週刊PONTE vol.162 2021/12/20

=== PONTE Weekly ==========
週刊PONTE vol.162 2021/12/20
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PONTEは、ジャグリングについて考えるための居場所です。
週刊PONTEでは、人とジャグリングとのかかわりを読むことができます。
毎週月曜日、jugglingponte.comが発行しています。
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◆Contents◆

・青木直哉…Object Episodesを聴く(10)

・ハードパンチャーしんのすけ… 日本ジャグリング記 舞台編 第23回

・寄稿募集のお知らせ

・編集後記

◆ジャグリングの雑想◆ 文・青木直哉
Object Episodesを聴く(10)

OBJECT EPISODES 10
https://www.juggle.org/object-episodes-10/

話題の中心は「ジャグリングの具体的な創作方法」、「ジャグリングは何を表現しうるか」。
ジャグリングの、モノ自体の動き、身体の動きと別に、概念的な解釈を付け加えることの問題。ジャグリングと音楽を一緒に作っていたら、互いの微調整が永遠に終わらなくて、創作に収拾がつかなくなる、という、誰しもが陥りがちなことなどについても語られる(「時間やリソースで、自分で恣意的に区切りをつけるのが一番いいよね」とエリックは言う)。
冒頭で、前者を語る面白い話が出てくる。ジェイはある時、「カスケードはタイムトラベルである」という考え方を披露した友人と、数時間議論をした。3ボールカスケードで投げられるボールは、
1.手に持っているボール
2.今しがた投げられたボール
3.投げられたのち、キャッチされそうなボール
という3つのそれぞれ過去、現在、未来の状態を常に保っている(実際にはもっと細かい議論があったと思うが)。
ジェイは議論の末その考え方に感心して、ある時エリックにもそれを説明してカスケードを見せてみた。
だが当のエリックは、「うん、でも、それカスケードだよね」とにべもない。ジェイは、フィジカルな営みに対して思想的、概念的な解釈を加えることの面白さと、同時に、ジャグリングの技術としての進化はない、という危険性について意識的になる。
「ジャグリングは何を表現しうるか」というテーマでは、ジャグリングで感情を表現することはできるのか、そもそもジャグリングは「何を」表現しているのか、といったことが語られる。エリックがジェイにあてた長い書簡では、要約すると「もしジャグリングが感情を表現するとしたら、それは、すでに演劇、ダンスなど他の分野で確立されている表現方法を少なからず取り入れることでしか可能性はないと思う」というようなことが書いてある(もっとも当のエリックはこれを書いたことを忘れており、今ではちょっと違うことも考えている、とも)。

二人の議論の根底には、主にヨーロッパでプロとしてジャグリングをする上でぶつかる課題への意識があるのだろう。なんせ彼らは、自身がプロのパフォーマーであると同時に、真剣にジャグリングを追求し、それで身を立てようとしている生徒たちを長年教えてきた教育者でもあるのだ。例えば、劇場でジャグリングをしようとするとき、ディレクターをどう説得するのか、というような話にもなる。どうしても演劇やダンスなどと比べて、ジャグリングは一般的にその価値が受け入れられていない。そのジャグリングによってどのように観客を呼べるのか、すなわち「そのジャグリングは何について表現しているのか」ということを語らねばならないとしたら、どうすればいいのか。
ジェイは、「ジャグリングにしか表現できないものがあるとしたら、それはどういう質感のものなのかにも興味がある」という。

ちょうど大阪で、ジャグリング・ユニット・フラトレスの公演を見た帰りにこのポッドキャストを聴き通したもので、考えるテーマとして重なる部分が多かった。フラトレスは、演劇とジャグリングを組み合わせた公演を主に打っている団体である。代表の宮田直人さんは、「多くの前例がありながら後れを取っているのが演劇におけるジャグリングだと思っています」(「ワークインプログレス公演『わが星』」当日パンフレットより引用)と書き、また対談でも、こういう良いものを作りたいから作る、ということよりも、ジャグリングが持っている課題に取り組むことに興味がある、と語っていた。

