週刊PONTE vol.93 2020/08/24

=== PONTE Weekly ==========
週刊PONTE vol.93 2020/08/24
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PONTEは、ジャグリングについて考えるための居場所です。
週刊PONTEでは、人とジャグリングとのかかわりを読むことができます。
毎週月曜日、jugglingponte.comが発行しています。
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◆Contents◆
・青木直哉…ジャグリングがつなげるもの Weekly 第78回「旅するジャグラーの自分に会いに」
・Fuji…フジづくり 第93回「雷雨と散歩」
・ハードパンチャーしんのすけ…日本ジャグリング記 黎明編 第20回
・寄稿募集のお知らせ
・編集後記
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◆ジャグリングがつなげるもの Weekly◆ 文・青木直哉
第78回「旅するジャグラーの自分に会いに」
全然ジャグリングをしていない。もともとジャグリングを無我夢中でやるタイプの人間ではないのだ。そして何をしているかといえば、文字起こしや翻訳をしている。
来年の4月に状況が持ち直していれば、オーストラリアに行くことになっている。アデレードのジャグリングコンベンションである。
しかしそんな実感はどこにもない。
そもそも一度日本で落ち着いて過ごすようになると、飛行機に乗って遠く離れた土地に行くなんて、一大事に思える。
コンベンションに出る約束を取り付けたのも、インターネット上で、電気信号でピピピッと情報が行き交っただけである(まぁ具体的に言うと、Facebook上で、みんなの投票か何かで決まったのだ)。それも相まって本当に行くのかどうか不確かに感じてしまう。
海外に行くの、緊張するなあ、なんてことすら思う。前はそんなこと微塵もなかった。
そして、人前で俺はジャグリングして、見せるものなんてあるんだっけ、と本気で思う。一体誰が演技なんかするんだ、と。
へえ、君、やってくれるんだ、と「演技するらしい自分」に感心してしまう。
人は、どんなに慣れたことでも、しばらくそれに触れないでいると、やっぱり忘れる。
デスクワークを何日か根を詰めてやって、久々に人に会う。「ジャグリングやってるんだよね」なんて言われた時、はて、俺ってジャグリングできるんだっけ、という気分になることって、ある。
で、実際にボールを持ってみると、ああ、確かに、できるな、と思い出す。不思議なもんです。
ジャグリングをしている時の身体にだけ、俺はジャグリングができるんだ、という実感が宿っているんだね。
同じように「旅するジャグラーの自分」というのは、旅をしてジャグリングをしている時にだけ、そういう意識が宿っている。
外に出るのをやめて、室内でデスクワークばっかりしていると、その自分はこの世に存在しなくなってしまう、というか、少なくとも自分自身ではない誰かであるような気分になる。
旅するジャグラーの自分に会いに、旅に行きたいね。
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☆勝手にPM!
【Weekly PM】#27:大きなビーンバッグと、再び外づくり
https://pmjuggling.com/blogs/journal/20200815
「枝で遊ぶのって、思っている以上に創造性があって楽しいです。僕なんかは、子供の頃より楽しく遊んでいると思う」
(記事本文より)
これに尽きる。僕も子供の頃と同じぐらい楽しんでました。
「大人の世界」と「子供の世界」どっちの世界も行き来できるのが、一番いいんですよ。
『ゼルダの伝説 時のオカリナ』みたいな感じです。
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◆フジづくり◆ 文・Fuji
第93回「雷雨と散歩」
マスク製作の時は作業用にYouTubeで動画やBGMを流しているのですが、作業慣れしたことで、意識しなくても手が勝手に動くようになった反面、逆に余計なことを考えてしまう余裕が生まれ、気分が落ち込むことが多々あります。
なので、強制的に何かを考え、イメージさせるために「実話怪談」をYouTubeで流しながら作業してみたりもしました。聞いているだけで勝手にその情景を思い浮かべてしまうので、変に余計なことを考えることがなく、その日はそのまま5時間くらい聞きながら作業をしていました。
ただ、最近はマスク製作もだんだんやらない日が増えてきています。その間、映画やドラマ、アニメ動画を観たり、本を読んだり、音楽を聞いたりすることで、気分が前向きになることはあるのですが、それは一瞬で、数分後にはまた沈んでしまいます。(レム睡眠とノンレム睡眠の間隔みたいに)ずっと、その感じが体の中をぐるぐると巡っています。
先週紹介した書籍『自分の薬をつくる』の著者である坂口さんは「自分の薬をつくる=自分の日課をつくる」ことだと言っています。
自分の日課をつくり出して、毎日実行すること、これ自体が、自分にとってのアウトプットになる。普段、呼吸や排泄をするように、日課をやっていく。
今、死にたいと思うほどに悩んでいる人は、悩むことが悪いことだと思い込んでいるから、自分はダメなんだ、もう死んだほうがいいんだという思考回路に入ってしまう。けど、実際はそうじゃなくて、アウトプット中なのかもしれない。
つまり、死にたい、ではなく、このままいくと死んでしまうよ、という体からの警告であり、自分の薬が必要だと感じているときは、アウトプットするとき。それも、適当なアウトプット。さっとやる、思いついた瞬間にそのままやる。
すべては悩みではなく、滞っていること、そして、それは常にアウトプットされることを望んでいる。アウトプットは瞬間的なものではなく、長い時間日課を経て少しずつ外に出ていくということ。そのようにして自分の薬はゆっくり、確実に自分の体の中で、生活の中で、人生の中で形成されていく、と。
だからこそ、自分なりのアウトプットを見つけることが大切なんだと思います。
