第467回 もちろん、全部デジタルのせいだ、と全責任をなすりつける気はないのですが。

「…三日かけて短編小説をひとつ書き上げて、それで意識をいったんちゃらにして、新たに体勢を整えて、また三日かけて次の短編小説をひとつ書く、というサイクルは、いつまでも延々と繰り返せるものではありません。そんなぶつぶつに分断された作業を続けていたら、たぶん書く方の身が持たないでしょう。」(村上春樹 『職業としての小説家』 新潮文庫 p.184)

今自分がしている生活が、まさに「ぶつぶつに分断された」生活であると感じている。

毎日何かをやるのであれば、少なくとも「よし、今日もこのひとつのことを、納得いくまでやってやったぞ」と感じるようなことをしたい。

MacやiPadで仕事をすることが多いのだが(ディアボロの動画も最近はiPadで編集してInstagramに上げている)そのようなデジタルな活動は、今ひとつ自分自身の腑に落ちないというか、村上さんの言葉を借りると、「納得性」(p.170)がないことがやや多い。

もちろん、全部デジタルのせいだ、と全責任をなすりつける気はないのですが。

というわけで今日のこの文章は、一度ノートに書きつけてから、それを改めてiPadでデジタル文書に起こして公開しています。

スマートフォンで、なんとなくいつもの習慣でFacebookやTwitterを開いたりして外にある情報に自分を寄せていくのは楽しいようですが、こうしてノートに向かって、自分の内にある情報に意識を寄せていく方が、僕には合っているようである。

横浜