週刊PONTE vol.182 2022/05/09

=== PONTE Weekly ==========
週刊PONTE vol.182 2022/05/09
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PONTEは、ジャグリングについて考えるための居場所です。
週刊PONTEでは、人とジャグリングとのかかわりを読むことができます。
毎週月曜日、jugglingponte.comが発行しています。
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◆Contents◆

・まさやん… 皿回し新歓 顔も名前も知らない新入生たちへ

・青木直哉… ジャグリングで書くこと 第2回 踊らにゃソンソン

・寄稿募集のお知らせ

・編集後記

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◆皿回し新歓 顔も名前も知らない新入生たちへ◆
文・まさやん

大学をずっと前に卒業した人が、会ったこともない新入生たちに向けて全力で新歓を企画している、そんなお話です。

お久しぶりです。初めましての方は初めまして。皿回神経内科医・まさやんです。
メールマガジンになってからは初寄稿ですね。冊子だったころ「メディカルジャグリングラボ」と称して何本か記事を書かせていただいていました。2015年くらいかな? 当時僕は研修医でしたが、現在、医者になってはや9年目。今年からは仕事も少し落ち着いてきて、皿回しについて考える時間が増えてきました。

以前から結束が強いといわれる皿回し界隈ですが、最近は仲間と「おさLINEミーティング」と称して定例会を開いています。近況報告から始めて、技の解説のために皿回し用語を相談したり、最近見つけた技の交換をしたり。そんな僕たちの最大トピックの一つが、『皿回し人口を増やすこと』なんです。そして、ちょうど今は新歓の時期です。将来有望なジャグラー候補たちが、大学に入って、ジャグリングサークルに入って、色々な道具を体験して、道具を決めていく……。もちろん、皿を手に取ってもらって、面白いと思ってもらうのが大切なんですが、残念ながら縁もゆかりもない大学の新入生には会いに行けません。選んでもらうにはどうするか。

会いに行けない以上、新入生に皿回しを勧めるのはだれかというと、勧誘する側の先輩大学生たちしかいません。すると、先輩たちに皿回しを思い出してもらって1年生に見せる道具に入れてもらうことが必須。これが、僕たちの第一段階になります。でもおそらく先輩たちの中にも皿回しができるメンバーは多くないでしょう。すると先輩たちとしては、回すところくらいまで教えてあげて「こんな奇想天外な技をやってる人たちがいるんだよ」と動画を紹介することになると思います。こうしてジャグリング的皿回しの魅力が新入生に伝わるのが、第二段階。「ちょっとやってみようかな」とでも思ったらしめたもの。どんどん新しい技を覚えてジャグリングが楽しくて仕方ない感覚、みなさん知ってますよね。皿回しにはまってもらいます。これが第三段階。こんな計画を練りました。

具体的には、まずは年度末くらいから皿回しの動画を増やして、ジャグリング界隈での皿回しの存在感を演出します。これはそのまま第二段階の、先輩たちに紹介してもらうコンテンツ作りにもなります。Naluco君のヒルナンデス出演も素晴らしいタイミングでした。そして、これから差し掛かるのが、定期的なオンライン教室で上達する面白さを知ってもらう、第三段階。告知は開始して、既に何人か申し込んでくれています。

▼スケジュール・講座内容▼

3日間にわけてアツいメンバーが企画する皿回し教室。正直めちゃくちゃ充実してるので、ラインナップだけでも見てみてください。面白そうだったら、新入生じゃなくても大丈夫なので、ぜひ遊びに来てください。

思いっきり宣伝になっちゃいましたが、会ったことのない新入生たちに向けて全力で新歓を企画しているって、なんだか面白いなって話でした。
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編集部追記:
TV番組「ヒルナンデス!」で皿回しを披露したNalucoさんのTwitterはこちら。YouTubeや、放映時の映像なども少しシェアされています。
https://twitter.com/nk20690310
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◆ジャグリングで書くこと◆
第2回 踊らにゃソンソン
文・青木 直哉

不安感があると、ものをうまく書けません。
想像力を十分に発揮できるのは、安心しているときです。僕は、不安な気持ちでこれを書いています。しかし、書かないことには始まらないので、書き始めました。
僕には今、やるべきことが多くあるので不安です。
今月、小さなA6サイズの自著(ジャグリングに関するものです)を出版します。その制作が続いています。新居へ引っ越したものの、部屋の整理があまりできていません。来週の仕事の予定も立てないといけません。何も心配事がない時間を多く持ちたいと思います。でも今はそれができていません。
そういう時間がうまく作れることもあります。生活の流れを整え、リズムを構築して、「この時間はこれに集中していい」という時間を、個々の「やりたいこと」に対して十全に持てるときがあります。十日ほど前まで個人的にnoteで連載をしていたときは、そのシステムの構築がうまくいっていました。
でも理想的な状態が永遠に続くわけではありません。不安な時は不安です。そして、不安は、一度感じてしまったら、口に入った変なものを出す時のように、「うへ、ぺっぺ」みたいに吐き出すことは不可能です。残念ながら。しかし、自意識と一緒に身体が、世界に存在しながら時間が過ぎていくのを、人間は常にどうにかしないといけないので、色々対処します。

