ジャグリングがつなげるもの 欧州ジャグリング紀行2018 memory no.20 テート・モダンと入場無料の美術館ということについて

最後まで練習に付き合ってもよかったのだが、久しぶりのロンドンを歩きたかったので、昼前にはスタジオを出ることにした。
テート・モダンという美術館へ向かった。
街の様子を徒歩で見たかったので、寄り道をしながらだいたいの方角の見当だけつけて歩いていった。何を見たのだったか、今ではもう覚えていない。ただ街の空気を感じながら歩いていた。やっぱりロンドンはいいなぁ、とか思っていたのだろうな。

テート・モダンは、スタジオから比較的近いところにあった。もともとはボイラーか何かだった、大きな建物を改造して作られている。(あとで調べたら、発電所だったそうである)複数階あって、近現代美術を豊富に展示してあり、入場は無料。入場無料の美術館は本当にいいよな。2000円も払ったから全部見なきゃ、というふうに思わなくて済むもんな。美術に対する態度が変わるような気がするよ。まぁ、僕なんか「ど」素人なので、結局のところ、お金を払うとどうしても「これだけのお金を払って見ているものだから、何かしら価値のあるものなのだ」と無意識に作品の価値を補正して見てしまう。いつもいつもそうだというのではないけれど、でも、たとえば、もし本当に「自分が本当にいいと思えるものにだけ価値がある」と信じ切っているなら、たとえ3000円払っていようと、やっぱり自分が好きなものだけ見て、さっさか15分で出てくる、ということだってするはずだろう。でも、僕は残念ながらそういうことができるほど胆力もないので、(お金の余裕もない、ということもおおいにあるんだけど)「芸術、美術というのは図書館のように公教育の一環のみたいなものですから、無料で見られる方がいいでしょう」というふうに考えてもらって(そういうふうに考えているのかは知らないが)いろいろな努力や誰かの良心的貢献の結果、誰でも無料で美術が見られる、というのは非常に嬉しい。これなら安心して、「いやあ、僕はこの作品も、この館に展示してあるどの作品もピンとこないねえ」なんて言いながら、健全に批判ができるんじゃないか、とか思うのだよな。無理に教訓を引き出そうとしたり、無理に価値を付与しようとしたりしなくなるんじゃないかと思うのだ。
とは言いつつも、現代アートなんかの文脈では特に、「作品そのもに宿っている絶対的な価値」なんかはあまり勘定されていなくて、ステータス争いのような、「評価されている作品こそが、評価されるべき作品なのだ」みたいなことが、そもそもの価値観としてあるのかもしれないけれども。

テート・モダンは僕のお気に入りの美術館の一つとなった。