週刊PONTE vol.105 2020/11/16

=== PONTE Weekly ==========
週刊PONTE vol.105 2020/11/16
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PONTEは、ジャグリングについて考えるための居場所です。
週刊PONTEでは、人とジャグリングとのかかわりを読むことができます。
毎週月曜日、jugglingponte.comが発行しています。
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◆Contents◆
・青木直哉…ジャグリングの雑想 4.朝の研究
・ハードパンチャーしんのすけ…日本ジャグリング記 黎明編 第31回
・寄稿募集のお知らせ
・編集後記
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◆ジャグリングの雑想◆ 文・青木直哉
4.朝の研究
このところ毎朝早く起きてボールペンで絵を描いています。
僕はこれを「研究」と呼んでいます。
絵を描き始める時には、まずiPadで写真を選びます。
今のところ、海外で見た景色を題材にすることが多いです。
写真を決めたら、無印良品で買ってきたクリーム色の葉書に、黒の0.38mmのボールペンを使ってそれを写していきます。
ただ写実的に写す、という意識だと進歩の方向性がよくわかりませんから(ただ漠然と写実的にコピーするぐらいなら写真の方が良くなってしまうし)意識していることがあります。
それは、自分の中で「こういう質感についてはこのような記号にして描き写す」という法則を打ち立てることです。
たとえば、実際に生垣を見た時のような感覚を呼び起こすにはどうすればよいだろう、ということです。
僕が絵を描いている時、なんだか、地図のことが思い起こされます。
地図には地図記号が載っていて、それによって現実のある強調させたい側面が浮き彫りになります。
ボールペンでインクを紙に載せることによって、自分が見た景色の、ある限定された側面を明示的に浮かび上がらせたいと思っています。
なんだか素人のたわ言のようですが、でも、いいのです。ただの趣味だし。
そして、こういう、方向性のはっきりした「研究」をする時間というのが、長らく欲しいものだったんだな、と感じています。
これはジャグリングでも実現したいと思っていたことのひとつです。
ある人のジャグリングを「いいな」と思うのは、その技術が自身の研究に基づいているということが伝わる時です。
この人は、自分が納得するまでこの技術の習得に時間をかけたんだ、と思います。
その時、演者が通ってきたであろう「研究」の道筋を思って、僕もそんなことをしたいな、とインスパイアされるわけですね。
ひとまず僕は、ジャグリングという形ではありませんでしたが、朝、そういう研究の時間を持てることに今、非常に満足しております。
早起きすると気持ちいいしね。
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先週の青木の「3.浅草でスペインのジャグラーに会う」という記事を受け、大学のサークル時代の友人からメールが届き、自分のエピソードをシェアしてくれました。
とても嬉しかったので、ここに一部をシェアします。
(以下引用)
こないだ友人の結婚式で初めてジャグリングを披露しました。
クラブパッシングでしたが、実はサークルの現役生の間に人前でパッシングを発表したことはなく、なぜかサークル引退後になってから難しいことにチャレンジしたことになります。
パッシングなので、同じサークルだった友人と、合わせて2週間以上の練習をしました。
そんなに持久力もないので雑談をしながら、練習場所も試行錯誤しながらの日々でした。
その友人とこんなに毎日一緒にいたのは初めてで、でもなんだかサークル時代にタイムトラベルしたような、不思議な時間の流れかたでした。
本番が終わった後、見てくれた子に「無謀にも現役の時より難しいことにチャレンジしてみた」という話をしたら、
「続けていたからできるんだよ」と言われて、ああ、続けているのか、これは。と思ったのでした。
(引用以上)
嬉しい、嬉しい。
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☆勝手にPM Jugglingを紹介するコーナー☆
【Weekly PM】#39:『今日の芸術』を読む
https://pmjuggling.com/blogs/journal/20201114
「お店としてやるうちに、中途半端にうまくいったりして、そして人に合わせようとするうちに、段々とそういう気持ちが薄れ、なくなってしまっていた。」
(記事本文より)
この記事を読んでいて、僕は坂口恭平という人を思い出しました。彼もやはり、「自分がしたいこと」が常に中心にあって、それをただ遂行する姿が結果的に人の奥にある欲を喚起して、彼の周りの経済がきちんと回っている、という感じがします。自分のため、というのがどういうことなのか、じっくり考える時間を持てるのはいいですね。
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◆日本ジャグリング記 黎明編◆ 文・ハードパンチャーしんのすけ
第31回
(前回までのあらすじ)
大道芸を観に井の頭公園を散歩するのが週末の習慣であったハードパンチャーしんのすけは、ある時、シェーカーカップ(まだその名も知らない)に出会った。あちこちを探し回った末に、デュべのカタログの片隅に求めてきたものを発見し、注文した。
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ついにその日がやってきた。
長い船旅の果て、若干くたびれた感のある段ボールの中に、ピカピカに光るシェーカーカップがあった。
さっそく体育館のマットが敷いてある場所へと行く。
使い方がいまいちわからない。
しかし、幸運なことに、その日はクラウンとしても活動していた先輩が来ていた。クラウンの芸として初歩的な技を知っていたその先輩が、簡単に手本を見せてくれた。すると、物珍しさに他のひとも数人集まって来る。まだ大して触らぬうちに、「ちょっと貸して」と、声がかかる。
そして、練習を始めて程なくして、3カップのオールリリースを決めたひとりの先輩は、
「こういうのは気合だよ」
と言って、颯爽と去って行った。なんだか、悔しい。
そこからぼくのシェーカーカップの練習は始まった。「気合だ!」と思いながら、練習を重ねていた当時のぼくは、素直だったのだな、と思う。
気合が必要なのにも訳がある。
当時のシェーカーカップは、とにかく重かったのだ。当時は当たり前と受け止めていたものの、後年モデルチェンジがされる度に軽量化され、「うん、あれは重すぎだった」と今では思っている。筋肉がしっかりとついていないと、4カップオールリリースは至難の技だった。(思うと、当時の道具は、だいたい今よりも重かった。クラブも軽量化の方向に進んだように思うし、デビルスティックもやたらと重かった。)
あまりに重くて、シェーカーカップを足の指に落とした時には、大惨事。親指の爪は真っ黒になり、しばらく痛んだのが思い出だ。
余談だけれど、シェーカーカップは、ジャグリングの道具の中で、一番モデルチェンジが多かった道具ではなかろうか。耐久性のある、良い形の物がなかなか見つからなかったのだろうな。
シェーカーカップを巡る話、もうちょっと続きます。
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-編集長コメント-
僕もギリギリ、ヨーロピアンクラブというちょっと重めのクラブを持っていたのを思い出した。
ネット時代より前の海外輸入、って今よりももっと興奮しただろうなぁ。
https://twitter.com/shinnosuke_hp
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◆寄稿募集のお知らせ◆
週刊PONTEに載せる原稿を募集します。
800字以内でお書きください。
編集長による査読を経たのち掲載。
掲載の場合は、宣伝したいことがあればしていただけます。
投稿・質問は mag@jugglingponte.com まで。
締め切りは、毎週金曜日の23:59です。
◆編集後記◆ 文・青木直哉
-そろそろ原稿を増やしたいですね。
また来週。
PONTEを読んで、なにかが言いたくなったら、mag@jugglingponte.com へ。
<END OF THIS ISSUE>
発行者:青木直哉 (旅とジャグリングの雑誌:PONTE)
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