AAPA公演『浮舟』感想 2016年1月31日(日)

文・写真=青木直哉
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ぎりぎりの時間に会場に入ると、既に一人の細身の男性(佐々木隼人さん)がチェロを穏やかに、音楽として、というよりは環境音のようにして弾いている。

会場となっているのは、団地一階の空洞をギャラリーのような空間にしたところ。
壁は表面がやや荒くて白い。
純粋な白、というより、布のキャンバスとしての白のような、ほんの少しだけ立体的な質感を感じるもの。
床は灰色のリノリウム(かどうかは分からないが、少なくともそのようなもの)。
明かりは少し褐色で、その中に椅子があり、その上にチェロ弾きがいる。

しばらくするとAAPA代表上本さんが諸注意を述べた後、おもむろに劇中の役となり、本棚に入れてある本を適当にめくりながら、チェロを弾いている男性(薫と名付けられている)と、話をし始める。
その内容は、チェロを弾く男性の来歴。
幼いころチェロをやっていたこと、チェロをなぜやめたのか、なぜ再開したのか。
印象的なのは、その際の上本さんの演技。
「まぁ、どっちでもいいんだけど」という体で話すのだが、自然に耳を傾けられる。
「いや、だから誰に?」など、きつい調子で言葉を発せられると、居心地の悪さというよりは、はっきりとした上本さんの存在を、フラットに強く感じる。

会話を終え上本さんが出て行くと、小柄で黒髪の落ち着いた雰囲気を持った女性(永井美里さん)が入れ違いのように出てくる。
男性のチェロに合わせてダンスをする。手にはペットボトルがあり、中には水が半分ほど入っている。
その水が時折立てる音、流体の質感が、女性のダンスを支持している。
場面のバランスが丁度よい。

ダンスだけを見るのは、疲れる時がある。
それは、人を見ることに他ならないからである。
言葉にはならないけれど、観客と演者との間にコミュニケーションがあるのだと思う。
その分、感情はより多く伝わってくる。
しかし、水の入ったペットボトルなど、「擬似的な生命体のように動くモノ」がそこに部分として添えられると、一気に見やすくなる。
ダンスが優れていることは前提だが、そのダンスが「質感」として捉えやすくなるのである。
簡単に言えば、「粘着質に動いてる感じ」とか、「ふわふわ浮いてるみたいな感じ」とかそういう類のこと。

水に影響される身体とか、投げられたジャグリングのリングやボールに呼応する二人の身体は(たとえあくまで「呼応しているように演じられている」踊りであるとしても)その美しいモノの軌道との領域を曖昧にする。
人間の身体と非生命体を不可分にしていくようなところがある。

時折何か寓意的なものも時々感じ取りはしたから、この公演の全てが動きの質感に捧げられているというわけではない。
袋からコップに入れた水を出すところなんて、生命の誕生を見ているようだったし、そう思うとその前のリングとペットボトルを使った踊りはまさしく夫婦の営みを見ているようだ。

しかし一番印象的だったのは、ダンスがモノによって、より強く補完されているという気づきであった。
ジャグリングも、あくまで場面全体の構成の一要素として、支持するためのものに極力徹していたところがよかった。
佐々木さんがソロでジャグリングを披露するところもあるのだが、そこだけ若干違和感がある。
しかし永井さんが佐々木さんの前に出てきてダンスを始め、更に二人の動きとジャグリングの質感がシンクロし始めた時など、ジャグリングが理想的な形で背景化している、と思った。

ここからはジャグリングの話。

ディアボロをやっていても思うのですが、ディアボロの数が2つ以上になると、途端に身体のムーブメントに沿った動きができなくなります。もっともディアボロがひとつであっても、よっぽど意識しなければそれを純粋な「モノ」としては扱いづらい。複数個になると、輪をかけて「ディアボロとスティック自体の動きを見せる」ようになっていきます。
「技をどれだけ多く鮮やかにできるかな!?」という感じになっちゃう。
それが歯がゆいので、私はひとつのディアボロを扱うのが好きです。
自分の身体の方に余地が残されている気がするから。

もしたとえばジャグリングボールの動きに自分を合わせていくとなると、その形はもちろん山村佑理のような形になったり(彼らは彼らなりの哲学でやっているので、ことはそんなに単純ではないですが)渡邉尚のようになったりする。

今回のような、一枚のリングの動きと、それを捕まえる佐々木さんの動き、さらにそれを永井さんが身体だけで追っていく動き、その3重構造にするような手法も可能である、というのが、新鮮な発見でした。
「ジャグリングを背景化」するには、工夫が必要である。
カスケードの状態になっているだけでも、もう既にコンテクストが付与されてしまっているから。
つまり、大多数の人にとって、新鮮なあるがままの質感を捉えづらい。
ジャグラーならもちろんのこと、ジャグラーでなくても、「大道芸っぽいな」とか、別の「ジャグリングっぽい文脈」を無意識に想起しちゃうんですね、きっと。
だから目立ちすぎてしまう。
そこをなんとかするには、やっぱり、ジャグリングをもっとプリミティブな状態にするとか、(たとえばただ一枚だけのリングをわかりやすいように動かすとか)もし3個ボールを投げたいのなら、それと同じくらいか、より強い強度を持ったものを前景として持ってくるとか、そういう工夫が必要になってくるのだ…

という、あくまで仮説を立てるきっかけとなりました。

それが本当かどうか判断するには、もっと実例が必要かな。

とてもいい公演でした。

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終演後、主演のお二人と。左が永井美里(ながいみのり)さん、右が佐々木隼人(ささきはやと)さんです。

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文・写真=青木直哉