シルク・ドゥ・ソレイユ『TOTEM』にも出演したジャグラー、トム・ウォール氏が、ジャグリングの歴史をたどる本を上梓。その名も、
非常に優れた本でした。編集長による書評です。
『ジャグリング』はいつ生まれたのか
「ジャグリングはどこの国が発祥で、いつからあるのか?
こんな疑問を持ったことがあるだろうか。さて、と腕組みして考える。
ジャグリングはどこで生まれ、いつから存在したか。
もちろん、ホモ・サピエンスが地上に現れた時から、我々人類は、「モノ」と共にあった。石を弄(もてあそ)んでみたり、ちょっと変わった木の棒の使い方を披露してみたり、そういう「技巧的なモノの扱い」という意味で「ジャグリング的な行為」は、有史以前から脈々と存在し続けたはずである。それは疑いの余地なく、真実だろう。ジャグリングは、人類の歴史と同じくらいだけ長く存在してきた。
……いや、しかし、「ジャグリング」= ”Juggling”という単語を用いて、現代の私たちがくくっているような分野を指すようになった歴史、となるとどうか。ずーっと昔から、そう呼ばれてきたのだろうか。ところが、これが意外にも最近の話なのである。
ジャグリングの「始まり」と本書の構成
本書は二部構成である。各国に存在してきた「ジャグリング的なもの」を紹介する前半。そして近現代的な「ジャグリング」という言葉の使われ方の歴史を述べる後半。前半では古代エジプト、古代ローマからインド、トルコ、中国、日本、果ては南太平洋の島、メキシコ、ヴァイキングなどなど、数多くの地域と文化圏の文献にみられる「ジャグリング的なもの」を紹介する。そして、歴史に関連づけて、ちょっとした面白い話も随所に差し込まれる。たとえば「マラバリスタ(西/葡)」という単語が、インドのマラバール海岸の人々と関わりがあったポルトガル商人発祥で使われるようになった言葉だ、など。
▼本書に登場する写真の一部(写真提供:Thom Wall)
そして次に、物を技巧的に投げて取る芸が「ジャグリング」という名前で呼ばれてきたのは、どれぐらいの期間のことなのか、ということに関する考察が述べられる。そこで参照されるのが伝説的ジャグラー、ポール・チンクェヴァッリ(Paul Cinquevalli)である。
チンクェヴァッリは、物を器用に扱って披露する自分の芸は、「鍛錬によって培った技術」であり、「タネも仕掛けもない」ことを強調した。そして、他に類を見ない高度な技で、世界に名を馳せた。記録によれば、彼の死後「サッカー界のチンクェヴァッリ」というような言い方も一般的にされたほどの有名人だったらしい。そしてチンクェヴァッリが登場する以前は、実は「ジャグリング」という言葉は、エンターテイナー全般を指して、つまりマジックなども含めてすべて「ジャグリング」(とそれの祖先に類する単語)を用いて呼ばれていたようなのだ。それがついに、チンクェヴァッリの時代を境に、今日的な「ジャグリング」という意味の囲い方を獲得した。それが20世紀の初頭前後の話。
つまり「ジャグリング」が純粋に物を投げて取る行為のみを指すようになってから、まだ100年と少ししか経っていない。これは一つの例に過ぎず、本書にはその他にもジャグリングに関わる歴史物語の紹介や考察が、多彩な写真とともにテンポよく、かつコンパクトに進められ、非常に広範な地域からの参考文献や資料がまとまっている。
これからの「研究の裾野」
ではこの百数十ページの本に、どれほどの内容が詳しくまとまっているか。本書が開いた広大な「ものを投げては取る技術」の歴史の世界は、あまりにも範囲が広い。まだまだ、本書が拾うことのできなかった歴史もたくさんある(が、それでも、これほど多くの情報をジャグリングの視点からまとめた本はかつてなかった)。だがそれは当然、著者であるトム・ウォール氏も承知の上。まずは研究の裾野を作り出す目的でこの本を書いていることを、本書冒頭で明言している。
I challenge future writers on juggling history to dig deep – to find forgotten primary texts and continue to fill in the gaps our knowledge. This book is a step toward a better understanding of the history of the juggler, but the work is far from complete. (p.10)
「これからジャグリングの歴史を紐解いてゆく方々には、さらに深い追求をしてほしい。誰も知らない一次資料を探り当て、私たちの知識に空いた穴を埋めていってほしい。本書は、ジャグラーの歴史を知るための第一歩ではあるが、完璧とは程遠いのだから。」(訳筆者)
ジャグリングの過去を知る意味
では、ジャグリングの過去を広く追求し、書き残すことの意味とはなんなのだろう? 最後にその疑問に対する筆者なりの答えを述べて、本書の紹介を終わる。
私たちは、常に過去を参照しながら、新しいものを作り出している。たとえばボールジャグリングの新しい技に取り組む時、「『今までにない』新しいことをしてやろう」と考える。ではその「今まで」とはいつのことなのか? 普通それは、「身の回りで参照することのできるもの」を指している。いつかの舞台で見た圧倒的な技術。周りの先輩。InstagramやYouTubeの映像。そのようなものから得た知識を参照の軸にして、ジャグラーたちはしのぎを削って新しいことを模索する。
ではもしその参照の時間軸を、「古代」にまで引き延ばすことができたらどうだろうか? 「ジャグリングと呼ばれてこなかったが、ジャグリングとみなしうるもの」まで広げられたらどうだろうか? たとえば、今は失われてしまった、日本のかつての大道芸の文化を意識して自分のジャグリングを考える。トンガの女性たちが5個の球をお手玉していたことに思いを馳せながら、自分のジャグリングを考えてみる。インドの芸人たちのジャグリングはどういうふうだったか、考えながら自分のジャグリングをしてみる。
そんな妄想をし始めた時、そこにはまだまだ「知るべきこと」が山ほどあるように思えてくる。そして、その知識を元にしてあっと驚くような「『今まで』にないもの」を作り出せるかもしれない。そう思えば、ジャグリングの歴史研究とは、広大な過去の遺産とジャグラーが真っ向勝負できるようになるための、とても有効な手がかりなのだ。この本は非常に優れた「ジャグリングの歴史入門書」であり、また個々のジャグラーのジャグリングを今まで以上に豊かにするための大きな一歩でもあり、そして未だ誰も上梓することのなかった良著である。
文 = 青木直哉
紹介した本
”Juggling – From Antiquity to the Middle Ages: the forgotten history of throwing and catching”『ジャグリング 古代から中世まで:投げたり取ったりの忘れられた歴史』(訳筆者)
2019年3月15日から、紙の本と電子書籍で、アメリカのAmazon.comで販売開始。
2024年3月26日現在、PONTE STOREでも取り扱っています。
▲著者のThom Wall氏 thomwall.com