週刊PONTE vol.87 2020/07/13

=== PONTE Weekly ==========
週刊PONTE vol.87 2020/07/13
===========================
—————————
PONTEは、ジャグリングについて考えるための居場所です。
週刊PONTEでは、人とジャグリングとのかかわりを読むことができます。
毎週月曜日、jugglingponte.comが発行しています。
—————————
◆Contents◆
・青木直哉…ジャグリングがつなげるもの Weekly 第70回「巻き戻すことはできないというだけでも」
・Fuji…第87回「仕事辞めました」
・ハードパンチャーしんのすけ…日本ジャグリング記 黎明編 第14回
・斉藤交人…釣り日記 ホ
・寄稿募集のお知らせ
・編集後記
—————————
◆ジャグリングがつなげるもの Weekly◆ 文・青木直哉
第70回「巻き戻すことはできないというだけでも」
この原稿を書いている日、スタジオジブリの『風の谷のナウシカ』を映画館で観た。
たまたま、コロナ渦の影響もあってか映画館でリバイバル放映をしているのだ。
実は、僕はこの作品を見るのが28年の生涯で初めてであった。
そして、僕はこの作品を映画館で鑑賞することができてよかったと思う。
もうさんざん人々の話題にのぼり、断片的な映像を随所で見るこの作品だからこそ、これを真新しい、鮮烈な映像として受け取ることは難しい。
だが幸運にも僕は、「さて何が起こるんだろう」と新作映画を見るような気持ちで座席に座り、迫力のある音と大きな画面でこれを観た。
小さな画面で、止めたり巻き戻したりしながら見るのとは全く違う、物語の軸の中に本当に自分がいるような気分だった。
子供の頃に現実と頭の中の創造をあまり区別していなかった時の、迫るような体験があった。
「巻き戻すことはできない」というだけでも、ずっと作品の印象は随分違って見えるものである。
その機を逸したらもうアウトだ、という緊張感って、最近少なくなったなと思う。
音楽にしても映像にしても本にしても、聞き流す、見流す、読み流すことが非常に多い。その実、ほとんどの内容が文字通り右から左へ「流れて」いる。
中学生くらいまでは、まだ生活の特別な瞬間が訪れるたびに「次はない」と意識していたんじゃないだろうか。
親に遠くに連れて行ってもらって、「今見ておかないと、食べておかないと」と真剣に体験しようとしたこと。
ラジオ番組を聞いていて、聞き逃したらそれっきりだったこと。
見逃したもの、聞き逃したものは、もう体験することができないと本気で思っていたのだ。
インターネットを利用したメディアとの関わりに、僕は危機感を感じているのだった。
いつでもアクセスできる、と思って後回しにして、結局開いていないページなんてIKEAの倉庫30個分くらいある。
YouTubeに一体僕は何百時間提供したのだろう。そのうちのどれだけが自分を希望の方へ導いてくれる体験だったろう。
コンピュータのいいところは、アクションの再現が非常に容易で、アーカイブへのアクセス性が高いことだ。
しかしその分、僕には指先でサーバー上から取り出す能力があるというだけで、自分の血肉にはおよそなっていない情報というのが山ほどある。
いつでも戻って来られるということは形骸的に便利だと言える。しかし「いちどきり」というたとえ仮想だとしても本気の体験をなくし、質を著しく低下させることがある。
もちろん古典的な議論ではあるが、本気で「これを逃したら次はない」と思っているからこそ出せる集中力と吸収力は、やっぱりある。
そう思うと、今までしてきた旅の中で特に印象に残っているのは、やはりヨーロッパに初めて行った年の旅のことだ。
もう次に来るのはいつになるかわからない、と思っていたし、こんなに素敵な体験をしているのは俺だけなんじゃないか、と、はちきれそうな想いを噛み締めていた。
身をもってただその時を感じるしかない、と緊張感を持つ体験だったから切実なのだろう。
もう少しで30歳だという歳になって、巻き戻すこと、再現することはお金や技術でできる、と高をくくっている自分がいる。
時に僕は、ものすごく悔しい思いでそれを振り返ることがある。
—————————
☆勝手にPM Jugglingを紹介するコーナー☆
https://pmjuggling.com/blogs/journal/20200711
【Weekly PM】#21:心地よさ
「でも、otomodamaをつくって販売することでわかったのですが、ビーンバッグで喜んでもらえるのって本当にうれしい。」
