週刊PONTE vol.101 2020/10/19

=== PONTE Weekly ==========
週刊PONTE vol.101 2020/10/19
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PONTEは、ジャグリングについて考えるための居場所です。
週刊PONTEでは、人とジャグリングとのかかわりを読むことができます。
毎週月曜日、jugglingponte.comが発行しています。
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◆Contents◆
・今回のテーマについて
・青木直哉…ジャグリングがつなげるもの Weekly 第86回「いきものたち」
・ハードパンチャーしんのすけ…日本ジャグリング記 黎明編 第27回
・かいしゅー…舞台上のマリオとクッパ、の話
・寄稿募集のお知らせ
・編集後記
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◆ジャグリングがつなげるもの Weekly◆ 文・青木直哉
第86回「いきものたち」
この原稿を、書こう、と思って机の前に座ってからはや2時間くらい経っている。一向に書けない。
気がついたら、「Steve Jobs young」と検索窓に入れて、スティーブ・ジョブスの若い頃の写真を眺めていた。
第100号で気持ちが落ち着いてしまって、何か、ものを書く気持ちが少し変わってしまっているような気もする。
先日PM Jugglingのだいごさんと話していた折、小説を書いたらいいのではないか、という話題が出た。
小説なんか書いたことがない。小説なんか、書いたことはないのだが、しかし、不思議と、もしかして、書けるかもしれない、とも思う。
僕の頭には、ジャグリングを手がかりに旅行をする人の姿が思い浮かぶ。各地の空港、街並み、人と出会った時の感触、その多くが、まだまだ手付かずで、具体的な形を与えられないままに記憶の宇宙に漂っている。
小説を書くということが、それらのちりみたいなものを凝結させてくれるかもしれない。
どうしても、「エッセイ」という形式で、記憶の海からいきものを連れてくるみたいに話を作ると、それだけではすくいきれない、いきものたちがいることに気づく。
エッセイは、特定の海域をすくう少し大きめの網みたいなものである。
でも記憶の海には、本当に、自分でも知らないようないきものがいるんだ。
浅瀬のいきもの、沖合のいきもの、深海のいきもの、たくさんのいきものたちが心と頭の真ん中ぐらいのところに、たくさん、暮らしている。
このいきものたちの姿を、どうにか、もっとたくさん見たいな、と、今は、そんな、気分でいる。
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☆勝手にPM Jugglingを紹介するコーナー☆
【Weekly PM】#35:発見し続ける
https://pmjuggling.com/blogs/journal/20201018
「道具づくりの活動、PM Jugglingという形は、今の現在地点というだけで、まだ、次もあるかもしれない。あるいは、他にもっと違ったアウトプットの形があるのかもしれない。」
(記事本文より)
「形にする能力が自分に備わっている」と認識する時、ってやはり気持ちいいですね。
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◆日本ジャグリング記 黎明編◆ 文・ハードパンチャーしんのすけ
第27回
前回紹介した
「ジャグパル」http://www.chansuke.net/jugpal/
ちびちびと読み返しています。
当時の熱量を感じる。ぼくにとっては馴染みがあり、そして懐かしい名前がたくさんでてきているので余計感じるのかもしれませんが、まさに日本のジャグリングをつくっていこうとする熱が溢れています。
資料としても、当時何があり、どんな意識を抱えていたのかが記録されています。
”スポーツ感覚で楽しめる屋外のジャグリングはもちろん楽しいですが、決して『ジャグリング・イコール・大道芸』 ではないはずです。
(中略)
いつか日本でもジャグリングという素材を使った大道料理、ステージ料理あるいはサロン料理などを、個性あふれるシェフ(アーティスト)によって存分に楽しめる時がくるでしょう。きっと… そして他の身体表現アートとの融合などを含め、え~っ
こんなジャグリングの世界もあったのかぁ、と驚くような広くて深いジャグリングの可能性にどっぷりと漬かりたいと思うのは私だけでしょうか。”
(ジャグパル 1999年6月7日第4号「大道芸とジャグリング」安部保範 より引用)
ジャグリングと大道芸はイコールではない。
