5月3日(金)

 バスを乗り継いで、今日はサムに会いに行く。一緒に森を歩こう、と誘ってくれたのだ。僕は、ちょっと疲れてきてるし、どうしようかなとも思ったのだけど、せっかく誘ってもらったしと思って行くことにした。アッパーフェーンツリーガリーという駅に着いてビデオを回していたら、向こうからリュックを背負ったサムがやってきた。

「サムも電車乗ってきたんだね」

「そうそう、この二駅向こう側に住んでるから」

「そうだったんだね」

「でももともとは逆方向にもう少し行ったところに住んでて、今日行くところは、僕の庭みたいなところかな」

 自分にとっては当たり前の自然の風景で、面白いかどうか確信が持てないんだけど、と言いながら、熱帯のように木々が生い茂る散歩道を案内してくれた。鳥達が大声で叫びまくっている。オギャー、フギャー、とまるで猿のようである。あれはコカトゥーだね、とサムが説明する。なんか、ジュラシックパークみたいだ。散歩道が始まるところの門もそんな感じだった。このへん、恐竜は出る?と聞いたらサムは笑っていた。この道はココダ追憶ウォークという。第二次世界大戦で亡くなったオーストラリアの兵士たちを記憶するための道。その時戦っていた相手は日本の軍人である。僕は、自分のおじいちゃんが南方戦線で戦っていた話をしていたのを思い出した。

 散歩道は徐々に勾配が急になっていって、1時間ほどで頂上に着いた。この道は、近隣住民の運動スポットになっているんだという。確かに、ジョギングの格好をした人が多く来ていた。中華系の人が半分くらいだった。そもそもメルボルンの街にも、とてもたくさんの中華系の人たちがいる。僕はちょっとこれに関しては驚いてしまった。でも、もともとオーストラリアという土地だって、いわばイギリスの植民地だったわけだし(流刑地?)アボリジニの人たちも人がいなかった土地に入ってきたという始まりが必ずあるわけだし、これは歴史の一部なんだなと思いながら見る。

 朝方に食べたシリアルの牛乳が少し古くて当たったのか、ややお腹を壊し気味だったが無事下山。お昼どうする、と聞くと、まぁ、僕の仕事場のサーカス施設の近くにマクドナルドあるけど、というから、そこに行くことにする。オーストラリアでは、マカス。サムがマックのことをマカスと呼んでいるのを聞いて、「やっぱマカスっって呼ぶんだね、と言ったら、「今ちょうど言っちゃってから、これわかんないんじゃないか、って思ったところだったよ……」と自分に呆れるような顔で言っていた。地元の言葉を聞けるのは嬉しい。気を使わずにどんどん使って欲しい。

 ベイズウォーターという駅まで電車に乗ってから(駅に着いた瞬間に電車がホームに入ってきた)ビッグマックのセットを食べて、バニラコークを飲んでまた出発。ここまでも駅から20分ほど歩いたが、さらに15分ほど歩く。サーカス教育施設のラッカスに着く。ここのお客さんは大体子供だという。でも設備は立派で、大人が使うにしても必要十分なものに見えた。受付にはジンジャーヘアのメガネをかけたライリーという女の子。本当はAJCに来る予定だったけど来られなかったらしい。日本人の交換留学生と友達だった、という話をするから、なんか日本語覚えてる?と聞いたら「わたしは、ライリーです」とニコニコ言ってくれた。

 着いて20分ほどで、2時ごろにラッカスを出る。バスで帰ることもできたけど、ライリーが「バスって、いつ降りるかずっと気にしてなきゃいけないから緊張するしキライ」と言っていて、それもそうなんだよねと思って、駅まで歩いた。暇なので動画を撮りながら。

 遠回りになるけど、いったんフリンダーズストリートに帰る。もう、ここに着くと安心するようになっている。で、せっかくなので一度外に出て、まだ見ていないものでも見てみようと思って、映像博物館に行った(本当はこれとは別の施設を見る予定が、こっちをたまたま見つけた)。映画やゲームの歴史に触れられ、かなり見応えがあった。これも他の様々な施設と同じく、無料。随所に、ドネーションをするための機械が置いてあった。

 また駅に戻って帰ろうとしたら、昨日昼食を中華屋で食べた時に隣に座っていて、ほんの少しだけ話した日本人の女性とすれ違った。えー、そんなことってあるかね、と思い嬉しくなったので、ちょっと追いかけて声をかけた。が、向こうは「あ」という感じで、むしろ迷惑だったかなと思った。まぁ、でも、こっちだって嬉しくなっちゃったのでしょうがない。

 電車に乗る前に、右頬に大きめのニキビのようなものができてしまったのでそれを鎮める役に立ちそうな薬を買って、いつも通りエルサムが終点の電車に乗り、帰った。■