今回は、「ジャグリングは逃げ場所になるかどうか」について書きます。あくまで僕個人が、十六年の限られたジャグリング人生で経験してきたことについて書きます。他の人には、また全然違う意見があるはずです。でもこれは僕の連載なので、僕自身が感じることを素直に、自由に書いていきます。ただ、自分の課題について率直に語ります。
ジャグリングは逃げ場になるか?
これを、「ジャグリングという行為をしている間、他のことを考えずに幸福でいられるか」という言い方に置き換えてみます。
僕にとって何かが「逃げ場である」というのはつまりそういうことです。その行為の最中は、泣きたくなるような思念から逃れることができるということです。悩みや、不安や、なすべきことの膨大な量への恐れを忘れられる、ということです。つまり、行為にだけ集中できる、ってことです。
ジャグリングは身体運動です。だからそれ自体をこなすだけであれば、頭で何が起きていようとできるはずです。ああ、だるい、ああ、嫌だ、と思いながら、でも身体はジャグリングをしている、という状態を立ち上げることができます。
今文章を書いている自分も同じような状態にあります。ああ、不安だ。何かやり忘れていないか。誰かに怒られるんじゃないか。やるべきことは、これではないんじゃないか。自分の行為のせいで、誰かが嫌な思いをしているんじゃないか。そんな不安がもたげているわけです。それでもこうして文章を書いています。書けば書けちゃう。そしてだんだんそっちに集中して、不安が薄れていきます。
頭がどんな状態であろうと、質を問わない限り、文章を書くという行為自体は行うことができます。必ずできます。「文章が全然書けない」という言い方もありますが、それは「自分が納得できる文章が書けない」ということです。自分が納得しなくてもなんでもいいから、とにかく目の前に文字列を並べる、ということであれば、今僕がしているように、頭の中で自分との会話を繰り広げて、それを具現化すればいいだけです。いつでも、誰にでもできます。
「でも何を書いたらいいか、そもそもその糸口がわからないのであって……大体そんなすらすら書ける人ばっかじゃないヨ、この青木某は、書くのは誰でもできるなんて豪語して、そんな簡単に書けたら苦労しないんだ、ただ単に文章を書くっていうことだって全然できなくなる時だってあるぞ、大体」
……と、こんなふうに「頭の中身を文字にして出す」ということはできると思うんですが、どうでしょうか。「独り言を言う」というのと一緒です。これを読んでいる全員が、思考をする際には、なんらかの音声言語を脳内で使用しているはずです(あれ、そうでもないのかな)。なので、それを文字列に変換することは、絶対できる。
それを読んで面白いか、人に読ませるに値するのか、成果物のクオリティまでは、書いてみるまでわかりません。でも、できます。
さて、いま大事な命題に言及しています。
質を問わない限り人は、行為を絶対に行うことができる。
質さえ問わなければ、ジャグリングはいつだってできる。それが、ジャグリングの入口の3ボールカスケードの練習だろうと、やり慣れた4ディアボロウィンドミルであろうと、とにかく、その技術が身についていれば、道具を持てば、すぐに行うことができる。
「質を問わないでジャグリングができるかどうか」ということに、今回の話の大きな軸があります。そんな直感があります。
質を問わないで自由にジャグリングができるとき、僕の場合、ジャグリングは逃げ場としてうまく機能します。楽しみになります。幸福をもたらします。自分の思念を具現化するための面白い装置になります。なぜなら、質を問わないと、不安がないからです。つっかえがないからです。やりたいことやってればいいからです。頭が出す指令が、身体を介してだあーっと流れていきます。それが気持ちいい。すなわち、幸福です。
逆に、ジャグリングが楽しくないとしたら、「質を問う態度」が邪魔してるんじゃないか、と考えます。
そもそも、「質を問うジャグリングをする」とはどういうことか。
それは、「自分はこれをやっていて楽しいと思うし、気分が盛り上がるんだけど、他の人から見た時に、どう評価を受けるかは別問題だ」という視座を持つ、ということです。主観的体感と客観的評価をキッパリ分ける。その上で、客観的な評価の方を優先する、ということです。
競技者、表に出るパフォーマーとしてジャグリングをすることの厳しさの一端は、そこにあると僕は思う。僕もかつては、そういうジャグラーの端くれでした。パフォーマンスはまだまだやっています。そしてそれはそれで楽しさもあるのですが、時に「嫌な気分」ももたらします。
それは、周囲との差異が一番の評価軸である、ということが原因です。特に競技者である場合、他人が評価してくれなかったらしょうがないので、「主観的にはこれが楽しいんだけど」という態度を取り除いていくことになります。「主観的にどうジャグリングが楽しいか」ということについて、そもそもだんだん忘れていく感じがあります。報酬が「成果を出すこと」そのものになり、相対的に、「ジャグリングを行う身体的な喜び」が報酬だ、という意識が薄くなります。
ジャグリングを始める時は、大体の人が、「あっ、身体が喜んでいる」という感覚があると思います。それが楽しくて夢中でジャグリングにハマっていく人は多いでしょう。そしてそれを追い求めていればいいんですが、だんだん、周りと比べるようになっていく。つまり質を問うようになっていく。
競技者としてジャグリングをしていなくても、無意識に質を問う態度になっていることは多々あります。
SNSで、ヴァーチャルにコミュニティに属したような気分でジャグリングをしている場合、そこに流れてくる映像や何かで、その「界隈」の平均的な質だったり、飛び抜けて質の高いもの、今の自分では届かないものを頻繁に目にすることになり、無意識のうちにそれらと自分のジャグリングを比べることになります。そして逆に、SNSにアップロードして、「いいね」がつけばつくほど、なんだかそれが大きな報酬であるような気がしてきます。人気者にやっかんだりもします。
自分のジャグリングも人と比べるとそこまで上手いわけじゃないな、なんか納得いかないな、と思うとき、どこかで「気恥ずかしさ」を抱きます。「自分のジャグリングの質が低いことに気恥ずかしさを感じる」時、僕はジャグリングをしづらくなります。
気恥ずかしさや嫉妬というのは、不安を呼びます。不安というのは、つっかえです。ボールを持っても、なんだかやる気が出ないとか、なんだか投げていても、自分って、しょぼいなぁ、と思ってしまいます。
どうすればいいんでしょうか。
もし今の今、ジャグリングを楽しみたいなら、ひとまず公開なんてしなくていいから、その行為自体に自分なりに没入するしかない。僕はそう思います。とにかく、ヨソからやって来る不安をシャットアウトする態度が大事になる。それは、直接にも間接にも、他者との関わりを減らす、ということでもあります。
最近そういうことを考えて、あまり人のジャグリングを見ないようにしています。特に、インターネットです。
インターネットのおかげで、偶然面白いものに出会ったり、遠くから仕事ができて、とても便利です。反面、余計な情報が多く、不安を多くもたらすことも事実です。これは、実感からくる僕なりの真理です。画面をスイスイ指でなぞっているときは、大体、情報過多です。人は脳に情報が入ったら、とりあえず反射的に対処しようとしてしまいます。でも、そんなに多くの情報に対処できるように人間の脳はできていない、と僕は考えます。もちろん適応はしていると思います。でもそれは、「多くの情報について、『こういうことかもしれない』とできるだけ多くの想像をする」=「不安が募る、他人の目を気にする」というネガティブな在り方で発露している感じがします。

