7月27日(土)

イスタンブールに着いたのは夜十一時。本来なら六時ごろに着いているはずだった。五時間の遅れ。乗換の便を逃している乗客もおり、トルコ航空の人と口論になっていた。僕らは、そもそも乗り継ぎに十四時間も余裕があったから、五時間遅れても大丈夫。
トランジット入国をして少し観光をしようと意気込んでいたのだけど、それは諦めた。だが空港で朝八時まで過ごすのも退屈だ。トルコ航空が提供するホテルサービスを利用してみることにした。
まずは入国しないといけない。審査のための長い列に並び、簡単な審査を経て、トルコに入国。
出国口を出ると、人はまばらだった。すでに夜遅い。
ホテルデスクを見つけ、窓口のお姉さんに聞いてみると、無料宿泊の対象になる、と言われた。ただし受付時点で深夜十二時近く。ホテルから帰るバスは四時だ。多く見積もっても三時間少ししか休む時間がない。それでもシャワー浴びられるだけでもマシだと思って、利用することにした。
結果、これは正解であった。案内されたのは空港からは遠いがきちんとしたホテルで、シャワーも温かく、ベッドもふかふか。チェックインは深夜一時になり、三時間しかゆっくりできなかったが、空港の硬い椅子で過ごすより何倍もマシだった。帰りのバスにも寝過ごすことなく乗り、空港の保安検査も無事に抜け、ついに出発。
……と、思いきや搭乗はスムーズにはじまらなかった。
予定時刻を五分ほど過ぎた頃に、遅延のお知らせがメールで送られてきた。そして目の前の電光掲示板に「五十分遅延」の表示が浮かび上がる。お腹は空いたし、眠い。優弘君は、もう帰りの便のことを案じてため息をついている。まだまだすんなりポルトガルに着くことはできない。

飛行機がポルトに着いた。一時間以上遅延した。だが、入国審査は「バケーション?」と一言聞かれただけで、イエス。と答えたらドンとスタンプを押されて終了。スーツケースも無事出てきた。
表に出てみると、そこは天国。連日三十度を超えるような気温で蒸し暑い日本と比べたら、極端に涼しい。そして、五年ぶりに吸うヨーロッパの夏の空気。僕は真っ先に、十年以上前に初めてイタリアの空気を吸った時のことを思い出した。すでに興奮がピークに達している。ポルトの空港はこぢんまりとしていて、でも狭いという感じもしない、行き交う人々の雰囲気も明るい、素敵な空港だった。こういうことが、旅の印象を良くする。
地下鉄の乗り場までエスカレーターで降りて、サン・ベント駅まで三十分ほどの乗車。駅を出ると、いきなり、色鮮やかな南欧らしい綺麗な景色が広がっていた。地下鉄の出口がいくつもの分かれ道の岐路になっていて、それぞれ、石畳が遠くまで続く。道の両側には五階建ての建物が立ち並び、目抜通りになっている。色彩豊かで楽しい。
まず、この街の中心を流れる川を見てみることにした。地図を見ずに、勘で歩いた。十分ほど歩くと、大きな川が現れた。両岸にお店やレストランがたくさんあり、観光客で賑わう。だが、いかにも観光地、というよりは、歴史の趣をきちんと保つところに、人が多く集まっているだけ、という感じだ。
ポルトのシンボルとも言えるドン・ルイス一世橋まで歩いてみる。街を二分する川にかかるこの橋は、二段構造になっており、上も下も歩ける。下の部分を歩いて対岸に渡った。駅と反対側の岸には、ポルト名物が手に入る場所として、ポートワインのワイナリーや、サーディン、バカリャウ(干し鱈)などのお店がある。お店をいくつかひやかした後に、お腹が空いてきたのでどこかで食べることにする。路地を少し入って、ピザやパスタのお店に入る。値段もそこまで高くなく、お店の人も感じが良いので良かった。ご飯を食べたらワイナリーを見てみようと思っていたのだが、ポートワインを試しに飲んでみたら、度数が高くて僕はすでに酔いが回ってきて、優弘君も僕も、一旦いいかな、という気分になり、結局ロープウェーに乗って橋の上部まで行き、メトロが行き交うその橋を、周りを見渡しながら対岸に再び渡った。欄干から身を乗り出すと恐怖を感じるほどに高いその橋からは、街が一望できて、とても綺麗だった。すでにとても充実した気分。来てよかったねえ、と笑い合う。
スーツケースを置いておいたサン・ベント駅から、午後四時五十分の電車に乗ってオヴァールへ向かう。各駅停車で一時間ほど。流れていく緑の景色と、赤い屋根の家々を見ながら、どんなコンベンションになるだろうか、と思いを馳せた。
六時にオヴァール駅に着く。ほとんど人のいない、小さな駅だった。駅から会場までは、無料の送迎バスが出ていた。僕たちがついた時にはもうバスはほとんど満員だった。陽気な運転手のドライブで、ついに会場に到着。まずは受付を済ませる。チケット売り場のようなブースでQRコードとパスポートを見せる。すんなり終わって、脚に入場バンドを巻き付けて会場入り。
ジム(体育館)に入るとすでに熱気で包まれていた。世界中から集まった数多くのジャグラーたちが練習を始めている。ジムは大きいのだが、今回集まった人数が満足にジャグリングをするには少し狭いかな、と思った。誰がいるかな、と見渡していたら、早速見知った顔を見つけて、挨拶しにいく。ノルウェーのジャグラーたち、ドミニク、ウーカシュ、ユン、そして徳島のしおんさん。みんな去年のJJFで会った。五分歩くと誰か知っている人に会う、というような状態。来たなぁ、と思う。
今日から泊まることになっている宿がまだどこにあるかも知らなかったので、主催者のヌノさんを探す。メッセージを送ったら数時間して返答があり、会場から少し離れたところにあるキャンプ場で落ち合った。ヌノさんは、恰幅が良く、人の良さそうな髭もじゃのおじさんだった。なんとなく、落語家っぽいなと思った。ヌノさんの車でホステルまで行く。キャンプ場から距離は近いのだが、入り口が遠回りしたところにある。車では三分で着いたが、歩いたら十分ぐらいかかるなぁ、と思う。ヌノさんは、それほどジャグリングをガシガシやっている人ではないそうなのだが、どうしてEJCのオーガナイズをすることになったんですか、と聞いたら、「私はこういうことが好きなんですよ」と穏やかにいった。
チェックインを済ませ、帰りはヌノさんが会場まで車で送ってくれた。握手して別れる。夜の九時半からは、会場内で一番大きなテント(ビッグトップと呼ぶ)で、ポルトガルのパフォーマーたちのショーへ。ジムからビッグトップまで長い長い列が続いていて、これは入れないかもなぁ、と思ったけど、並ぶことに。しおんさんと一緒に待機中、後ろに並んでいたリッキーというアメリカ出身の若者と話した。テントには、鮨詰め状態になって、意外にも全員が入れた。ショーはコメディアクトが多かった。一個一個のアクトが長かったのと、疲れから、途中居眠りしてしまう。それからジムに戻って、ぶらぶらしながら、知った顔を見つけては抱き合って挨拶。
十二時を過ぎたあたりで、いよいよ旅の疲労がピークになって、宿に戻ることにした。会場から出るときにちょうどドミニクとマタンが宿に歩いて帰るところだったので(一時間ぐらいかかるよ、と笑っていた)一緒に歩いた。
途中で別れて、二十分かけて宿に辿り着き、部屋に入るなり、シャワーも浴びずに寝てしまった。