(記事より抜粋)
ブックデザイナーの祖父江慎さんがラジオで「正円が怖い」という話をしていた。
「何もずれていなかったら、死体的っていうか、死んでいて、おまんじゅうでもなんでも、重力に引っ張られてる方が、美味しそうで、関係を持ちたくなるじゃない」というようなことを言っていた。
これってジャグリング道具でもやっぱり感じるところがある。
なんだか、形がより有機的である方が、落ち着く佇まいである。
完璧に丸いボールって、人間の体に100%馴染んでない感じがする。
それが悪いというのではない。ただ、それを「どうもしっくり来ない」と思う時も多々ある。
—————————
◆フジづくり◆ 文・Fuji
第87回「仕事辞めました」
先日、6年弱働いていた勤め先を辞めました。7月7日、七夕の日に。
メルマガでも時々書かせていただいたのでご存知の方もいらっしゃると思いますが、職場環境における精神的ストレスが限界を超えに超えてしまったことが原因です。まさかこの職場で人間関係が原因で辞めるとは思わなかったですが、体調不良が続くようでは仕方がありません。
以前、企画書のお話などもしましたが、それに対する表彰などもありました。結果的にはささやかなアイデア賞をいただいたくらいでしたが、社長からは約700件ほどあった企画書の中で一番出来の良い企画書だったという有難いお言葉はいただきました。
そして、自粛期間中に企画書や意見書を提出したことをきっかけに社長から会食をしたいというお誘いを受け、先月末に2人で会食しました。入社して初めての年にスタッフやその家族の前でジャグリングを披露したことをきっかけに、アルバイトにも関わらず社長からは気にかけてもらってはいました。なので、一度じっくりとお話はしてみたかったそうです。
職場の現状や会社の将来、そして退職の件などをお話ししました。社長の考えや意思は自分と共通するものを感じましたが、ロールモデルとしたい人は現場の上司に誰一人としていませんでした。社長からは本社で社員としてはどうかとお声を掛けていただいたり、メールでも「一番期待している」「一緒に働きたい」「取締役4人も気に掛けている」など身に余る大変有難いお言葉をいただき、トップの方々には努力を評価され、認めてもらえているということを知ることができました。
ただ、退職の理由も含め、ここまでくると、本当に自分がしたいことがなんなのかすら分からなくなってしまいました。今回もまた安定を求めた道を進むのか、あるいは、自分のやりたいことを一から見つけ、新しい道を歩むのか。現在、有休を消化しながら悩み中です。やりがい、生きがいというものを喪失している今、再スタートするために自分と向き合う作業が必要になっています。ただ、今はそれすら考える思考が止まっています。これから自分は本当の自分を見つけていけるのだろうか…。
by Fuji
製作物
・PM Juggling 「otomodama」持ち運び用の巾着ケース 製作 by Fuji
https://pmjuggling.com/product/otomodamaset/
—————————
◆日本ジャグリング記 黎明編◆ 文・ハードパンチャーしんのすけ
第14回
承前。
パッシングマシン 吉野くん。
吉野くんは、飽きることなく、こちらが音をあげるまでパッシングを続ける。相手が音をあげれば、続いて次なるパートナーを求めて移動する。
例えば文化祭などを控えた時の練習などは、具体的な目標を定めてひたすら練習に励むことはあ るでしょう。それが結果として一日中ということもしばしばある。 けれども吉野くんは、何かを達成する、というのではなく、ひたすらにパッシングを楽しんでいた印象。
吉野くんは、いつもニコニコと近づいてくる。
「ねぇ、パッシングしようよ」
その純粋さがなんとも眩しい。うん、好きなのだろなパッシング。
いつしか「マシン」という言葉には、疲れを知らず精緻な(単一の)ジャグリングを続ける様という意味も込められるようになりました。
以前書いたように、マラバリスタには「マスゲーム」という伝統芸がありました。そして、学園祭でステージ各回のトリを飾るのは、パッシングであることがほとんどでした。
また当時、大道芸とジャグリングは密接に絡み合っていて、マラバリスタにも大道芸で活動する人たちが少なからずいました。そして、それはだいたいコンビ。現在マラバリスタ現役で大道芸人は聞かないので(ぼく が知らないだけかな)時代が違う感じがしますが、当時はパッシングと大道芸の繋がりは密であったように思います。
