第2回 ちょっと気合を入れて、毎日定量を「つくる」生活

初出:2022年8月7日 note

 さて、今日も連載を始めていきましょう。なんだかワクワクしてきました。この連載、きちんと書き上げて、本にしたいです。「本をつくること」について書いた文章が、そのまんますぐに本になる、なんて面白いじゃないですか。直感で面白そう、と思ったアイデアは、なるべく形にしたいです。欲を言えば、本当に、面白いこと全部、やりたい、と思っちゃいます。ちょっと欲張りです。
 もちろん現実的に考えると、時間とか、お金とか、場所とか、とにかくいろんな要因で、全部をやるというのは、非常に難しいんですけど、でも、「何とかして面白いことを全部やってやりたい」という自分自身の声に素直でいてあげること、その声を無視しないであげることは、とても大事なんじゃないか、と思います。じゃないと、不健康になる感じがします。
 何にしても、自分がそういうふうに何かをやりたいんだ! とムズムズしていることは、わかっていた方がいい。それで、そのムズムズがあるからといって「気を逸らす」のではなくて、むしろ「とことん向き合う」ような方向で対峙してあげるのが理想です。とりあえずは作っちゃったらいいんじゃないか、と思うんです。それがダメだったとしても、まぁそれはそれでいいです。

 さてさて。僕の頭の中には、連載を始めるにあたって、最初に思いついた、書くためのタネのようなものがありました。そのタネとはこんなものでした。

 「つくる」という行為をもっと気楽に、たくさんやる方がいいのではないか?

 実際には、こんなにはっきりとした文章の形では現れていないし、もう少しニュアンスが違う形の予感でしたが、でも、あえて簡潔に言うならこういう感じです。この根幹には、僕がいつも抱えている、「不完全燃焼の感覚」がありました。これって何でしょうか。つまり、前回のキーワードで言うところの、「心のコリ」です。消費的に生きているなぁ、なんだか、全力で想像力を使っていない感じがするなぁ、という不満です。でも、具体的にそれをどういうふうに処理すべきなのか、いまいち自分でもわかっていないところがあります。
 それでは、文章を書いてそれをはっきりさせてみようじゃないか、そんな感じでスタートしています。でも、実際には、そういう「予感」は、書き始めの動機に過ぎなくて、文章というのはいつでも、思ってもみなかったところに進んでいきます。それがまた面白いところです。だから、どんどん進めていきます。どこまでいくでしょうか。

 昨日は、『ジャグラーのぼうけん』というたった数十ページの小さい本を作ったことが、いかに心のコリをほぐしたか、について書きました。今日はこの、心のコリということについて、もう少し立ち入って考えてみます。うまくいかないかもしれません。つまらない文章しか書けないかもしれません。でも、「うまくいかないかもしれない」と心配して書かないよりは、「うまくいかないかもしれないけどとりあえず書いて、うまくいかなかったらまた別のことを書く」方がいいですね。そのほうがはるかに健康です。とりあえず、作り続けてはいるからです。自分の思念が、何らかの形で具体化されてはいます。
 昨日だって、僕は四一六四字の原稿を完成させるのとは別で、二千五百字くらいの原稿を闇に葬っています。別に大した量ではないし、捨てているものが存在する、というのはまったく当然なのですけれど、そうやって、捨てるつもりでつくる、というくらいがちょうどいい。「少し過剰に書く」という態度も、特に心のコリをほぐしてくれるような気もしています。気楽にどんどん書いていくことで、没頭ができて、その没頭の時間こそがマッサージの時間でもあるからです。
 と言いつつ、一旦ここで何について書いたらいいのかわからなくなってきたので、ひとまず今起きていることについて書いてみます。

 朝起きて、洗濯をしました。そして絵を描きました。本当はそのまま起きていたかったのですが、ちょっとお腹の調子が悪くて、横になっていたらいつの間にか寝てしまって、パッと起きたら1時間くらい経っていました。シャワーを浴びて、身支度をして、家を出てバイクに乗って、僕の好きなカフェに来ました。
 ここは、僕が『ジャグラーのぼうけん vol.1』を書き上げたカフェでもあります。まだ覚えています。「今日なら書ける」という確信があって、朝の10時ごろにここに来て、集中して書き続けて、二万字弱の原稿を、19時までかかって一気に書き上げました。
 あの本は、大方の部分を1日で書き上げています。もちろんそれ以前の試作なんかを含めると数ヶ月はかかっているので、1日でできた本だ、というのではないのですが。それでも、これだ、と納得できるものを書くのにかかった時間自体は、その9時間でした。そんなものです。

 今日もそのカフェで、こうして原稿を書いています。もう2時間くらい経ちました。ちょっと途中で、買うべき家庭用プリンターをネットで検索して探していたので、書くのが遅くなってしまいました。いつまでもうじうじ悩んでいるのが馬鹿らしくなったので、適当に見切りをつけて、通販で買いました。でも、プリンターを買ったので、本をつくる準備も一応できました。

