3月29日(金) 暴風雨、ポッドキャスト

 早速、この日記で何を書きたかったんだっけ、と忘れている。昨日の日記を読み直すと、僕が書きたいのは、こういうことだ、とある。

 「『オーストラリアに行く』ということへの不安と、それに対して何をしているのか」

 あ、そうか。

 僕はあと3週間でオーストラリアに行くんだった。そうでした。書いておいてよかった。僕はこれを度々忘れる。本気で忘れる。それで数日経って、あ、そういえば、とスケジュール帳を見直して、やばいやばい、オーストラリア行くんじゃん、と焦るんだ。これを何回も何回も繰り返す。僕はどんな旅行でも、これをやっている。で、直前になって、ああ、もうあと一週間じゃないか、なんでもっと早くいろんなことに取り組んでおかなかったんだろう、と後悔するんだ。いっつもそうだ。だから今回は、こうして日記という形で考えることを継続させよう、とそういう魂胆なのだった。はいはい、そうでした。というわけでこの日刊連載という形式をとっている。この将来本になる原稿は、旅行からより満足して帰ってくるための計画の一部、計画書のようなもの、考える時間を確保するためのツールである。

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 金曜日、ポッドキャストを収録した。朝、暴風雨が吹き荒れる中、iPadでズームを繋いで、収録した。その収録の最中、自分の考える過程を本にしたい、という話が出た。それで、この本にする日記を書いている。こう書くと、ちょっと順序がおかしいような気がするが、木曜日の分の日記を書いたのは実際には昨日、金曜日なんだ。だから、ポッドキャストを収録した後に、前日の日記を書いていた。時系列として正しい。で、今は土曜日の夜。本来だったら金曜日の夜に書くつもりだった日記を書いている。そんなわけで、金曜日の朝のことが出てきていて、つまり……ゴニョゴニョ、まぁとにかく、ポッドキャストがきっかけで、今、本にするための日記を書いている。それが大事なこと。ぐだぐだと細かい話をしてもしょうがない。オーストラリアでのワークショップ、並びに、演技を作る上で役に立つことを早く話し始めましょう。

 僕のここ数年の関心は、ジャグリングをどう人生に組み込むか、ということにある。そして、そもそもなぜジャグリングを人生に組み込んでいるのか、ということにある。

 ジャグリングは、なんでかわからないんだけど続けている。なんでかなぁ。まぁでも、楽しいからだよね……くらいの理解だと、満足できない。それを、そのジャグリングをしている理由を自分で知るために、こうして文章を書いている。ジャグリングのフェスティバルに参加するためにオーストラリアに行く、なんてことも、僕にとっては「なんでだよ」と、まったく納得できていないのである。別に、オーストラリアへの旅に限った話ではない。僕はジャグリングに関わるほとんどについて、それが僕の人生に絡んでくる「わけ」を、全然納得していない。なんでいまだにジャグリングをしているんだ、なんでジャグリングのポッドキャストなんかやっているんだ、なんで雑誌なんか作ったんだ、なんでインスタグラムに載せるんだ。

 すべてのことが、僕にとっては、何か納得できる理由を要することである。楽しいから、でもいいんですよ、いいんだけど、それ「だけ」じゃダメで、その理由をゆっくりゆっくり、自分で理解したいなと思っているんである。

 で、その延長で、こんなことを思う。どうジャグリングを練習するかは、「ジャグリングが自分の人生にとって何であるか」ということと地続きであるなぁ、と。僕はこれ、すごく大事なことだと思っている。ディアボロを持って外に出る。カバンからディアボロを取り出して、とりあえず回して、お馴染みの技をやる。でも、それだけじゃつまらないので、何か別のことをしよう、と思う。問題は、その時起きる。

 次にどういう方向に行ったらいいだろう? と迷うのだ。

 その時、次に取り組むことを決めるために、「最終的にどうなりたいのか」と考えるだろう。練習というのは、ある結果を期待して、その結果に向かって何かのステップを踏むということのはずで、こうありたい、という目標がなかったら、そもそも練習なんて成り立たない。

 つまり、今やる練習について考える、ということは、即、それがもたらす結果について考えること、である。それがもたらす結果、というのは、自分の人生を形作る要素である。どう人生の暇をつぶすか、とも言い換えられる。そしてそれは常に漸次的な解であって、明日はまた変わっている。それについていつでもモニタリングすること。

 ジャグリングの既存の技をなぞるような形でスタンプラリーみたいにそれらを習得していくときも、独自の動きをやりたい、みたいに思う時も、どんなケースも、それは人生の有り余る時間をどうつぶすか、ということの、「現段階で自分が一番しっくりくる解」であるべきなのである。ジャグリングを使って、どう人生の時間を埋めていくか、ということだ。で、そのなんとなく感じている最終目標が、トリクルダウンしてきて、今この瞬間、ジャグリング道具を持って、それをどう扱うか、ということに凝縮されているんだ。■

2024年4月2日 加筆修正