週刊PONTE vol.108 2020/12/07

=== PONTE Weekly ==========
週刊PONTE vol.108 2020/12/07
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PONTEは、ジャグリングについて考えるための居場所です。
週刊PONTEでは、人とジャグリングとのかかわりを読むことができます。
毎週月曜日、jugglingponte.comが発行しています。
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◆Contents◆
・青木直哉…ジャグリングの雑想 7.続・ジャグラーであると名乗らないこと – ニコニコしている研究者
・ハードパンチャーしんのすけ…日本ジャグリング記 黎明編 結び
・寄稿募集のお知らせ
・編集後記
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◆ジャグリングの雑想◆ 文・青木直哉
7.続・ジャグラーであると名乗らないこと – ニコニコしている研究者
美術の専門的な教育を受けたことはないが、地下街で自分の描いた絵を売っていたら、たびたび「美大生ですか」「美大出身ですか」と聞かれた。
これはなんだか愉快だなと思った。
ジャグリングをしていても、「プロの方ですか」と聞かれることは多い。(多いですよね?)
実際には部屋で1日5分ボールを投げて喜んでいるだけ。しかし、「ジャグラーです」なんて言うと、あまりジャグリングのことに明るくない人からすれば、まず真っ先に浮かぶのは「パフォーマー」というイメージである。
肩書なんて信用ならないね。
職業名とか肩書を言われると、勝手に「その集団の中でも一番輝いている人たち」が思い浮かんでしまうのが常だ。画家、と言われればピカソとかゴッホとかがとりあえず思い浮かんでしまうわけだし(あとですぐ訂正するにしても)、ジャグラー、というとシルク・ドゥ・ソレイユで活躍するようなスターや、街で見かける大道芸人がどうしてもパッと思い浮かぶわけである。
僕は、自分自身を翻訳者、ジャグラー、画家、など、名乗ろうと思えば勝手に名乗れる。
だが実際には、「その集団の中の一番輝いている人たち」とはだいぶ遠いところにいる。
だから肩書を目安にして人を判断するとき、その認識は、大体において間違っている。
画家、と僕が名乗ったところで、やっているのはささやかなことだ。
毎朝起きたらハガキに絵をボールペンでチマチマ描いて、それを眺めてニコニコしているだけだ。戦争の悲惨な光景を描いたり、自身を極限まで追い込んでキャンバスと睨めっこしているわけではない。(実際、ピカソもゴッホもマグリットもミロもミケランジェロも雪舟も誰も、実際にやっていたことは毎日絵を描いてニコニコ眺めていただけだった可能性もある)とにかく僕は全然、大したことをしていない。
それでも、肩書をつけてしまうと、なんとなく、くるっとまとめて、一番輝いている人の一番輝いている印象に自分を合わせることができる。これは、学校名、会社名、なんかでも同じである。〇〇大学△△学部出身です、なんて言ったら、そうですか、勉強がおできに/絵が得意なんでしょう/お医者さんになるんですね/といった、種々多様な紋切り型の印象を与える。でもまぁ、実際にはそのイメージにはそぐわない場合が大半だろう。
だから肩書は、人をだまくらかすのによく使われる。プロのアーティストです、なんて言えばそれ相応の者に聞こえる。事務所に所属してます、なんて言えば、格好がつく。実績、大学名、所属、全部そうだね。
逆に、肩書は、実態にそぐわないイメージを与える装置として、遊びにも使えるな、とおもう。自分で誇大広告のようにその肩書を使っていることを認識してそれを楽しんでいるのであれば、こんなに面白い遊び道具もなかなかないな、と思う。僕は先日自分を「ペン画家」と名乗ってみて、そのことに気がついた。
なんだか響きと現実との落差に、笑っちゃうのである。
虫好きの子供を指して「昆虫博士」と呼んでいるような、そういう可笑しさがある。
でも、そういう「世間知らず」な範囲で「自分は昆虫博士だ」と自信を勝手に持つのは、確かに本当に昆虫をよく研究している人からしたら鼻で笑うようなことかもしれないけど、個人にとってはそれで十分じゃないか、と思う。
むしろ「自分がまず自信を持って楽しむ」という態度なしに、深い本質的な研究って実はできないとすら思う。
研究にとっては、「続くこと」が何よりの力だ。あまりに圧倒されると人はときに探求意欲を失うので、変に素晴らしいものばかり知らない方がいい時もある。
それよりはむしろ、自分の身体から湧き出る知的な欲を絶やさないで、ワクワク、研究しつづけよう、という楽しい気分の方が重要だと思う。
