5月18日(土)

 朝はゆっくり起床。夜中、いつもさびしそうな顔をした黄色いトラ猫バンディードが、くるるんと鳴きながら、僕のベッドの上に乗っては、少し一緒に寝て、またどこかに行って、というのを繰り返していた。だけど酔いが回っていたし、特段早く起きる必要もなかったのでぐっすり9時ごろまで寝た。ベッドは真ん中が固くて両サイドが柔らかいという変な作りで、寝やすいかと言われたら全然そんなこともないんだけど、もうすっかり慣れて快適に眠っている。でも僕は今日ここを去る。

 前日に話していた通りに、カタリーナと一緒に歩いて近所のグラウンズという名のカフェまで行くことにした。テイクアウトのコーヒーを買うのだ。

 昨日までとはうって変わって、空気が冷たい。飲み歩きと仕事の疲労と気温差のせいか、カタリーナは鼻をすすっている。カタリーナは、おお寒い、と言いながら笑っていた。

 10分も歩かずにカフェに到着。工場の跡地をファンシーなカフェに改装してある。サーカスがテーマになっていてまるでディズニーランド。カクタスケーキ、と銘打ってサボテン様の形をしたクッキーの乗ったケーキも売っていたけど、どうみてもそのシェイプは緑色のミッキーマウスで、怪しさと華やかさがあいまった不思議な空間だった。

 アレクサンドリア、というサイモンとカタリーナが暮らす地域は、もともと工業地帯だったところで、稼働しなくなった工場がたくさんあり、その跡地を利用した施設が多い。そういえば昨日歩いていてたまたま見つけた、汽車の車体を造る工場を改装した施設なんか、カッコよかったなぁ。

 途中でスーパーにも寄って、僕は最後のお土産を、カタリーナは朝ごはんを作るのに必要な材料を、それぞれ買って、家に帰ってくる。猫ちゃあーん、とカタリーナは毎回帰宅のたびに叫んで猫との再会を喜ぶ。猫に話しかける時だけカタリーナはスペイン語を使う。僕も猫に話しかける時は日本語を使う。そうなっちゃうのだ。ははあ、こうしてバイリンガルの家庭の子供は複数言語を習得していくんだなぁ、と思う。ああ、かわいいなあ、と思ってそれをただ一方的に伝えようと思ったら、母語になるんだ。伝わる伝わらないに関係なく、とにかく自分がこう思っています、と表現するのには、母語が使われるんだ。

 カタリーナがアレパ、というコロンビアでよく食べられているという料理を作ってくれた。トウモロコシの粉とチーズと少量のミルクを混ぜて生地にして、パンケーキ状にし、それをバターで焼いたもの。添え物として、ネギとトマトのみじん切りをハーブを混ぜた卵で柔らかくとじたものを作ってくれた。最高に美味しかった。オーストラリアで食べた手料理の中で一番美味しい。

 サルー、とジュース同士でカチンと乾杯して、10時半ごろになっていたから、これはブランチだ。一緒に食べる最後のご飯。

 お腹いっぱいになって、しばらく話したあとに、カタリーナはソファに横になってジョージ・オーウェルを読んだり、猫をなでなでしたり、ヨガをしたりしていた。僕はずっと、日記を書いたり、絵を描いたりしていた。はっと音に気がついた時、外は暴風雨だった。溜まっていたゴミをアパートの下まで一緒に捨てに行って、それからまた僕は淡々と絵をたくさん描いた。もう外に出る必要もない、ただ旅のことを思い出していようとおもった。

 そして午後4時、カタリーナが家を出る時間になった。僕の出国便は夜9時発だからまだまだ時間はあるが、もう空港に行ってしまおう、空港でゆっくりものを作って過ごそうと思った。最後に、猫のスモーキーとバンディードを一枚に収めた絵をあげた。とても喜んでくれた。僕は絵を描いてプレゼントすることがどんどん好きになっている。毎日絵を描いて修行してきてよかった。うまくなったわけではない。ただ、自分の描ける絵を人に差し出すことに抵抗がなくなっている。それが一番いい。

 まだ雨が降る中、傘を出してバス停へ。ちょうどカタリーナと僕は同じ駅を使うから、同じバスに乗る。10分ほど乗車して駅に着いた。ホームが反対だから、ここでお別れ。オーストラリアで最後にお世話になるのがこの人でよかったなぁ、と思った。気が楽だった。