そこで活躍するのが、吉野くんです。 吉野くんはたくさんの練習相手を務め、パッシング技術の向上に大きく貢献したのです。
何せ吉野くんは数学科。数学科は駒場にあり、駒場はマラバリスタの本拠地。吉野くんが何年駒場にいたのかは正確にはわかりませんが、少なくとも10年近くは練習に参加していたことと思います。学生サークルは卒業などによって、文化が変化してゆくのかな、と思うのですが、そこに長きに渡り「パッシングマシン」として居た吉野くんは、The Pastelsへと続く土台となり、マラバリスタのパッシング文化を築いたひとりなのだと思います。
今回、ジャグリングと大道芸について、ちらりと触れました。 次回からは、そんなことを書こうかと思います。
—————————
◆釣り日記◆ 文・斉藤交人

ジャグリングの良いところっていろいろあるじゃないですか。野球みたいな人数がいなくてもできるし、テニスみたいなコートがなくてもできるし、道具もスキーをやるのに比べたらとっても安いですよね。
家の中でひとりでもできる、というのはジャグリングでポイント高いと思ってるんですけど、まぁできることなら体育館とか広いところで練習したいですよね。できることなら、体育館とかでわいわい練習するのがいいよね。でも、普段はどうしても家の中でひとりでできてポイント高いです。別に友達がいないとかそういうのじゃないからね。
家の中で練習するときの注意点は、物を壊さない、壁ドンされない、汗かきすぎないの3つのナイですね。だいたいみんなやってるんじゃないかな。壁ドンはされないけど、下の階からユカドンが来ることあって、あれ困るじゃないですか。家で汗をかくのはなんでダメかっていうと単純に洗濯物が増えるからですね。洗濯面倒ですよね。
物を壊さないようにしてもこれがなかなか難しい。室内でディアボロをやっていると、コップ、どんぶり、照明カバーくらいはやっちゃいますね。あと壁の線とかね。窓は意外と丈夫なんだなと感心するんですが、ハンドスティックがこすると傷はつきますね。リリースを家の中でやるなって。
それで、室内で一番危険なのはやっぱりポイじゃないかと思うんですよ。たいての家具を倒して壊すのもあるんですが、危ないと思って引っ張りすぎたときに自分を直撃するんですよね。どことは言わないんですが、野球のキャッチャーの気持ちがわかるときがありますね。ひとりで、しばらくうずくまってます。

◆寄稿募集のお知らせ◆
週刊PONTEに載せる原稿を募集します。
800字以内でお書きください。
編集長による査読を経たのち掲載。
掲載の場合は、宣伝したいことがあればしていただけます。
投稿・質問は mag@jugglingponte.com まで。
締め切りは、毎週金曜日の23:59です。
◆編集後記◆ 文・青木直哉
-FujiくんにはとりあえずUber Eatsを体験してもらいたいです。
-マラバリスタのパッシング文化というのは前々から知っていましたが、一人の方が発端だったかもしれない、というのは驚きであると同時に、確かに大きな文化も、元々は一人の突出した、異常なほどの偏愛の伝播だったりするんだろうな、と思う。
-なんか、ディアボロやっていても、これ、当たるよなー、とか、夜だしうるさいよなー、とか、全然わかっているんだけど、やっている最中は「でも多分ぶつけない」とか「あんまり落とさないだろう」とか不思議と思っているんですよね。迷惑な話です。
-『ナウシカ』って実にいい映像ですね。音楽もよかった。あんなに「攻めた」印象があるとは思わなかったです。劇場が初体験だったのはやっぱり幸運で、逆にここまで幾度となく「金曜ロードショー」をかいくぐってきたかいがあったなと割と本気で思います。別に避けてたわけじゃないんだけど。
また来週。
PONTEを読んで、なにかが言いたくなったら、mag@jugglingponte.com へ。
<END OF THIS ISSUE>
発行者:青木直哉 (旅とジャグリングの雑誌:PONTE)
Mail info@jugglingponte.com
HP http://www.jugglingponte.com
Twitter https://twitter.com/jugglingponte
Instagram https://www.instagram.com/jugglingponte
読者登録、解除、バックナンバー閲覧はこちら。
http://jugglingponte.com/e-zine
【週刊PONTEは、転載、転送を歓迎しています。ご自由にシェアしてください。】
========== PONTE Weekly ===