僕はぜんぜん、絵を描くことに緊張感を感じていなくて、それもいいんだろうね。もし僕が、絵画でひと旗上げてやろうとか、業界で認められようとか真剣に考えていたら、そんなふざけた態度は取りづらかったとおもう。
門外漢である方がきもちいい。世間知らずである方が愉快。ニコニコしている研究者がいい。
だいたい、どんなに大成しようと、人が「画家である」ことなんてないんじゃないの、と僕は先週に引き続き思う。
名を馳せた絵描きだって、絵を離れれば普通のひとだし、輝かしい部分だけを引っ張ってきて人を理解しようとしても、それはなんだか、ヨソから見た勝手な解釈に過ぎなくて、少なくとも自分自身のことを細かく考えたいときには向いていない言葉遣いだ。
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☆勝手にPM Jugglingを紹介するコーナー☆
【Weekly PM】#42:何もないことも
https://pmjuggling.com/blogs/journal/20201205
「休日に、ボールが川の流れにハマっていたくらいでしょうか・・・」
(記事本文より)
川にはまったかわいいボールが見られます。
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◆日本ジャグリング記 青春編◆ 文・ハードパンチャーしんのすけ
「青春」とは…と改めて考え込んでしまいました。
…思いつきでつけた(というのはちょっと言い過ぎな程度には少し考えた)タイトルではあるのですが、「日本ジャグリング記
青春編」―青春ってなんでしょうね。これから取り上げる時期は、ぼくにとっては、遅れて訪れた青春の時間であった感もあり重ねた部分もあるのですが…。
アマチュア界隈から立ち上がってきた日本のジャグリングにとっても、自意識が生まれ個性を形作っていった時期、様々な交流を経て成熟に向かう道ができる時期…これは日本のジャグリングの青春期なのでは、というイメージがあり、今回「青春編」と掲げてみました。
具体的には1999年―日本ジャグリング協会が立ち上がって以降―から2005年くらいの話を、例によって個人的な体験を元に書き残します。
さて。
大道芸の盛り上がり、それに続くナランハ創業(「良い」道具が「すぐに」「手軽に」手に入るというのは画期的なことでした)、そして日本ジャグリング協会の設立の影響もあり、ジャグリングは急速に広がって行きました。
その一つの表れが、ジャグリングクラブの増加です。
今と同様(?)大学をはじめとした学校でのクラブ・サークル活動は、ジャグリングの世界で大きな割合を占めていた気はします。さらに、ジャグリング初心者主体の地域サークルもポコポコと生まれて行きました。
思い返すと、ジャグリングを表現するのに、しばしば「マニアック」という言葉を使っていたような気もします。うん、この時期より少し前まではジャグリングは(少なくともぼくの中や周辺では)マニアなものでした。
日本ジャグリング協会のジャグリングクラブのリストを見ると、「マニアック」なひとたちが増え始めている! あんなところにもこんなところにもジャグリングクラブがある。ウェブサイトを見ると、掲示板があり、ジャグリングをしているひとたちの声が見れる。
ワクワクしました。
そんな中、当時研究室で一日ディスプレイの前にいたぼくは(嘘つきました、不真面目だったぼくが、研究室に滞在する時間は数時間でした)、ふと疑問を持ちます。
(続く)
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-編集長コメント-
新しく青春編がスタート!
楽しみです。最近、「マニアック」という言葉自体もあんまり使わなくなったような気がします。そうでもないのかな。
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◆寄稿募集のお知らせ◆
週刊PONTEに載せる原稿を募集します。
800字以内でお書きください。
編集長による査読を経たのち掲載。
掲載の場合は、宣伝したいことがあればしていただけます。
投稿・質問は mag@jugglingponte.com まで。
締め切りは、毎週金曜日の23:59です。
◆編集後記◆ 文・青木直哉
-特に言うことなし。なんか、絵ばかり描いている一週間でした。
また来週。
PONTEを読んで、なにかが言いたくなったら、mag@jugglingponte.com へ。
<END OF THIS ISSUE>
発行者:青木直哉 (旅とジャグリングの雑誌:PONTE)
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