カテゴリー: 欧州ジャグリング紀行2018

欧州ジャグリング紀行2018連載見合わせ

一ヶ月近く毎日ここで掲載をしてきた欧州ジャグリング紀行ですが、現在ここでこの連載をするよりも、念入りに、パーソナルに推敲して、本のような形で一度に一般に開くのが一番適している、と判断したため、しばらく連載を見合わせます。

また続報が出るときには、こちらでお知らせいたします。

かわりに、「ジャグリングの郵便箱」を再開するつもりです。

ジャグリングがつなげるもの 欧州ジャグリング紀行2018 memory no.29

EJC4日目
いつもこれを書いているのが夜の1時過ぎで、なんとかしないといけない。今はファイトナイトを見た後。
眠い。
なんとか、Youtubeの、”Rainy Jazz”と言うお気に入りのラジオ局を聴きながら、外のバルコニーで書いている。ここが今回の僕のEJCのお気に入りの場所である。
※ ※ ※
4日目、生活のリズムがつかめてくる。
昨日のステージに出たおかげで、自分のことを認識してくれる人がいる。
この日はイベントが少なかったので、割に書くことがない。
ただ、オープンステージに、日本人の鈴木さんが出た。
やはり同郷の人が出ると、未だに嬉しいものですね。
EJCに日本人が来る、ということの意味を考える。
主催のフレッドにインタビューをした時、
「日本からも人がきてくれるのは、アゾレスのコミュニティにとっても、島が魅力的だと言うことを示唆しているからとても誇りなんだ」
と言っていた。
そう、そして、言葉についても考える。
ミツオさん、という、半分フランス人で半分日本人のジャグラーに出会った。
彼は日本語をすごく上手に話す。
だがやはり彼と話す時、少しだけ、わかりやすい日本語で話そう、という意識が生まれる。
自然、話すことについても、「日本で暮らしている人」に特有ではなかろうか、と感じられる文脈については無意識に避けて通るように話したりする。
そういう風に話している時の自分を客観的に見ながら、英語を話している時の自分のことを考える。
僕は、白状すると、今だに、英語を母語とする人との会話に慣れない。
英語がそれほど上手くないから、というのが主な理由なんだけど、それにしても、相手が気を使っているかもしれない、と思ってしまい始めた時に、上手く歯車が回らない時がある。
ただ、シンガポールの人なんかだと、その感覚は薄い。
同じような、アジア人の見た目をしているだけで、精神性も似ていることをおのずから前提にするようなところがある。
これはなぜか。
英語を話す時には、僕は「英語を話す人の態度」を自分に憑依させて、日本語の人格と切り離された人格で話している。
イタリア語を話す時は、また少し違った感覚で話している。
言葉には、その言葉の”言語外現実”と密着に結びついた「話されかた」があるからだ。
たとえばその、居酒屋で焼き鳥を食べて、美味しかったよ、というようなことを言うだけでも、そこには日本語という形で、その思念を表に出すプロセスの中に、「それを話すのが日本語であるべき理由」が宿るような感覚がある。
外国に暮らすと、その国の言語を身につけやすいのは、言葉に囲まれる、ということもそうなんだけど、何より、その言葉と密着した「現実」を実際に経験できるから、だろうと思う。
同じように、EJCの中にいる人たちでも、なんとなく、そこに特有の「言葉の話されかた」「トピックの選び方」なんかがあったりする。あとは、「態度」とか。
そのことを、いつも僕は考えてしまう。
EJCという文脈で話される言葉、そして、共有されている認識、みたいなものに、自分をチューニングさせている。
だから、日本語を話しながら、同時に片方では英語を話す、というのはとても難しい。
言語が違うと、そしてそもそも受け答える内容だって、やや違ってくるから、ということもある。

ジャグリングがつなげるもの 欧州ジャグリング紀行2018 memory no.28

オープンステージ、というのがEJCにはある。
立候補すれば誰でも演技をすることのできるショーである。
例年のフェスティバルでは、開催期間中、5〜6日間オープンステージがあるのだけど、今年は規模が比較的小さいこともあってか、3日間しか開催されない。

3日目の朝、出場希望者全体のミーティングがあった。
朝11時。
11時5分前くらいまでステージの前にいたのだが、裏側に回ってみるとだいぶ人が集まっていた。
今年はショーを行うスペースがメインのジムの中にある。
これは2015年のイタリア開催の時もそうであった。