 さて、こんなふうに時間を浪費しているような僕ですが、実を言えば、これ以外にやるべきことだってあります。翻訳の仕事もあるし、配達の仕事もしないといけないし、日銭を稼ぐためにやるべきことがいっぱいあります。ちょっと焦ってます。でもそれでも「自分が思ったような創作の作業をする」という時間を持つことがやめられません。それ自体が、自分にとって何より爽快なことだからです。

 でも、やっぱり、適当なところで諦めて、仕事に出ないといけません。でもなるべく満足を感じていたい僕はどうするかというと、「とりあえず、まとまったものを作ったな」と思えるところまでは何かをやる、という作戦に出ています。それが駄作でも、駄文でも、とりあえずいいので、一区切り何かを作ったなぁ、と思えるようにします。そのためのキーが、「定量を決める」ってことです。この連載で言えば、四〇〇〇字、毎日のペン画でいうと、ハガキ大サイズ1枚です。
 そうやって一区切りのものをつくる、ということをしていると、時々、自分でも「お、これはいいなぁ」と思うようなものに出会えます。そういう瞬間を求めて、ただただ作っています。

 こうして色々と書いていますが、今僕の心の奥底では、まだなんとなく、くすぶっていることがあります。それは「なんだ、以前と同じことを書いているじゃないか」ということです。
 僕はこれ以前にも、このnoteを使って全十回にわたる連載文章を書きましたが、そこでも、何だか同じようなことを書いていた気がします。なので、自己模倣をしているような感覚があって、どうも気分が乗ってきません。それでも、書くと決めたので書いています。でも、いいんでしょうか。
 ねえ。こんなことを読者の方に聞いてもしょうがないんです。でも、思ったことをそのまま書く、というのがこの連載のキモなので、とりあえず聞いてみます。いいんでしょうか。くすぶった感情のことなんか書いちゃって。
 でも、こうしてあなたに問いかけてみてわかりました。いずれにしても、僕はこうして文章を書かない限り、「僕が以前と同じことを考えている」ということには気づけなかった、ということです。少なくとも、ああ、オレ、あんまり進んでいないなぁ、ということがわかりました。

 同じ問題に何度もマーカーを引いているようです。ポジティブに捉えれば。それはそれでいいです。大事な問題なのであれば、手を替え品を替え、何度も下線を引いたらいいんです。それが僕にとっての切実なテーマなら、何度でもそれについて書いたらいい。

 例え出来がそれほど良くないものであっても、それなりの形になっていると、なんかちょっと嬉しいです。こうして、自問自答みたいな文章を書いているだけでも、手作りでもいいから、本になったら、なんか楽しいです。そのために、こうやって、連載だ、とか言って、強制的に毎日四〇〇〇字分は原稿を書いていると、量だけは溜まっていきます。それなりのかさがあると、やっぱり面白いです。自分としても。あるいは満足できるのは自分だけかもしれませんが、まぁそれならそれで良いでしょう。そうだった場合の保険として、僕はこの本を、自分で、家庭用プリンターで印刷して、ホチキスで綴じて作るつもりです。変に印刷所に頼んで、百部単位とかで作らなきゃいいだけの話です。小学校の時に、自分で自由帳に漫画を描いていたのと同じです。そこに「それっぽいものがある」というのが面白いんです。

 でもどうでしょうね。大人になると、どうも、ちゃんとしたものを作らなきゃ、という気持ちばっかりが先行して、早々に諦めちゃうことが多いような気がします。あとは、時間がない、そう、時間がなくなっていくんです。小学校の時なんか、別にお金を稼がないといけないのでもないし、飲み会も行かなくていいし、とにかく自由時間ばかりはたくさんあったから、その時間で、ああ、そうそう、YouTubeもなかったですからね。とにかく暇を潰すのに、ゲームでもするか、さもなければ、何か自分で作っていました。なんか、そういう感じですよね。暇つぶしの時間がいっぱいありました。

 子供の頃と、大人になった今とでは、ちょっと状況が違います。でも、本当に自分がやりたいことの根幹って、実はあんまり変わってないんじゃないでしょうか。それで、大人になると、能力も上がるし、お金を使えるから、もっと大きいことができるようになっている。ノートに手書きで書き写すんじゃなくて、印刷所に頼んだりすることができる。パソコンで、うまいものが作れたりする。
 けど、そのせいで、逆に「しょぼいもの」とか「下手なもの」がどんどん立場を失っていってるような気もします。見る人が見たらまぁまぁしょぼいのかもしれないんだけど、自分がそれを作ったんだ、と思ったら、なんかちょっと面白いもの、ってたくさんあるはずです。僕は今、そういうもののことを考えています。この本も、それぐらいの気持ちで作っています。もしそれが面白くなったら、めっけもんだ、くらいの感覚です。ダメだったらまた作ればいい。■