4月3日(水) つくり続ける運動

オーストラリア行きが近いなぁ、と緊張感があるけど、まだ2週間ある。普段の旅行だと、大体この緊張感を味わうのは5日前である。この日記をつけているおかげで、いつもよりも緊張が早く訪れている。いいことである。緊張感がないと、ものをつくるのは楽しくない。緊張感と楽しみが半々でブレンドされている時が一番いいものをつくる。

 朝7時に起きて、すぐにキッチンでコーヒーを淹れた。5時半に起きる予定だったが二度寝したのだ。でもいつもなら、あーあー、こんな時間に起きちゃってー、みたいな落胆を感じるんだが、今日はそんなことなかった。寝坊しているが、心は軽い。身体も軽い。

 キッチンにある電子レンジの上で多言語の日記をつける。これは昨日始めた日課。まず日本語で文章を書いて、それを機械翻訳を通し、さらに微調整を加えて手書きで書いてTwitterで発表するのだ。機械翻訳でもいい、と割り切っていて、それはこの習慣をつくった理由が、とにかくことばにふれること、だからだ。とにかく毎日その言語に触れたいんだ。そして、発表する、というのもミソだ。自分のためにやるとなると、どうも色気が出ないというか、よし、やってやるぞ、という気にならない。「ここはひとつ面白いものをつくったるぞ」という気になるには、その先で、見せる場所がはっきりしているのがいい。ジャグリングの演技をつくる上でも一緒かもしれない。そしてこの外国語練習方法は、練習が即作品になっている、つまり、実践で鍛えている、というところがいいのだ。

 電子レンジの上をスタンディングデスクにして立ち仕事をするのがすごくいい。余計なものが置いていない、というか電子レンジの上にそんな何もかんも全部置けないので、自然とパソコンやノートしか目の前にない状態になって、視界のノイズも少ないし、ちょうど目の前に窓があって外が見られるし、そこから陽は入るし、立っているとあまりのんびりYouTube見ようとか意に反して娯楽に堕する気持ちにもならないので(早く仕事を終わらせたい、という気持ちの方が僅かに勝つから)ちょうどいい。

 朝はしっかり晴れていたけど、すぐに曇り空になって、暗いなぁと思ったのも束の間、強い雨が降ってきた。一日家にいる口実になるのでよい。外が気持ちよく晴れていると、とりあえず外に出よう、とふらふらで歩いてしまうから、雨が降っていてコンビニにもおいそれと行けない、というくらいの天気の方が集中できてよいのだ。結局雨が降っていたせいで外でジャグリングをすることもなかったし、家でじっくり演技のことを考えるということもせず、パソコンの仕事をしたり、絵を描いたりしていた。絵は、少し大きめのものを描こうと決心して描いたら、面白かった。

 さて、こうして日記をつけているわけだが、これ、本当に本になるのかねえ、という気持ちが芽生えてくる。で、その「本になるのか」というのは、つまり「面白い本になるのか」ということを心配しているのである。でも、そんなの気にしてたら本ができない、というのが今の僕の結論である。面白いものをつくろうとしてやるんだけど、まぁ、結果、そんなに面白いもんでもなかったかねえ、ということの方が多くて、それがいい。とにかく伸びたいと思った方向に伸びていくこと、というのか、書きたいと思っているんだから書かせてあげる。本を出したいと思っているんだから出させてあげる、自分の欲の風通しをよくしてあげる、それが生きるってもんでしょ、という気分である。コンスタントにつくり続けている、というのがいい。つくり続けるという運動の中で、たまたま光るものが出てくる、というだけなんだ。週刊マンガ連載を考えてみればよい。あんなの、正気の沙汰じゃないだろ、と思うけど、でも、その流れの中にいるからこそ、面白いものが出てくるんだ。あれを、面白いものだけ決めうちで出す、みたいなことになってたら、できないに決まってるのだ。とにかく、つくり続ける運動の中に自分を置くこと。で、この日記も、描いて、本にして、10部でもいいから本にして出して、読めるようにする、という運動の中に自分を置くための訓練なのである。いいじゃん、これから月に1本、100ヶ月で100作品出すと思えば。

 そうだ、ジャグリングの演技をつくるのも、運動にしちゃえばいいんだ。月に一個は演技をつくる、というシステムをこしらえちゃえばいいんじゃん。で、その中で好きなやつは反復して練習して、レパートリーに加えていけばよい。そーかそーか。そういう運動にしていけばいいいんだ。またひとつ、この日記が役に立った。■