも川幅が広く、周りにとても綺麗に整備された遊歩道があった。向こう岸には球場が見えて、サイクリストやランナーがたくさんいた。親子連れの姿も多く、川ではペダルボートを漕ぐ人たち、遊覧船でのんびりと進む人たちがいる。ベンチがあったので、そこでしばし休憩。日差しが明らかに日本より強く、陽に当たっていると暑いのだが、日陰にいると少し肌寒いかもしれない、という感じの、調整の難しい気候。

     1時間弱そこで昼寝をしたり、ぼーっと珍しい鳥を眺めたりした。身体が白黒でクッキリとコントラストがある鳥は、クーワー! と勢いよく鳴く。それから、スーパーに向かった。お昼をスーパーで調達することにしたのだ。巨大スーパーColesへ。そのスーパーがある通りは目抜通りで、ここにはたくさんの人がいた。それまで、視界の中に最高でも20人ぐらいしか見えなくて、一体人はどこにいるんだろう、と思ったんだけど、そうですか、ここにいたんですか。スーパーではこれからの旅でおやつになりそうな乾燥フルーツやナッツバーを買う。そしてお昼ご飯用のサンドイッチ。日本のものよりボリュームがある。それに、Dareというミルクコーヒーを買う。入っている牛乳もコーヒーも濃厚で美味しいから、そりゃ、美味しい。昂汰くんもこれを気に入ってる。

     スーパーが思いの外楽しくて1時間滞在したのち、出て、ホステルに戻ってチェックインを済ませることにした。歩いて宿の方に帰る途中で、ボードゲーム屋さんを見つけたのでそこに入る。別に日本で見ることができないものが大量にあるわけでもないんだけど、おもちゃのために捧げられた空間はとてもワクワクする。

     30分弱歩いて宿に着いた。チェックインを担当してくれたのはチョンギという青年。再来週に日本に行くんだという。部屋に入ったら、まずはシャワー。昨日の夜は入れていないから、二日分の汚れを落とす気分。それから耐えきれずベッドで30分ほど昼寝をする。そして、昂汰くんがジャグリングの動画を撮っていた。せっかく来たから。それから、夕飯を食べる。このホステルは夕食が出る。パスタだった。スパゲティの麺とソースが別々で用意してあって、それを自由に食べていい。キッチンにはそれを作ったお姉さんがいて、なぜか向こうが中国語で話しかけてきた(なんで?)。ヴィーガン向けのソースがあって、それを昂汰くんが試そうとしたら、お姉さんは言う。
    「そっちは美味しくないよ」
    「でもあなたが作ったんでしょう」
    「いや、そういうお客さんがいるから仕方なく作ってるだけ、かぼちゃと牛肉のソースのが美味しいからそっち食べな」
    かぼちゃと牛肉のソースはものすごく美味しかった。

     それから昂汰くんは部屋にはいったり、他の動画素材を撮ったり、僕は日記を書いたりしている。中庭のようなところでパソコンを開いている。隣のテーブルでは、オーストラリア人、バルセロナ出身のスペイン人、北ドイツ出身の2人がそれぞれ喋っていて、英語、ドイツ語、カタルーニャ語が飛び交っている。■

  • 4月21日(日)

     朝5:15、目覚まし鳴り響く。眠い。昨日は遅く1時すぎまで準備をしていた。家の前のコンビニでゴミを捨てて、駅へ。眠さが襲う。横浜駅からバスに乗って羽田空港まで。ほんの20分ちょっとだが、ぐっすり眠る。ターミナル1から無料連絡バスに乗ってターミナル3へ。羽田空港はいつからか、国際ターミナルのことをターミナル3と呼ぶようになった。いつも何番が国際線メインのターミナルだったか、分からなくなる。

     チェックインを済ませてまずはコーヒーでも、と思ったが、出発まで残り時間は2時間少々だった。そこで保安検査に並ぼうとすると、長蛇の列。モニターを見ると待ち時間が20〜25分とある。こりゃ、コーヒー飲んでる場合じゃない。比較的空いている方の北ゲートまで行って、10分ほど並んで入れた。107番ゲートへ向かう。途中にあるカフェで何か頼もうと思ったが、やや高い。目の前にセブンがあるから、そっちで買おう、とドーナツ、サンドイッチ、ミルクティー、スムージーを買ってホクホク。出発前に、僕ら二人のことを気にかけてくれているちこさんという方に、応援のお小遣い(投げ銭)をもらっていた。それで買っちゃおう、と言ってまとめて買った。お礼に写真を撮って送る。

     そしてここで、絵を描いておく。今回の旅では、日課を崩さないように細心の注意を払うつもりでいる。非日常であり、未知のことに出会うのが楽しみで、同時に、生活が続いているというイメージをずっと持っていようと思っている。30も過ぎて、そういう複合的な在り方を明確に持てるような気がしている。これは一種の修行でもある。予定よりも少しだけ時間は押したものの、ほぼ定刻通りに便は出発。少し本を読んだりしたのち、すぐに睡眠に入った。

