ハロー・アイム・ヘンリー

ヘンリースというジャグリング道具の店がある。ドイツのカールスルーエに本社を置いている。現代ジャグリング史の中でもその歴史は古い。僕の記憶が正しければ、ジャグリングクラブを初めてスタンダードな形で規格化し、量産して販売したお店である。それが30年以上前のことだ。ヘンリースが今も自社製造している「ピルエットクラブ」はジャグリングクラブの標準。アマもプロも、とりあえずこのクラブを選べば間違いない、というくらいの逸品である。

クラブ以外にも、ヘンリース社はゴム製ディアボロ「ディアボロサーカス」で知られている。ディアボロ市場では、アジア、ヨーロッパの各国から良質なディアボロが販売され、しのぎを削っている。そんな今でも、未だにコアな愛好者がいる。触った感じや落ちた時の音が結構好みなので、僕も使っている。かつては(と言いつつ、15年ぐらい前のことだが)ディアボロを買うにもそれほど選択肢はなく、扱いやすいディアボロとして有名なところでは、オーストラリアのYoho!社の「ディアボロジャンボ」か、このヘンリース社製「サーカス」ぐらいしかなかった。なので僕も一時はこのディアボロを使って熱心に練習をしていた。同じくヘンリース製の「カーボンスティック」という軽くて扱いやすい画期的な製品にも、大変お世話になっていた。

僕のジャグリング人生では、「ヘンリース」という名前は「ジャグリング道具の老舗」としてインプットされていたのだ。

さて、2017年の夏の話。僕と、ジャグリング仲間であるふじくんとケントくんの3人で、EJC(ヨーロッパのジャグリング大会)で雑誌のブース出店をしていた。交代で店番をして、雑誌やグッズを売っていた。そんな折、僕が店番をしていると、『ピノキオ』に出てくるゼペットさんのような男性がこちらに近づいてきて、「ハロー、アイムヘンリー、フロムヘンリース」と自己紹介をしてきた。

顔をあげてみると、それはヘンリースのブースからやってきた創業者のヘンリーさんであった。

あまりに唐突に「私はヘンリースのヘンリーだ」と面と向かって言われたので、それをきっちり飲み込むのに数秒かかった(本当に)。「ああ、どうもヘンリーさん」と言って、信じられないな、と思いながら何をするのか見ていたら、「この本を一冊くれないか」と言って、雑誌のPONTEを手に取った。すごく嬉しかったのを今でも思い出せる。もちろん差し上げてもよかったのだけれど、ちょっと考えて、せっかく買ってくれると言っているわけだし、お金を払って買っていただくことにした。その時は、なんとなくそのほうが適切な気がしたのだ。そのあと少しお話をして(残念なことに内容は覚えていない)ヘンリーさんはどこかに行かれた。

とても不思議な気分だった。毎年、ヘンリースのブースで仕事をする様子は見ていたから、初対面ではない。ヘンリーさんはEJCに来ると、ほとんどの時間、クラブを工具でバチンバチンと修理して過ごしている。だが、向こうから「私はヘンリーだ」と突然言われると、「そうか、これがヘンリースのヘンリーさんか」と真実をやっと明かされたような、10数年の認識が鮮やかにひっくり返るような心地がした。

さらに嬉しいことには、偶然その夏、カールスルーエに住んでいるドイツ人の友達、ティムくんの家に泊まることになり、ヘンリースのお店を実際に訪れることができた。実際に行ってみるとそこはジャグリングショップ、というよりはおもちゃ屋さんのようで、ボールやディアボロ、クラブの他にも、腹話術の人形や、木製のゲーム、ハンドスピナーみたいなものも置いてあるところだった。そして店員の女性も、英語は苦手なようだったけど、とても親切で、気楽な雰囲気だった。

こうして僕の中では、今までは「良質なジャグリング道具を作っている遠くの国にある会社」という、中身の見えないアイコンだった「ヘンリース」が、一気に「気さくなおじさんが店長の、町のおもちゃ屋さん」という具体性を持った、温度のある場所へと変わった。ヘンリーさんとは、もう一度、ゆっくりお話がしてみたい。

文・写真 = 青木直哉

初出: 「第7回 ハロー・アイム・ヘンリー」ジャグリングの郵便箱 2018年3月7日水曜日 http://mailbox.jugglingponte.com/2018/03/helloiamhenry.html に加筆修正