4月29日(月)

「空港行くか?」

 サイモンが僕らを起こしに来た。

 昂汰くんがいよいよ日本に帰る時間だ。僕は隣の部屋のドアをノックしに行った。ステゴとセリーヌが起きてくる。眠そうにしている。昨日の夜、コウタが帰る前に起こしてくれ、と言っていたから起こした。緑色のボロボロのTシャツを着たステゴと、短めの白いTシャツを着たセリーヌ。2人は、ずっとキャンピングカーで生活していて、もう5年近くなるという。でもステゴはもうすぐイタリアに帰るのだそうだ。追ってセリーヌも帰るんだという。

「俺が起きた時、暗いし静かだし、もしかして2人とも自分で空港に向かって行っちゃったんじゃないかって心配になったよ、もし俺が寝坊してたら間に合わなかったじゃんか、ガハハハハ」

 サイモンはいつでも声が大きい。自分でそう言っている。「俺は無茶苦茶外向的なんだよ」とニコニコ言う。

 空港に戻ってきた。旅の最初にここに着いた時は、入国審査でやや手間取ったこともあって、もしかしてあとから追いかけられてやっぱりちょっとこっち来なさい、とか言われるんじゃないかと思って気が気でなくて、のんびり見る余裕がなかった。今は晴れやかな気持ち。至って普通の空港に見える。ただ、綺麗で、大きな空港。昂汰くんが荷物を預け入れて、チケットを無事に発券するのを見送る。保安検査の列にも一緒に並ぶ。昂汰くんはサイモンに最後の質問をいくつかする。昂汰くんはサイモンがコンベンションをつくっている時のその姿勢に興味があるようだ。長崎でも似たようなことをしたい、と何度か言った。僕も都合がつけばぜひその集まりに行きたい。

 いよいよ保安検査が昂汰くんの番、という段になって、昂汰くんが荷物をカゴに入れ始める。別れの挨拶をしようとしたら、サイモンまで、真面目な顔をして携帯や鍵をかごに入れ始めた。僕と昂汰くんは笑った。

「ナオヤもほら、全部出しなよ」

というのでさらに笑っていたら、いつまでも真剣な顔をしている。何かと思ったら、本当に中までついていくようだ。というわけで僕も一緒に、3人でゲートまで行った。すると、まず目の前には国内フライトのゲートがあって、それから、エレベーターで上に行って初めて国際フライトのゲートがあった。ちょっとややこしい。

 2人で昂汰くんを見送った。

 帰りの車で僕らはAJCのことを話した。メルボルンで毎年開かれているMJCではヨーロッパの人が呼ばれることが多いけど、AJCでは普通呼ばれるような国の人とは違う人を呼びたい、と言った。そして、何か違うものを見せて欲しいんだ、と。それは面白い。僕が呼ばれたのも納得がいく。韓国から来られそうないいジャグラーいないか、と言っていた。

 空港から家に帰り、パッキングをすませてメルボルンへ出発する。サイモンは、コンベンションのために一輪車を大量にシドニーの自宅から持ってきていた。それを全部入れるために、パーツを分解して隙間に入れて、30分ほどかけて一輪車、スーツケースなどすべてを積み込んだ。僕の座席は、後部座席の、荷物の隙間になった。ハリー・ポッターの階段の下の部屋みたいだな、とサイモンは笑った。

 ステゴとセリーヌに別れをつげて、家を出発する。まずは昨日までコンベンションが開かれていた会場に行った。すっかり片付けられており、ドアの小窓から中を覗くと、おばあちゃんたちがエクササイズをしていた。

 僕はサイモンに、メルボルンに行く道中でカンガルーが見られるか、と聞いた。

「それは、見られるだろうね……死んだやつかもしれないけど」

 メルボルンに着くまでに、道路の脇で死んでいるカンガルーを2頭見た。

 アデレードからメルボルンまでのドライブ中、時々、今どこにいるのかなと思ってGoogle MAPを開いた。その時ぐっとズームアウトしたら、シンガポールにお気に入りのスポットを表す星が見えた。日本にもたくさんある。ヨーロッパにもたくさんある。オーストラリアにはまだあんまりない。自分が辿ってきた世界が星になっているなぁ、と思った。

 今日はずっとドライブの日だった。僕は運転しているわけじゃないから気楽だけど、サイモンと、同乗者のディアナは運転をするので大変だ。僕は時々寝たり、日記を書いたり、スーツケースと一輪車に囲まれた個室の中で好きに過ごしていた。僕はこれからサイモンの両親の家に行く。

 朝早く起きてアデレードを出発したのに、こんなに時間がある、と地図を見ながら思っていたはずなのに、死んだカンガルーと、そして生きたカンガルーを遠くに数頭認めた以外ほとんど何もしないまま僕はメルボルンに入り、高架上から街を見下ろしていた。その姿がちょっと横浜に似ていて、ここが横浜だったらいいのに、と思ったが、別に横浜でもメルボルンでもどっちでもいいなと思った。むしろ、メルボルンだった方が嬉しい。なぜなら僕はまだメルボルンを一目も見ていないからだ。

 出国前、そんなにサイモンやサイモンの家族にお世話になっちゃっていいのか、と不安でいた。サイモンの両親の家に着くまで、まだ少しそんな気後れがあった。家に着いたら、車から降りるなり、白黒の中型犬がこちらに走り寄ってきた。わしわしと撫でてあげる。それからお父さんのマーヴィンが出てきた。ちょっと、ハリー・ポッターに出てくるロンのお父さんを思い出す、くたっとした風貌だった。元気一杯のサイモンと違い、穏やかで、でもサイモンと同じように人が良さそうだった。それからキッチンに行くと、お母さんのジュリーがいた。こちらは、キッパリとした態度の女性で、怖い人かと思ったんだけど、ただキッパリしているだけで、とても優しい人だった。ロンのお母さんを思い出す。ちょうどサイモンの弟とその彼氏も来ていたから、家族全員で夕飯を食べた。ラザニアとワイン、そしてデザートに、デーツプディング。とても美味しかった。そして、この2人だったら、ただ一緒にいるだけで、別に僕が何をするでもなく、喜んでここにいさせてくれそうだな、と思った。サイモンが、夜中にパンツ一丁で何かしてるなと思ったら、メルボルンでやることリストを作ってくれていて、「これがやることリストだ!」と言って一個一個説明してくれた。■