 電車に乗り、空港に。たった3駅。

 国際ターミナル出発ロビーに到着。まだチェックインが始まっていないから、ハングリージャックスというオーストラリアにはどこにでもあるハンバーガーチェーンでチーズバーガーのセットを頼んで食べた。これもまた美味しかった。そしてまた絵を描く。

 寂しいのかな。嬉しいのかな。日本に早く帰りたい。友達に会いたい。猫のぽんちゃんに会いたい。ラーメンが食べたい。なめこの味噌汁が食べたい。

 なんの目的もなく、ひとつの国に一ヶ月も滞在していたのは実に久しぶりだ。前にこんなことをしたのはいつだったろう? あるいは、こんなことをしたこと、なかったかもしれない。どうだったろう。

 日本にいることにも、別に目的はないよなぁ、とおもう。意味も目的もない。ただ存在するだけだ。でも理由がないというのは所在ないから、なんとなく今の暮らしというものが定位置で、それは自分の基盤だ、というふうに、戻るべきものだ、というふうに思い込んでいるけど、別に普段の暮らしにも、無目的な旅にも、必然性なんかどこにもない。そういえばカタリーナは、昔、サイモンと出会う前、別の人と付き合っていたころ、オーストラリア中をキャンピングカーで旅していて、最後は田舎町のブルームに家を持っていたのだと言っていた。それが今やサーカスの世界に足突っ込んだり、シドニーでオフィスワークしたり。で、9月にはサイモンと結婚するんだけど、なんだかねえ、人生、ほんと何が起こるかわかんないわよ、としっかり僕の目を見つめながら、ビールを飲んで、ニヤリと笑っていたな。何が起こるか、わからない。

 AJCでワークショップをすること、演技をすることについて僕はずっと不安だった。そうだ、不安だったなぁ、と今思い出す。そして、オーストラリアの物価が高いことにも不安を覚えていた。そうだったそうだった。そして、いくらサイモンが、俺の家や実家や友達の家に泊まったらいいよ、と言ってくれたにしても、さすがにずっと誰かの家に泊まって過ごすことはできないだろうと思っていた。1度や2度くらいどこか自分で宿でも取ろうと思っていた。

 全部、忘れてた。

 事前に抱いていた不安、全部杞憂だったな。でも、ひとは不安になるんだ。僕はまた、この夏に行くヨーロッパの旅のことを考えて不安になっている。不安になる気持ちも、抑えてはいけない。だって、人が不安がっていたら、とりあえず、どうしたの、と聞くだろう。自分にも、そんなに不安がってどうしたの、と聞いてあげたい。そしたらなにか、一緒に、少しでも元気になって、やる気が出る方法を考えられる。

 何かを成し遂げよう、という思いが不安を起こさせるのかもしれない、と思う。成果をあげよう、失敗をしないようにしよう、と、身体がこわばってる。

 でも、僕は今、なんか、別の道を前に進みたい、分かりやすい前後のはっきりした道以外に、もっと信頼のおける道を見つけたい、という気分でいる。そして見つけたら、その道を真剣に邁進したい。とことん邁進したい。

 今までの32年間、そしてこれからも死ぬまで付き合っていくこの自分の身体と精神を、どうやったら心地よく満足させ続けられるか、それだけかもしれない。それは、間違いなく自分にとって一生信頼できる軸だ。

 僕はこの日記を、シドニーをすでに出て、羽田空港へと向かう飛行機の中で、23時半、iPadで打っている。この旅行の、最後の時間だ。

 ただ、自分に嘘をついていないということを文章の基準にしよう、と思った。誰かに面白く伝えよう、と頑張るのではない。ただ、自分がまだ知らないことを知るために、文章を書こう、と思った。

 もう書きたいことはないかな? もっとあるような気もするけど、僕は今、機内で観られる映画が観たい。そして、もう今日の文は充分書いたと感じている。充分に書けたら、あとは映画でも見よう、と思っていたんだ。仕事のご褒美のようなものだ。こうして、自分が納得できる量を大体把握して、そこまではちょっと頑張って、それを終えることができたら、気兼ねなく思い切り遊ぶ、そういう、息を吸って、吐いて、またよく吸って吐く、みたいな感じで、生きていたいなと思う。

 よし、いいでしょう。では僕はこれから、『落下の解剖学』という映画を観る。そして、眠くなったら、寝るんだ。オーストラリアで出会ったみんなに、ありがとう。おやすみなさい。■