編集長の書斎

2021年8月18日

ジャグリングのことについて、まとまって知識を得られる場所/書籍がほぼない、というのは損失であるような気もする。いちいちみんながゼロから出発しなければならないから。それが悪であるとまでは思わないが。かつてPONTEが「知の集積所」のようでありたいと(一応)思って活動していたこともあった。しかしそれを実現するにはまだまだ力及ばずであった。人知を集める、ということがあまり得意ではない。しかし、30歳を手前にした今、もういちどそういう目標を頭の片隅に置こうか、とも思っている。■

2021年8月9日

渋谷PARCOでやっていた「LIFE はしもとみお彫刻展」を最終日、ギリギリ滑り込みで見る。しばし放心状態。あまり細かく言葉にしすぎない方がいいかもしれない。昨日も言った通り、黙して自分のことをする。一番のエッセンスとして受け取ったのは、自分を絶えず鼓舞していける環境を作るということである。■

2021年8月8日

あまり時間をかけられず。だが文章を書くことに久々に真剣に向き合っている感じ、する。エッセイを手直し。黙して自分のことをする。自分の中で多くを抱えること。それを力にして、大好きな人たちと、なるべく多くの楽しさを共有すること。■

2021年8月7日

イラストアイコンを追加。かなり視認性が上がった。元々PONTEくんを使ったナビゲーションアイコンは、PONTEのサイトが始まった頃から使っていた。あらためて、シンプルな要素だけで作り直す。A4用紙にさっと描いて、それをiPadのメモ機能でスキャンして、Macで仕上げた。ものの15分ほどで終了。昔はAdobeのソフトを使っていたが、僕には無用の長物だった。今更ながら思う。お金のかからないやり方でなんとかする方が圧倒的にオモシロい。このページのバナーも、pagesで書いてそれをスクリーンショットしただけ。僕の用途にはこれで充分。アイコンをつけただけで、Webサイトがぐっとよく見えてくる。愛着はなにより大事だ。たとえそれがビジネスであっても。愛着のわく方へ、が生き方の最良の選択ってもんだ。記事の体裁を整える作業も続行。一気にやると疲れるので少しずつ。こんなこと書いていたのか、ああ、恥ずかしい、ということがたくさんある。それも、たった数年前。でも、もう書いてしまったものは、なしにはできない。メゲずにどんどん新しいことをして、あらたに、多くの人を面白がらせるしかない。加藤典洋『小さな天体』を読んでいる。大学時代は素直に受け取れなかった加藤さんの姿の一部に、彼の死後になって影響を受けている。僕が残したいのもこういうものだ。自分の存在なんて、ちっぽけなものである。でも「作品」という形になることで、それが流れていく。「誰が自分の影響を受けているか」なんて、生きている間にはほんの一部しかわからない。「シェア」なんて指標に騙されない。自分が死んだあとに、誰かがそれに触れて別の遺伝子に変換する、ということを考えている。そこに人間としての自分は、いない。■

2021年8月6日

昼の12時を回っている。バイクで近所のドトールコーヒーに来た。昨日から、早くこのコーナーを書きたくて仕方がなかった。新しいことを始める時というのはいつでもそう。はじめの三日間はとても楽しい。しかしそこから先、何年間も同じことを続けられるかどうかは「事務の在り方である」ということは坂口恭平氏から学んだ。時間を決めてその中で行う、というのはその中でも有効なやり方。自分の気持ちとは関係のないゴールを設定する、ということだからだ。坂口さんの著作や文章はいくつか読んできた。すべてを総合して「貯作業したいことがあれば、毎日必ず始まって必ず終わる日課にせよ」という風に変換してお守りにしている。15分間のタイマーをセットして、Macの横に置いて、その中でこの文章を書き上げる。さて、今日もサイト、黙々と改良していく。週刊PONTE(メールマガジン)のページの方も工夫して、本家PONTEサイトとシームレスに繋がるようにしたい。というか、迷わないような構造にしたい。昨日大吾さんに見せた時、サイトの行き来にちょっと手間取っていた。テキストだらけのWebサイト、ということで真っ先に頭に浮かぶのが内田樹氏だったので、「内田樹の研究室」をのぞいて、これを手本にする。内田さんはまだデビューする前、書きに書いたテキストデータだけで、数GBになった、とかなんとか、確かどこかの本で書いていた気がする(全然違ったかも)。いずれにしても、先にテキストがあって、それを収納していく、というのが一番いい。一過性の熱狂や「シェア」から遠く離れて、書斎で静かにものを書き溜めていく。■

2021年8月5日

2021年、オリンピック真っ最中だ。PONTEという名前で2014年に雑誌を立ち上げた。ただ「やめなかった」という理由でこの「PONTE」というメディアは続いてきたが、今一度見直すことにした。7月に入ってから、Webサイトの編集に着手。編集をしながら、僕の頭にはいろんなことが去来する。それをどうにも押さえつけておけない。とりあえずWebサイトを編集していく過程を日記にしていくことを思いついた。古風なテキスト形式で、「PONTEを編集する日々」を積み重ねていく。いや、ここで書くようなことは、本当だったら、Webサイトのあり方で表わすのが一番かっこいい。だがそれ以上に、思考が溢れてきてしまうのだから仕方がない。とりあえずそのアウトレット(はけぐち)として、ここを使う。今年のPONTE改修の一番の目的は、「文章を、読みやすい形で、網羅的に掲載する」こと。僕はこの7、8年間で、それなりの数の文章を書いてきた。だがそれらは散逸している。そして紙雑誌を休止した今、広く自分の文章を読んでもらう場所としては、このPONTEのWebサイトがメインとなっている。となれば、この場所をもっと住み心地のいいところにしたい。本当は完璧な形にしてから一挙公開したかった。しかしそれだといつまで経っても公開できそうにない。なので、一旦公開する。下書きには、たくさんのマテリアルが控えている。準備が整い次第、それを「公開」にスイッチングしていく。一度にたくさん作業をして公開し、あとは放置、という状態にもしたくない。以降も日課として、少しずつ変更を加えていく。新しい文章もどんどん載せていく。そのモチベーションを維持するための日記でもある。僕は、自分が中学三年生の頃に一生懸命作っていた自作のホームページにこそ「自分の考えをインターネット上で表現する」楽しさの原型を見ている。ジャグリングを始めたての、あの15歳の頃の熱が、体験として一番優れていた。誰が見てくれるか、なんてそんなに気にしていなかった。ただ自分の考えが、広いところに投げ出されているのが面白かった。PONTEは、TwitterやInstagramやFacebookを使っていて感じる違和感から解放されるための活動でもある。「自分の時間が蓄積されている」と感じるための活動である。こんなふうに独白調の文章を書いているのは、ただ「文章を書く」という行為に没頭し、それを公開して、見たい人だけがそれを見ている、という状況に自分を置きたいからである。実を言うとこれは、紙雑誌を作っていた頃の志でもあるのだ。■