2月2日(金)

 6時24分。目覚ましが鳴るより6分前に目が覚める。寝る時間は変わっていない。 ただ起きようと決めただけ。猫のエサを皿に入れ、水を取り替える。ゴミをまとめて着替えたら、リュックを背負って家を出る。昨日の朝よりも寒い。

 いつものベンチに色彩豊かな赤、黄、青色の凧がくちゃっと置かれていた。そこだけ、いつもと違う。あとは、いつもと一緒。白い小鳥が走り、木にはカラスの巣がある。鳩は鳴いていないけれど、5羽が慌てた様子で一緒に歩いている。

 リュックからボールを出して投げようとしたら、白い柴犬(紀州犬かな?よくわからない)が通る。この3日間毎日会っている。うすピンク色のリードをつけているが、飼い主はそれを手に持たず、犬はリードを引きずりながら自分でさっさと歩いている。私が先頭行きますから、と3歩先を歩いて二次会の店に向かう幹事の人みたいな足取りをしている。毎朝同じ時間にジャグリングをするなんて、犬の散歩と比べたら楽なもんだな、と想像する。犬には起こされるかもしれないけど、ボールに起こされたりは、しないしな。

 いや、だからこそ難しいのか。

 ボールを高く投げる。軌道が以前よりも安定している気がする。昨夜のYDCの練習でも感じた。首の後ろスローも少しだけ上手くなっている。とにかく、なるだけ落とさないように投げる。心地良いかどうかが全てだ。うおお、もっとやりたいぜ、とじんわりと感じているかどうか。次に起きることが自分には把握できている、という気持ちの良さ。その起きることに、余裕で対処できるよ、という自信。「オレはこれをよく知ってんだ」という得意げな気持ち。それを感じられているかどうか、身体にきくこと。

 ぱっと時計を見たら、6時51分。7時に上がるつもりだからディアボロもやっておこうと思って、軽く、流すようにやる。「流す」のがよい。 毎日流していると、いつか変わってくる。自信のある動きを何度もやっていると、ふと、あ、こんなことやってみようか、と他律的な形で、付け足したい要素が浮かんでくる。ここでスティックをまっすぐに見せてみよう、とか、タイミングをちょっとずらしてみよう、とか。そういう微調整がしたくなってくる。それこそが技ではないか。こっちの方がもっと気持ちいい、という程度の、日々のアジャストメントである。遅い進み方だが、よろこばしい。体が何か新しいことを習得する際の自然なスピードと合致しているからじゃないか。毎日、心地よく味わうことが第一だ。それから次に、チャレンジしたいことが向こうからおのずとやってくる。

 …などと考えていたら、足元にサッカーボールが転がってきた。トラップして、右足インサイドで蹴り返す。子供のお父さんがすみません、と言う。2人の息子のうち大きいほうに「なんだよ、そのキックは!」ときつく叱っていた。ぼくは結局、3回こちらにやってきたボールをディアボロしながら蹴り返す。

 7時11分になっていた。荷物をまとめてベンチから離れようと思ったら、また遠くに、さっきと同じ白い犬が見えた。今度は、飼い主がリードを持って先を歩いている。犬は少し不満げにゆっくり歩くものだから、アゴの肉がダブついていた。■