こういった込み入った議論こそ、まとまって参照できたら絶対面白いだろうと思ったりするけれど、まぁ、なかなか骨の折れる作業ですよね。

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☆PM Jugglingのnoteを勝手に紹介☆
探る
https://note.com/daigoitatsu/n/n89f4b25e393f
「下北沢のおしゃれなお店で緊張しながら飲みたいわけじゃないので、おいしくてもわざわざ通おうとは思わないけど、ただ、ようやく答えがわかった気がしてすっきりした。ひさびさに足で答えを見つけたという感じがうれしい。自分の味覚についてはネットには答えがない。」
(記事本文より)
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◆日本ジャグリング記 舞台編◆ 文・ハードパンチャーしんのすけ

第23回

(ちょっと)大きめの会場でやってみた。1週間弱の公演もやってみた。
その上で残ったのは「ジャグリングをみる環境が、もっと気軽で身近であるといいな」という気持ちでした。

「堀の外のジャグリング第参回公演」のアンケートに、こんな言葉がありました。
―こんなのはジャグリングではない。
大道芸を通じてジャグリングを知っていた家族でした。表現としてのジャグリングを模索していた時期でもあり、まだ演じる側の練度が足りない部分があったのは否めませんが、観る側とジャグラーとの間にギャップがあることを気づいたコメントでした。

そんなことがあり、「ジャグリングを身近にする」のはぼくにとっての新しい課題となっていましたが、子どもが生まれることになり、年一回ペースで続いていた公演制作も2010年は公演制作を休みました。しかし、その間に自分の中で、むくむくと湧き起こるものがあり、スタートしたのが「門仲ジャグリングナイト」と題した月に一回開催するライブ公演です。通称「もんじゃナイト」。
このシリーズは、門仲天井ホールの支配人・黒崎八重子さんに、自分の作りたいものを相談しに行き、「だったらこういう形が良いんでない?」と会場使用に関して提案・協力をいただき、実現しました。黒崎さんが、ジャグリングの流れを一つつくった、とぼくは思っています。

もんじゃナイトがどのようなものであったかは、ジャグリング学の西野順二さんが当時の出演者を集めて振り返った音声動画があるので、ぜひ聞いてみてください。

1 https://youtu.be/JY-F2WQamPo
2 https://youtu.be/7P8xz8sDdkw
3 https://youtu.be/IuAK1RccLPM

もんじゃナイトで、初めてジャグリングに触れる地域の方も少なからずいて、楽しんでもらえました。表立っては目立たないことではありますが、ぼくにはそのことがうれしかったりします。

もんじゃナイト時は、公演しては次の公演……と追われるように1年半(全17回)を過ごしましたが、何かが生まれている熱を直に感じる時間でもありました。その後、ここで出会ったひとたちの何人かが、ジャグリングの公演や作品を作り続けていて、そのことを何よりうれしく思います。

◆寄稿募集のお知らせ◆

週刊PONTEに載せる原稿を募集します。
800字以内でお書きください。
編集長による査読を経たのち掲載。
掲載の場合は、宣伝したいことがあればしていただけます。
投稿・質問は mag@jugglingponte.com まで。
締め切りは、毎週金曜日の23:59です。

◆編集後記◆ 文・青木直哉

-何度か書いたような気もしますが、僕もしんのすけさんが企画した「おうじゃナイト」というイベントでジャグリングをしたことがあります。それにしても、1年半で17回公演、って凄まじいですね。

-大阪に数日間滞在しています。特に観光らしい観光はせず、人に会ったりイベントに行ったりしてから、あとはただただドトールコーヒーに一日数時間いる、という生活です。いいもんです。

また来週。

PONTEを読んで、なにかが言いたくなったら、mag@jugglingponte.com へ。

発行者:青木直哉 (PONTE)

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