おとといの夜。激しい雷雨が来たときに、雷の音と豪雨の音が気になり、ベランダに出てしばらく眺めていました。
すると、まるで降っている雪に興奮する子供かのように、無性に外に出たくなったので、散歩に出てみることにしました。帰ってきたらすぐシャワーを浴びれるよう玄関にタオルだけ用意し、サンダルを履き、傘を持たず、フードだけ被って、ずぶ濡れになりながら近所を歩きました。久々に自分の内側から湧き出る気持ちで外に出た気がします。
外に出てみると部屋から見ていたほど雨は強く感じませんでした。でも、それは傘をささず、濡れることをわかっていた上で、雨に打たれながら歩いてたからかもしれません。当然のことながら誰も外を出歩いている人はいなく、車もほとんど通っていませんでした。それでも2、3人は傘をさしている人とすれ違いました。
そのうち1人の女性とすれ違うのですが、横に2人並んでも十分すれ違えるほどの余裕があったにも関わらず、自分から3mほど先のガードパイプの切れ目に入り、立ち止まってくれていたので、待たせるのも悪いと思い、小走りして通り抜けました。はたして相手からどう見えていたんでしょうか。ただこちらは傘がないのと、散歩していただけなんですけどね。
けれども、雨に打たれながら、もしかしたら雷も落ちるかもという緊張感の中、静かな道を一人目的もなく歩いているのも、なんだか清々しい気持ちになりました。
しかし、だんだんと雨が弱まるにつれて、それまでの気分も下がってきてしまい、気づけば家路についていました。
一体何を馬鹿なことしているんだと思われるかもしれませんが、自分も初めてです。でも、正直やってみて気持ちがよかったです。強いて言えば、もっと滝のように強い雨でもよかったな、とは思いました。
日課とまではなりませんが、これも今の自分にとっての体の内側から湧き出たアウトプットであり、『薬』(ビタミン程度)のような気がします。こうして書くということも。
また、こういう日に散歩したいな、と思いました。多分昼間ではなく、人気のない夜だったというのも条件として、丁度はまっていたのかもしれません。
あと、やっぱり雨の音とかが、好きです。
by Fuji
製作物
・PM Juggling 「otomodama」持ち運び用の巾着ケース 製作 by Fuji
https://pmjuggling.com/product/otomodamaset/
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◆日本ジャグリング記 黎明編◆ 文・ハードパンチャーしんのすけ
第20回
”昔のジャグラーの言葉で「熟成」という用語があるのを聞きました。”
…という、前回のPONTEに掲載された斉藤交人さんの「釣り日記」を読んで、
おお、今のひとは「熟成」という言葉を使わないのか…
としみじみとしてしまいました。
言葉を取ってみても、ジャグリングに積み重ねが生まれてきていて面白いですね。
そんなことを思っていたところ、とある練習場所にてThe Pastelsの北島大輔さんと会う機会があり、最近のマラバリスタ事情などを少し聞きました。体育館の練習環境が変わり、パッシングが練習し難くなっている。床の傷みがひどく、パッシングするには養生が必要で練習エリアが著しく制限されているとか。思い返すと、マラバリスタが借りている体育館は、ぼくがいた頃から床が傷が目立ち、クラブのノブ部分の保護は義務化されていたので、仕方のない流れなのかもしれません。というよりも、長い間寛容でいてくれたものだなぁとすら思います。
そんな事情もあり、北島さん曰く、マラバリスタのパッシングレベルが落ちていると。
そこでマラバリスタの後輩にパッシングをもっと伝えたいのだ、と、その日もゴスゴスとパッシングをしていました。これから出てくるであろうパッシングが楽しみであるとともに、環境が変われど、ひとによってジャグリング文化は繋がってゆくのだなぁ、と感じ入りました。
さて。
90年代のマラバリスタのジャグリング、大道芸について話を戻します。
「つぶつぶオレンジ」世代以降、より個性を重視する大道芸が台頭してきます。ソロで活動しているひともいましたが、大道芸として頭角を表すのは、やはりコンビでした。
その中で「平安貴族」続いて「大道バカ一代」が印象深い。
「平安貴族」は学年では「つぶつぶオレンジ」と同期にあたりますが、活動時期で言うと「つぶつぶオレンジ」よりも後に活躍しました。「大道バカ一代」は、ぼくのひとつ下です。いずれも大道芸ワールドカップin静岡のオン部門に出演しています。
時期で言うと、1997年から2000年くらいのことでしょうか。今までの大道芸と少し毛色が変わっていた時期のように思いますので、振り返ってみます。
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◆寄稿募集のお知らせ◆
週刊PONTEに載せる原稿を募集します。
800字以内でお書きください。
編集長による査読を経たのち掲載。
掲載の場合は、宣伝したいことがあればしていただけます。
投稿・質問は mag@jugglingponte.com まで。
締め切りは、毎週金曜日の23:59です。
◆編集後記◆ 文・青木直哉
-しんのすけさんの記事について。大きい体育館の練習ってもう久しくしてないです。クラブ、ゆか傷つきますよね。でも、クラブのノブが柔らかければいいってことでもありますよね。
-道具の「意図してデザインした部分以外」の特徴が、サークルの様子も変えてしまう、というのが面白いなと思いました。ノブのねじなんてねえ。なければないのも十分作れそうなもんですが。
-坂口さんのツイッター、見てみると面白いですよ。(https://twitter.com/zhtsss?s=20)
-僕の記事に関してですが、そういえばUber Eatsをやっていても、同じことを思う。一週間ぐらい空いて、久々にやるかと思ってスクーターにまたがると、あれ…これでいいんだっけ、とにわかに不安が押し寄せる。散々やってるのにね。
また来週。
PONTEを読んで、なにかが言いたくなったら、mag@jugglingponte.com へ。
<END OF THIS ISSUE>
発行者:青木直哉 (旅とジャグリングの雑誌:PONTE)
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