大道芸が後押しの一つとなって、ジャグリングが広まったのは確かです。一方で、ジャグリングの魅力に取り憑かれていたひとたちにとっては、大道芸だけではない、ジャグリングの奥深さをもっと知ってほしいと言う思いが当時少なからず流れていました。
この時期にジャグリングの普及を目指す団体が同時に二つ生まれたのは、当時のジャグリングへの熱意が強いことの表れでしょう。
余談ですが、ぼくは、後年舞台公演をいくつか行うことになります。
学生の時にも一度自主公演しましたが、舞台志向が強く形になったのは2006年のことでした。
ジャグリングと大道芸はイコールではない―-この空気を吸いながらジャグリングを続けてきたからこそ、ぼくは後にジャグリング公演に取り組むことになったのだろうな、と自分のルーツを再発見した気分です。
続きはまた。
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-編集長コメント-
ジャグパルを読んでいると、やっぱり、時代の空気を残すのって面白いな、意義のあることだな、と思います。
PONTEは…まぁ、一端ぐらいにはなれているかな。どうかな。
https://twitter.com/shinnosuke_hp
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◆舞台上のマリオとクッパ、の話◆ 文・かいしゅー
ジャグリングを始めてから舞台に立つ機会も出てくるようになった。
大学のサークルの活動でも様々なところから依頼を頂いて、パフォーマンスをすることがある。多かれ少なかれそのような機会を持っている人がまず覚えるのは、舞台の「上手」と「下手」ではないだろうか。
この上下は間違えてしまうと結構恥ずかしいやつだ。その一方で、初めのうちは中々覚えられないものだと思う。というか僕がそうだった。
「お客さんから見て左が…」とか「舞台から見て右側が…」とか覚えようとしても「あれ、左が上だっけ?」みたいなことになりがちである。開き直って「お客さんから見て左側の方立っておいて」とか「舞台から見て右側にはけます」とか言うのもそれはそれでかなり格好がつかない。
しかしある日、サークルのOBの先輩にめちゃくちゃ簡単な覚え方を教えてもらってから、一切間違えなくなった。それが「マリオとクッパ」だ。要は「下手がマリオで上手がクッパ」なのである。なんと素晴らしい。誰でもわかるし一瞬で理解できる。
この「マリオとクッパ」、サークル外に出ると意外にも知らない人の方が多い。以前この覚え方を他の人に話したら「天才か?」と言われてしまった。先輩からの受け売りで天才認定された僕は、もちろん「先輩から教えてもらったんだよね」と明かすはずもなく「でしょ!」と乗っかった。ありがとう先輩、ありがとうクッパとマリオ。
だがこんなに分かりやすい覚え方が何故広まっていないのだろうか。気になって調べてみると、この覚え方は世代的には少し前に流行ったものらしい。
勿体無い。「クッパとマリオ」、ポピュラーで分かりやすく誰にでも通じる素晴らしい覚え方なのに、、、と思っていたら、今の時代のマリオは3Dだから別に下手からスタートするわけでもないらしい。
廃れていくものには理由があるのだなあ、と改めて思った。今や僕は舞台上にうっすらクッパとマリオが見えるほどになっているというのに。
いつかこのマリオ達も消えていなくなってしまうのだろうか。幻覚に対して訳のわからない寂しさを覚えてしまった。
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-編集長コメント-
この原稿によって大いに救われる人が、実は結構いるかもしれないですね。
https://note.com/w_kaishu
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◆寄稿募集のお知らせ◆
週刊PONTEに載せる原稿を募集します。
800字以内でお書きください。
編集長による査読を経たのち掲載。
掲載の場合は、宣伝したいことがあればしていただけます。
投稿・質問は mag@jugglingponte.com まで。
締め切りは、毎週金曜日の23:59です。
◆編集後記◆ 文・青木直哉
-よくわからない精神状態なんですが、今、「意味のあること」を言うのがものすごく億劫です。全然意味のないことに埋れたい、と思います。そんなことってないですか?論理的なつながりに疲れてしまう時。酒こんにゃく、廊下ですだれざきして六角橋!はー、今週も、全然ジャグリングと関係ないことばかり書いてしまいました。
また来週。
PONTEを読んで、なにかが言いたくなったら、mag@jugglingponte.com へ。
<END OF THIS ISSUE>
発行者:青木直哉 (旅とジャグリングの雑誌:PONTE)
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