集まった人たちの輪の中に加わると、いつもオープンステージを仕切っているポーラとコンチャがいた。
特にポーラとは、もう2012年からずっとオープンステージに出る度に会っている。
ポーラってなんか誰かに似てるんだよなー、と思うんだけど、いつもそれが思い出せない。だがとりあえず、ピクサー映画『インサイド・アウト』のヨロコビに似ている。
ビールの蓋をあけるのがうまい。
コンチャもポーラもドイツ人。

待っているうちに続々と人が集まってくる。
各々の道具などを聞きながら、いつ出たいか、という希望も聞いていく。

ここで初日に出る人がなかなか決まらなかった。
本当は二日目に出たかったのだけど、仕方ないな、と思い、バリエーションとしてもちょうどよかったので、コンタクトジャグラーのたろりんと一緒に、「じゃあ、出ます」と言って出ることにした。
ミーティングの後は2時くらいまで、照明のチェックをしたり、音楽のチェックをしたり、司会の人に何を言って欲しいかを伝えたりする。

※ ※ ※

さて、今年は、去年に引き続いて、お店を出すことにしていた。
といっても気楽なもので、机を出して、その上に商品を並べるだけである。
別にずっと張り付いている必要もない。
なんだけど、机がなかった。
いやあ、昨日、「机用意しとくよ!」と言われたはずなんだけどな、と思うが、コンベンションの大きさを鑑みれば、これくらい、忘れられていてもなんてことはない。
ひとまず、どうしようかなぁ、と思っていたが、展示用においてあった木棚を横に寝かせて机がわりにすることにした。
今回のEJCは、あまりイベントがキツキツに入っていないので、会場内にあるミニマーケットに行ったり、お店の様子を見に帰ったり、テントに帰ってみたり、ジムに行ってオープンステージの演技を練習したりを繰り返しながら過ごした。

夜8時半。
オープンステージに備えるため、舞台裏に入る。
スペイン、イスラエル、ドイツ、そして日本など、各国から来たジャグラーたちがいる。
各々嬉しそうに通し練習をしたり、不安そうに準備運動をしていたり、メイクをしたりしている。
トリを飾るフィンランド人のラウリは、ポーラとコンチャに気軽に話しかけたりしている。
今まで5回のEJCにきて、その全てで演技をしてきた。
今回で、6回目。
自分は、どう感じているか?
これだけ何回も出ているのだから、何か進歩があってもいいよなぁ、と思うのだけど、自分が進歩したことって、果たしてなんだろう、と考える。
何が起こるか大体把握している、という意味では、大いに進歩している。
もう、ジャグラー7、800人の前で演技をすることには、慣れたような気がする。
ポーラもコンチャも、いつでも陽気に演技をする人たちを盛り上げてくれて、不安そうな時には、肩を抱いてくれる。
ミーティングの一番初めに言った一言。
「オープンステージは、みんなが楽しむためにあるからね」
そうそう、これがEJCだよな。

EJCに来て、オープンステージに出る醍醐味はいくつかある。
多くの観客の前でステージに立つことができる、というのはその最たるものであるし、その観客も、ジャグリングが難しいことを知っているから、挑戦する人には優しい。
個人的に、僕がいつも楽しみにしているのは、演技が始まる前に、円陣を組んでわあーっと観客席に聞こえるくらいの声を出すときと、全てが終わって、みんなで手を繋いで礼をした後、舞台裏に戻ってビールで乾杯をするときである。
その場限りなんだけど、そこには固有の、一体感がある。

ジャグリングがつなげるもの 欧州ジャグリング紀行2018 memory no.26

ある日テントに帰ろうとしたら、会場の隅で騒がしくしている人たちがいた。
みんなが歌を歌っていた。
面白そうだったので、輪に入った。
中には、ギターを弾く人、タンバリンを叩く人、歌のうまいお姉さんなどがいた。
みんな思い思いのことをしている。マッサージをしていたり、アボカドやなんかでブルスケッタを作って食べていたり、頭で逆立ちをしていたりした。
この歌はなんなのか、と思って聞いていれば、全部即興なのである。
ギターに合わせて適当にお兄さんが歌い、それに合わせてバスを歌ったり、適当に手拍子したり、ビールの缶をピンピン叩いたりして参加する。
時々リードをとる人が変わって、歌は違ったうねりになる。

これは、非常に「EJCらしい」ひとときであった。

ジャグリングがつなげるもの 欧州ジャグリング紀行2018 memory no.25

ヘナとペイ

パレードの最中に、うきうきとディアボロを回しながら大勢のジャグラーに混じって歩いていたら、うしろからどかーんと押された。なんだろう、と思ったら、ブロンドの髭が生えたドイツ人であった。