     僕と昂汰くんは、もう10年以上の長い付き合いになるけど、きちんと話をしたことがなかった。ジャグリングに関わる人や昔の話をたくさんした。昂汰くんは、やっぱり落ち着いている。暇になるとアプリで将棋をやったりして、のんびり過ごしている。僕だったら初めての海外だったらソワソワして興奮して訳のわからないこととか口走りそうだけど、落ち着いている。昂汰くんに好き嫌いがあるかどうか聞いたら、なんでもだいたい好きなんだ、という。それはこだわりがないっていうことなのか、と聞くと、しばらく黙ってこう言った。

    「こだわりが生まれるのって、時間を費やしたことだけですよね。だからジャグリングではやっぱり好みはあるけど」

    「面白いね」

    けどジャグリングには信念がない、とも言った。僕は信念があるのかなぁ。信念というほど大層なものはないかもしれないけど、やっぱり、伝えたいこと、みたいなのはある。昂汰くんは、ワークショップ、何したらいいですかねえ、と聞くから話していたら、「ジャグリングで伝えたいことないんだよな」と言っていた。キッパリしていていいなあと思う。

     機内食を食べた後には(日式カレーだった)眠気が再び襲ってきて、持ってきた日本語の本を読もうと思ったけど2ページ読んだところで寝る。

     シンガポールに到着。入国審査は拍子抜けするほどすぐ終わり、まるで駅に入るような感じで入国。

    「どう? シンガポールは」

    「外国に来た感じはしないけど、日本の中の特別なアミューズメントパークに来たみたいな感じですね」

    「まぁまだわかんないよね(笑)あー、この匂い、いろんな記憶が呼び起こされるよ」

    「僕も最近そういうことを考えますね」

    「どういうこと?香りのこと?」

    「んー、なんか、匂いとか、記憶とか。今までは、人生よりもジャグリングをしてた時間の方が長いって感じがする」

     ちょっと寄り道して、中で滝が落ちている商業施設、ジュエルを見る。ジュラシックパークの音楽が流れ、荘厳な雰囲気。僕が最後にこの国に来たのはいつだっけ? たぶん、5年くらい前。前から持っている交通カードを係員に調べてもらったら、5年で期限が切れるうちで、一枚は失効していた。もう一枚は生きていた。現金を下ろして、新しいカードを購入、電車でジャランベサーまで向かう。スィンに会うため。初めて会った時からいつも一緒に行っているスイチュンという中華食堂へ。スィンは、僕がシンガポールを第二の故郷とまでおもうきっかけを作った張本人である。昂汰くんに、彼女がどんな人か説明するのに、「とても親切で愛情深いいとこのお姉さんみたいな人」と言ったが、店に勢いよく入ってきてはしゃぎながら僕らをハグするスィンを見て、「事前情報通りですね」と笑っていた。シンガポールでは一番仲がいいジャグラーの一人ディーホンも一緒に、1時間ぐらい夕飯を共にして談笑。スィンは昂汰くんに「帰りも寄りなさい、一緒にご飯食べるわよ」と肩を叩いて睨むように言う。昂汰くんは笑っていた。

     8時間のトランジットなので、長いようでわずかな時間だった。ご飯を食べたら、さようなら。懐かしい人たちとの時間を惜しみつつ、空港に帰り、あとはオーストラリア行きの便を待つ。■

  • 4月20日(土)

     朝はKUFSで、旅行前でバタバタ。普段通りの勉強はせず、製本したり、ビザを申請したり、主催者と宿に関するやり取りをしたりする。そう、僕はビザの申請をすっかり忘れていたんだ。前日にティムタム(お菓子)の話をしていたら思い出した。KUFSの途中でミヤジマさんが来て、本を買ってくれた。KUFS終わり、吉野家の牛丼を買ってみんなで公園で食べる。みんなでそのまま野毛に行き、僕だけ別れて「ジャグリングの現在」を見た。面白いものだった。

     終わったあと、KUFSの面々と合流して、一緒にオーストラリアのお土産を見る。ちょっといいものを買い、そして、アイスを食べながら少し外にいて、それから帰った。でも、そのまま帰るのもな、と思い、一緒に白楽で降りることにした。商店街では、ヤミ市をやっていた。そしてサイゼリヤへ。2時間ほどダラダラと喋る。こういう時間が必要である。今日ははしゃがないようにしよう、と思っていたのに、やっぱり、外を出歩いて疲れてしまった。

     家に帰ってきた。部屋にいる。風がふいてる。初夏のような風だ。少し緊張してる。

     大橋くんが駅に登場した。僕は携帯で動画を撮った。向こうもカメラを構えてる。2人で笑った。少し久しぶりに会う。駅から徒歩4分の家まで歩いて、途中でコンビニで夕ご飯を買い家に入る。大橋くんは荷物が少ない。小ぶりなスーツケースと、普段使いのリュックだけだ。

    「荷物少ないね」

    「もう、なるようにしかならないなと思って、諦めてます」

     ふたりで笑った。海外旅行は実質的に初めてだという。でも、全然興奮しているでもなく、慌てているでもなく、ただチルな感じの昂汰くんを見ているとこちらが落ち着く。こんな態度で泰然としていたいものだ、と思う。海外旅行の経験で行ったら僕はとてもたくさんいろんなところに行っているけど、人生のイベントに対する構え方の余裕に関しては、昂汰くんを心から尊敬してしまう。

     いい旅になりそうな予感がした。■