週刊PONTE vol.125 2021/04/05

=== PONTE Weekly ==========
週刊PONTE vol.125 2021/04/05
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PONTEは、ジャグリングについて考えるための居場所です。
週刊PONTEでは、人とジャグリングとのかかわりを読むことができます。
毎週月曜日、jugglingponte.comが発行しています。
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◆Contents◆

・青木直哉…ジャグリングの雑想 24.ジャグリングについた色

・ハードパンチャーしんのすけ…日本ジャグリング記 青春編 第18回

・寄稿募集のお知らせ

・編集後記

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◆ジャグリングの雑想◆ 文・青木直哉
24.ジャグリングについた色

ジャグリングをやってきた、と僕は言う。でもこれは、決してボールを投げる動作についてだけ話しているのではない。
「15年間ジャグリングをやってきた」と言う時、僕の頭には、ボールを投げている時間「以外」に周囲にあったことがなんとなく浮かんでいる。
そこで思い出されていることってなんだろう。

あるジャグラーについて語るとき、僕たちジャグラーは、その人の技術についての話をしがちだ。この技がすごい、とかこのアイデアは新しい、とか。もちろんそれは楽しいし、それがジャグリングという技巧の醍醐味のひとつである。だけど、それだけが唯一のジャグリングを飾る個性ではない。

これは、僕がジャグリングのトッププレイヤーではないから言う負け惜しみだろうか?

いや、そうじゃない、と僕は言いたい。
ただ、ジャグラーの、ジャグリングの技術以外のもっと深いところに触れることができたら、もっと面白いと思っている。
ジャグリングにそれぞれの形で面白く関わっている人が、「自分とジャグリングとの関わり」について発信すべきことって実はたくさんあるんじゃないか、という気がしているんだ。

お節介な話だろうか?
僕が見ていないだけで、ジャグリングの「周り」についての発信って、本当はたくさんあるんだろうか?
その可能性も、ある。

でも少なくとも僕自身が、なぜそのような発信が少ない、と思っているかというと、多分、ジャグリングの「映像」ばかりを見ていることも関係しているだろう。YouTubeやInstagramに載ったジャグリングの映像には、ジャグリングをしていない時の姿はほとんど映らない。でもジャグリングの周りには、ボールを投げる行為を起点として始まる思考があり、文化があり、そして人と人との交流がある。それが、映像ではなかなか見えてこない。
そんなことに思いを馳せると、ジャグリングの「ジャグリング以外の部分」について明示的に、深く知ることができる機会って、なかなかない、とやっぱり、思うのである。

自分のことを振り返ると、ジャグリングの技術というよりは、旅に行ったこととか、出会った人と話したこととか、他の分野の芸術について知るきっかけになったこととか、それこそが、「ジャグリングを15年間してきた」という思い出を支える大事なかけらだ。

僕は、ジャグリングをしていない時間の方が長い。それでも臆せず、自分はジャグラーだ、と思っている。
ボールを投げていない時間だって、ジャグリングと関係があることが多いんだ。

そして、それも立派な、その人のジャグリングについた色じゃないか、と思うのである。

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☆勝手にPM Juggling(の板津大吾さんのnote)を紹介するコーナー☆
2021年4月4日
https://note.com/daigoitatsu/n/ndbaf54e00ed5
「たまに発送してきた総数を振り返るとびっくりする。」
(記事本文より)
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☆横浜でジャグリングの展示をします(2021年4月16日-5月5日予定)
4月16日-5月5日まで、横浜・妙蓮寺にある「本屋・生活綴方」でジャグリングに関する展示をする予定です。
今回書いたことがほとんど軸であるような展示になるような気がしています。
また、一般に売り出すための本も書いています。自分でもワクワクしながら書いていますが、書き上がるのか。いや、書き上げるのだ。
乞うご期待。こちらでも、Twitterでも、お知らせします。
制作の過程も毎日ブログに書いています。
https://fromsvankmajer.blogspot.com/search/label/ジャグリングの展示をつくる
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◆日本ジャグリング記 青春編◆ 文・ハードパンチャーしんのすけ
第18回

前回、ヨーロピアンジャグリングについて書きましたが、IJAからの影響についても書いておかねばならないでしょう。というのも、IJAが憧れの存在であるところから、手に届く存在へとなったことが、2000年代前半に起きたことだからです。

先日、とある企画でこの10年くらいでジャグリングをはじめたひとと話をする機会がありました。
「IJAは特別なものと感じたことがない」
–その言葉に、ぼくは驚きました。周りにIJAのメダリストがいるのが普通だったから……とその後に続きました。なるほど、今となっては、そうですよね。JJFで入賞する方が難しくない? などの声も聞きますし。
憧れだった存在の価値が下がっていくのには、寂しさも感じますが、それがこの20年で起きたジャグリングの変化なのですよね。

2005年までのIJAの日本人受賞歴を振り返ってみましょう。
2001年、松浦昭洋さんがSphereで日本人初のファイナリストになります。この時も話を聞いてびっくりしたのを覚えていました。この日の練習には、やたらと熱が入ったような記憶があります。
2002年に、矢部亮さんがジュニア部門にてゴールドメダル! すごい! と思いつつ、「けどジュニアだしな」とか密かに思った自分を、今の僕は殴ってやりたい。
2003年には、上田寛(リスボン上田)さんがファイナリストに。
そして、ついに2004年に矢部亮さんがゴールドメダル! さすがにぐうの音も出ず、おめでとう! な気持ちに。
さらにさらに、2005年は「奇跡の年」になります。
ジュニア部門は、日本人が表彰台を独占。ゴールドに桔梗崇さん、シルバー青木康明さん、そしてブロンズで進藤一宏さん。
インディビジュアル部門は、安定して矢部亮さんがゴールドメダル。チーム部門で、桔梗ブラザーズがシルバーメダルに。
IJAのVHSをみて技を学んでいた頃を考えると、2005年の結果は衝撃以外の何ものでもなく……自分が成し遂げたわけではないのに、自分までがすごくなったような気持ちになりました。

2005年。この年は1999年とともに、日本のジャグリング史にとっての節目です。この連載の言葉で言えば、それは日本ジャグリングの青春の終わりでもあります。
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☆編集長より
僕がジャグリングを始めたのが2006年で、つまり青春が終わってから、少し大人びたジャグリングから出会っていたんですね。
でも本当にそういう感じがあって「日本人のジャグリングは、世界的にもレベルが高いということが認知されだしている」というところでした。ギリギリ、その「初めての高揚」を見ていた感じがする。
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◆寄稿募集のお知らせ◆

週刊PONTEに載せる原稿を募集します。
800字以内でお書きください。
編集長による査読を経たのち掲載。
掲載の場合は、宣伝したいことがあればしていただけます。
投稿・質問は mag@jugglingponte.com まで。
締め切りは、毎週金曜日の23:59です。

◆編集後記◆ 文・青木直哉

ジャグリング以外の仕事の方がたくさん来て、その上で、今、大きな岐路になるかも、と思っている本を書いていて、展示の準備もしていて、てんてこまいでござんす。
でもバイクももうすぐ納車なので、落ち着ける時になったら、もう僕はどっか行っちゃおうと思います。気候もちょうどいいしね。山とか川とか温泉とか行きたい。てんてこてんてこ。

また来週。

PONTEを読んで、なにかが言いたくなったら、mag@jugglingponte.com へ。

発行者:青木直哉 (旅とジャグリングの雑誌:PONTE)

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