結局、僕はジャグリングをすることで健康になりたい、と思っています。そんなことに今思い当たりました。変な結論です。でも、そういうことです。
僕としては、ジャグリングで健康になるためには、質を問わないでジャグリングをする時間をまずはたくさん持つことが、とても重要です。つまり、まずは頭じゃなくて、自分の身体にジャグリングを十全に楽しんでもらないといけません。とにかく全力でジャグリングで遊びます。他人に、自分をジャッジさせないんです。先回りして避けるのです。積極的に仕掛けるのです。自分で勝手に楽しむのです。それは、他人から自分を守ってあげる、ということです。その基盤ができたら、少しだけ、信頼できる人に見てもらって、「ああ、いいねぇ」と笑顔になってもらうこと、それから、少しずつ大洋に出ていく、ぐらいがちょうどいいです。
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☆PM Jugglingのnoteを勝手に紹介☆
東京のビーチ
https://note.com/daigoitatsu/n/n1e602a28ec17
「すこし沖のほうの海に立ってツイストダンスを踊っているようなおじさんおばさんが数人いて、どうやら、足で地中をグリグリして、ハマグリかなにかを採っているようだった。子どもが遊んでいる横で、そのグリグリおじさん、グリグリおばさんのことを妻と一緒に観察しながら、過ごしていた。」
(記事本文より)
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◆寄稿募集のお知らせ◆

週刊PONTEに載せる原稿を募集します。
800字以内でお書きください。
編集長による査読を経たのち掲載。
掲載の場合は、宣伝したいことがあればしていただけます。
投稿・質問は mag@jugglingponte.com まで。
締め切りは、毎週金曜日の23:59です。

◆編集後記◆ 文・青木直哉

-久々に寄稿あり。まさやんです。皿回しをする新入生獲得のため、なかなかに気合が入っています。文中のリンクに飛んでみてください。

-来週には、今月刊行予定の自著に関して色々と発表できるかと思います。お待ちください。

また来週。

PONTEを読んで、なにかが言いたくなったら、mag@jugglingponte.com へ。

発行者:青木直哉 (PONTE)

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