一瞬、いったい誰だろう、と思ったが、「久しぶりだな!」と言われて、ああー、と合点がいった。ヘナである。その後ろには、アジア人で背の低い女の子がいる。こちらはペイ。ヘナの彼女だ。

ヘナに会ったのは、数年前の香港だった。ジャグリングの練習会に行ったら当時香港に留学していたヘナがいた。そのあと横浜にも来て、案内してあげたこともあった。

ヘナはドイツの人間だが、なんだかアジア人に近い感覚を持っている節がある。それは、彼が香港や、台湾や、日本といったアジアの国々と、その言語に深い関心を持っていることと無関係ではないような気がする。彼女のペイは、台湾人である。

ヘナとペイとは、サン・ミゲル島の滞在中かなりの時間、一緒にいた。

ショーを観に行くのも彼らと一緒だったし、島をレンタカーで一緒に回ったのも彼らだった。

ジャグリングがつなげるもの 欧州ジャグリング紀行2018 memory no.24

会場についての話。

ここは牛の品評会をやったりもするところだ、というので、農協というのか、農産物、畜産物と深い関わりがある施設のようだった。実際、毎週水曜日だかに開かれる朝市は、コンベンションの最中も行われていた。

葉物やイモやフルーツやらなんやら、農作物が大量に並べられて、ヤギや鳥やウサギが、なきながら、買われるのを待っていたりした。コンベンションに参加する野暮ったいジャグラーたちと、コンベンションなんかまるで関係ない、市場のさらに野暮ったいおっちゃん達。

僕のお気に入りの場所は、体育館に併設されたレストランだった。地元の人も集まる、開かれたレストランで、コーヒーが安かった。

しかし、カプチーノというと、なんだかクリームの乗ったファンシーな飲み物(半分、食べるような感じだった)が出てくるので困った。

周りに聞くと、「ミルクコーヒー」と言えばミルクの入ったコーヒーが出てくるよ、というので、ある時からそれを頼んだ。ポルトガル語では、「ガラオ」というみたいですね。もっと忠実に再現すると、ガラ(ァン)オ、みたいな感じです。なので最後の方は、得意顔で「ガラ(ァン)オ ぽるふぁぼーる」なんて言ってました。

ジャグリングがつなげるもの 欧州ジャグリング紀行2018 memory no.23

〜日記より〜

次の日の朝。テントが日照りで、とても中にいられないぐらい暑くなるので、外に飛び出して、シャワーを浴びる。
シャワーは、キャンプ場の中にある。シャワーの数はそれなりにあるのだが、少し待つ。洗濯をしたりする人もいるから、そのせいもある。
シャワーを終えて、ひとまずジムへ行く。ジムは、片面が全面ガラス張りになっているので、向こうの景色が一望できる。
山があり、海がある。地平線が見える。
そんな中、ジム全体を埋めるぐらいのジャグラーがみんな物を投げている。
今日は、ジャグリングをしながら町を練り歩く、パレードがある。シャトルバスに乗って、町まで行く。会場から、リベイラ・グランジまでは、シャトルバスで7、8分ほど。駐車場のようなところについて、パレードが12時きっかりに始まるのを待つ。
ここで、芹川さんとも初めて会う。彼はPONTEでも連載をしてもらっている、現在オーストラリア在住のジャグラー。オーストラリアのジャグラーを紹介してもらう。
パレードでは、鼓笛隊が先頭を歩く。町の道路を歩いていると、道路沿いの住人たちが窓から顔を覗かせる。リベイラ・グランジは小さな町で、普通の速度で歩けば、ものの10分、15分で、町の外から中心の広場までたどり着いてしまう。しかしパレードでは、1時間かそれ以上かけて、途中ウェーブをしたりしながら、広場まで行く。
広場に着くと、しばらく休憩の時間があった。炎天下で歩き続けるのでとにかくみんな喉が乾いている。水やビールを飲む人たち。広場にあるカフェではアイスやお菓子も売っていた。よく売れる。僕もエッグタルトを買って食べた。安いし、非常に美味しい。
1時間ほど休憩があってから、広場でゲームが始まる。長くジャグリングをし続けるエンデュアランス、クラブをはたき落としあうコンバット、ディアボロを小さな箱に入れるコンテストなど。だが随分暑くて、途中で見るのにだんだん疲れて来る。

