週刊PONTE vol.185 2022/06/13

=== PONTE Weekly ==========
週刊PONTE vol.185 2022/06/13
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PONTEは、ジャグリングについて考えるための居場所です。
週刊PONTEでは、人とジャグリングとのかかわりを読むことができます。
毎週月曜日、jugglingponte.comが発行しています。
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◆Contents◆

・青木直哉… ジャグリングで書くこと 第5回 ジャグラー、嘘つかない

・寄稿募集のお知らせ

・編集後記

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◆ジャグリングで書くこと◆
第5回 ジャグラー、嘘つかない
文・青木 直哉

一週間休載していました。我が家に猫が二匹来たのですが、いろいろと都合があって、結局その猫たちは元の家に帰っていきました。猫たちを迎えるのにすったもんだしたり(なにしろ猫を飼うのは初めてでしたので)その猫を高知県まで送り返すのに色々と面倒があったりで、文章を書く体力と気力があまりありませんでした。その前にも、一度休載しています。
しばらく休載をすると、書くことの連続性は失われます。僕はいま、改めて第0回の文章を見直してみました。
「四〇〇〇字だったら、まぁ、長くても二、三時間あれば書ける、ということがわかるからです。というか、そういう文体と、書くための集中力と、夢中になれる話の仕方を身につけました。なので、その方法論を使って、自由に、ジャグリングについて、語ってみます。」このように書いてあります。

当時は毎日同じカフェに行き、同じテーブルで、同じようなルーティンをこなしていました。七十日間連続でやっていました。俄然、集中力が違いました。
その時と今とでは、精神状態も環境もずいぶん違います。僕は五月に家を引っ越し、本を書き上げ、猫を一旦受け入れて、また送り返す、ということをしました。新しい人にも出会いました。ずっと繋がりがあった人と訣別するようなこともありました。

僕は今日こんなことを言われました。「ジャグリングは青木さんにとって軸なんですね」と。一瞬考えて、次のようなことを答えました。
今、毎日絵を描いているけど、絵を描くのをやめたら、もう僕は「絵を描く人」ではありません。絵を描くことが習慣化したのは、コロナに入ってから、たかだかこの二年と少しぐらいの話です。まだまだ僕自身のアイデンティティを形成するほどの立ち位置にありません。絵を描いたことで評価された経験もそんなにありません。だから絵を描く、ということに関して、僕は「これから」です。
逆に言うと、ああ、これからなんだなぁ、と思ってワクワクします。まだまだ絵の修行は始まったばかりです。ジャグリングで経験してきたように、そのうち、絵を描くことで旅行に行ったり、絵を描くことについて本を書いたりするかもしれません。でも、まだその時は来ていません。あと十年ぐらいしたら、安心してそういうことができると思います。それまでは、なんだか、自信ないな、と思いながらも、淡々と絵を描き続けるだけです。

でもジャグリングについては、もう付き合いが十六年目に入ります。ジャグリングの友達がたくさんできて、ジャグリングの集まりを理由に海外に行って、ジャグリングについて論文を書いて、ジャグリングの雑誌を作って、ジャグリングをテーマにした自分の青春記のような本(『ジャグラーのぼうけん』)まで書きました。
僕が今ジャグリングをしていないとしても、ジャグリングという要素は、僕の人生と不可分になりました。だからジャグリングは、安心して自分のものだと言い切ることができます。そりゃあ、言うほどうまくもないし、やっていない時間の方が遥かに長いけれど、それでも、「ジャグリングというジャンルとその周りで起こることに愛着があり、それと共に過ごしてきたかけがえのない時間がある」という事実は変えられません。
とにかく重要なのは、自分にとってのジャグリングのあり方について見つめる時間を持つことです。そして、それをありのままで形にすることを恐れない、ということです。嘘をつかないこと。自分がジャグリングに関して感じることを、素直に見せること。
僕がわざわざこんなことを書くのは、逆に言うとついつい、ジャグリングに関して感じることについて、嘘をつくことがあるからです。というか、嘘をつくとまではいかなくとも、少し引け目を感じて、自分とジャグリングとの距離について正確に把握しようとすることを諦める時があるからです。

とにかく生きていると、環境が変わったり、情熱が冷めたり、他のことへの情熱が燃え上がったり、いろんなことが起きます。
最近で言うと、少しまた、ジャグリングを実際にやることに情熱が戻ってきました。音楽に合わせてジャグリングをすることがめっぽう楽しい。音楽をジャグリングで再解釈する、ということが楽しいです。でもきっとこれも今だけの話で、またこれから時間が経つ中で、ジャグリング、別にやらなくてもいいかな、というフェーズがあったり、逆に、よっし、とことんやったるぞ、というフェーズがあったりするでしょう。
ただその、上がったり下がったりする波の上にいる「たゆたい」の中で、自分とジャグリングとの距離感について、嘘をつかない、ただそれを真っ直ぐに見つめる、ということが大事なのだ、という直感があります。
自分でも何を言っているのかよくわからないのですが、でもそういう直感があります。
なんでそれが大事なのか。それは、そうすることによって、ジャグリングが「再び楽しくなってくるから」です。
何かに引け目を感じていると、僕は楽しくなくなります。ジャグリングで言ったら、僕が引け目を感じているときというのは、ジャグリングと「まっとうに」向き合わなきゃ、という、義務や責務があるかのように感じている時です。
でも義務感でジャグリングをする、なんてことほど楽しいこともないのです。実際に僕はそういう感触を通過してきたので、楽しくないことを知っています。もちろん、義務感でジャグリングをしたが故に上手くなった、ということもあるのですが。でも、やっぱりもっと重要なことがあります。
それは、自分が今ジャグリングの「どういう部分」を好きでいるのか、ということについて、冷静に向き合ってみることです。ただなんとなく「ああ、ジャグリングやってないなぁ、参ったな」と思うだけだと、余計にジャグリングをしなくなります。
実際にやる方で言えば、今僕は、「カスケードするのって楽しいんだよね」という自分の中にある感触を発見しています。では、カスケードをやればいい。ジャグリング的な動作で身体を動かすことそのものが楽しいんだ、ということは、それ自体とても面白いことです。そして、その感触を心から味わうのは、うまい、下手に関係なく、とても大きな喜びと充足感をもたらします。
同じようにして、僕は文章を書くことによって、自分が青春時代にジャグリングの世界で感じてきた驚きや感動を再現してみたい、と思い、それがきっと充足をもたらすはずだ、と思ったので本を書きました。そういう意味で、僕にとってジャグリングの本を書くこと、というのはとても大事な行為であり、そしてこれからも大事な行為であり続けます。

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☆PM Jugglingのnoteを勝手に紹介☆
メガネ
https://note.com/daigoitatsu/n/n2ca46a7b3783
「月並みだけど、こういう日に買ったメガネなんだ、という気がして、ネットで買ったものとは違う、重みというか、愛着があるなと思った。」
(記事本文より)
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◆寄稿募集のお知らせ◆

週刊PONTEに載せる原稿を募集します。
800字以内でお書きください。
編集長による査読を経たのち掲載。
掲載の場合は、宣伝したいことがあればしていただけます。
投稿・質問は mag@jugglingponte.com まで。
締め切りは、毎週金曜日の23:59です。

◆編集後記◆ 文・青木直哉

-新刊『ジャグラーのぼうけん』はPONTE STOREで取り扱っています。版元から 50 冊仕入れたのですが、売ったり献本したりで、あっという間に全部人の手に渡ってしまいました。また追加で卸しています。が、気になる方はお早めにどうぞ。
https://store.jugglingponte.com

また来週。

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