広場はとても穏やかな雰囲気だった。

ゲームが終わると、今度は広場を降りたところでショーがあったが、じっと何かを見るのに疲れてしまったので、ひとまず近くのビーチに行くことにする。いまいちどう行くのかわからないが、とりあえず浜の方角へ向かい、なんとかたどり着く。ビーチでは、すでに何人かジャグラーや観光客の姿が。ただ浜から海を眺めるつもりでいたが、やはり海にいながらただ眺めているだけではどうしようもないので、別に海に入る格好をしてきたわけではないが、Tシャツを脱いで、海に入ってしまった。
波が強い。
一緒にいたドイツ人のヘナが、「サーフィンをしよう」というので、思い切って試してみることにした。今までの人生で、サーフィンなどしたことがない。とりあえず、やってみる。先にヘナが見本を見せてくれた。だが、あまりうまくいっている様子ではない。しばらくトライした後に、疲れた顔で戻ってきて、「波が強すぎるね」と言った。
しかし、もうボードを借りてきてしまったことだし、と思って、とりあえずこちらも挑戦してみることにした。結果は哀れなもので、立ち上がることはおろか、波にただただ流されただけで、最後には、思ってもみなかった方向に流されていってしまい、一瞬、死を覚悟した。
浜遊びを終える頃には、日が傾き始めている。(と言っても、7時を回っていたが)
スーパーに立ち寄ってから、ピザ屋に行く。のんびりと食事をしていると、帰りの最終バスの時間になる。少し焦って広場へ向かい、なんとか、一緒にいたヘナ、台湾人のペイ、芹川さんと一緒に、バスに乗り込んだ。

帰ってきたら、色々と片付けるべきことを片付け、少しステージに向けての練習をして、床についた。

ジャグリングがつなげるもの 欧州ジャグリング紀行2018 memory no.22

 サン・ミゲル島の空港は、小さかった。日本の小さい地方空港(徳島とか)ぐらいの大きさである。ロビーを出ると、僕たちよりも前に到着したジャグラーたちが大勢待っていた。
 ここからは送迎バスが出るので、その到着をみんなで待っているのだ。中には知っている顔もいた。ああ、やっぱりEJCは違うな、と思う。とにかく人数と、いる人達のバラエティが違う。
 空港から会場まではバスで20分ほどだった。到着時点では夜だったので、全く外の景色は見えない。いったいここはどんな場所なのだろう、とワクワクした。写真で見た限りでは、あじさいが咲いていたり、緑の山並みが見えたり、あとは、海にはクジラがいる、というイメージもあった。別にここからクジラが見えるというわけでもなかろうが、ともかく、自然がいっぱいということはわかっているのだ。

 会場に着くなり、畜産を営んでいるところの、あの穀物と土と畜糞が入り混じった匂いがした。ほうほう、と思ってあたりを見回したいところだが、やっぱり暗いので何も見えない。 
 会場に着くと、また、たくさんの知っている顔があった。その中には、毎年ステージを仕切っているポーラもいた。もうなんだかんだで6年の付き合いになる。いやはや。
 僕はポーラが大好きなんである。いつもまるで親戚のお姉さんのように、「よく来たね」とか「来年も待ってるからね、ステージの席は確保しとくからね」などと言ってくれる。そして、乾杯のためのビールの瓶をガシャガシャ運んできて、豪快にガパガパ開けていく姿も、男気があってホレてしまう。そういえばポーラは、僕がEJCに行きたいと思うきっかけになった2006年のEJCの様子を収めたDVDの中でも映っていたよな。その時のことを思い返すと、彼女と今こうして友達でいるのは実に不思議な感じだ。
 「ここねえ、この会場の窓はオーシャンビューなのよ」と言った。
 そう、今年の会場の体育館は大きな大きな窓があって、そこからは外が一望できた。これは、朝が来るのが楽しみだな、と思った。
 他には、ノルウェー人のジャグラーたち、ベルギーのジャグラーたちなど、こちらもずいぶん長いこと交流のあるヤツらがすでにたくさんいた。
 やっぱりね、この感じなのである。
 普段は忘れている。日本で、普通に働いて、まぁ時々ジャグリングはして、それでも特に外国の空気と触れることのない生活をしていると、たくさんのジャグラーたちと自分に接点がある、ということをどんどん忘れていってしまうのだ。しかしこうしてEJCに来ると、一気に、思い出す。自分がいかにもっと大きな世界と触れ合ってきて、人々と交流を重ねてきたか、全部思い出すのである。
 それは、他人に出会う、ということよりも、「そうだった自分」に改めて出会う、という、そのことの感動のほうが、よほど大きい。
 みんなが「ナオー、元気かよー」と抱きしめてきてくれるところにいると、僕は「別の自分」になれる。「本当の自分」ではない。僕は日本で働いている時の自分になんら不満はないし、なんなら、今現在では、こっちの方をいわゆる「本当の自分」だと思っているくらいだけど、まぁ、こうして他人を通して自分を知る、ということは、自分と似たような境遇の人たちしかいないところでは、決してできないことなのだ。

 かくして、体育館にいた知り合いたちと、思う存分挨拶をしてから、僕は自分のテントをたてに向かった。

ジャグリングがつなげるもの 欧州ジャグリング紀行2018 memory no.21

いよいよロンドンを出て、アゾレス諸島へ向かう。アゾレス諸島はアメリカとヨーロッパの間にある小さい島々である。メインの島、サン・ミゲル島に行く。
案外飛行機はたくさん出ている。「アゾレス諸島」という名前はまったく聞いたことがなくて、イメージが湧かない。きっとこんな時期にそこへ行く人はジャグラーだけなんじゃないかな、と思っていた。
しかし蓋を開けてみれば、サン・ミゲル島行きの飛行機に乗る人々の9割ほどがジャグリングとは関係のなさそうな人たちだった。もちろん間違いなくジャグラーも混じっているが、その他大勢は、まぁどう見てもジャグリングの大会に行く人達ではない。

ロビーで待っていると、日本から便を乗り継いできたたろりん君が現れた。
彼は、日本から何カ国も飛行機を乗り継いで、ここロンドンまでやってきて、最後に乗るアゾレス行きの飛行機がたまたま一緒だったのだ。
少し久しぶりに知っている日本人に会うので、やはり嬉しかった。たろりん君は、なぜか機内食が出てこなかった、と言って嘆いていた。
彼が持っていたポンドで、一緒にサンドイッチやりんごを買い、僕らは飛行機に乗りこむ。

ジャグリングがつなげるもの 欧州ジャグリング紀行2018 memory no.20 テート・モダンと入場無料の美術館ということについて

最後まで練習に付き合ってもよかったのだが、久しぶりのロンドンを歩きたかったので、昼前にはスタジオを出ることにした。
テート・モダンという美術館へ向かった。
街の様子を徒歩で見たかったので、寄り道をしながらだいたいの方角の見当だけつけて歩いていった。何を見たのだったか、今ではもう覚えていない。ただ街の空気を感じながら歩いていた。やっぱりロンドンはいいなぁ、とか思っていたのだろうな。

テート・モダンは、スタジオから比較的近いところにあった。もともとはボイラーか何かだった、大きな建物を改造して作られている。(あとで調べたら、発電所だったそうである)複数階あって、近現代美術を豊富に展示してあり、入場は無料。入場無料の美術館は本当にいいよな。2000円も払ったから全部見なきゃ、というふうに思わなくて済むもんな。美術に対する態度が変わるような気がするよ。まぁ、僕なんか「ど」素人なので、結局のところ、お金を払うとどうしても「これだけのお金を払って見ているものだから、何かしら価値のあるものなのだ」と無意識に作品の価値を補正して見てしまう。いつもいつもそうだというのではないけれど、でも、たとえば、もし本当に「自分が本当にいいと思えるものにだけ価値がある」と信じ切っているなら、たとえ3000円払っていようと、やっぱり自分が好きなものだけ見て、さっさか15分で出てくる、ということだってするはずだろう。でも、僕は残念ながらそういうことができるほど胆力もないので、(お金の余裕もない、ということもおおいにあるんだけど)「芸術、美術というのは図書館のように公教育の一環のみたいなものですから、無料で見られる方がいいでしょう」というふうに考えてもらって(そういうふうに考えているのかは知らないが)いろいろな努力や誰かの良心的貢献の結果、誰でも無料で美術が見られる、というのは非常に嬉しい。これなら安心して、「いやあ、僕はこの作品も、この館に展示してあるどの作品もピンとこないねえ」なんて言いながら、健全に批判ができるんじゃないか、とか思うのだよな。無理に教訓を引き出そうとしたり、無理に価値を付与しようとしたりしなくなるんじゃないかと思うのだ。
とは言いつつも、現代アートなんかの文脈では特に、「作品そのもに宿っている絶対的な価値」なんかはあまり勘定されていなくて、ステータス争いのような、「評価されている作品こそが、評価されるべき作品なのだ」みたいなことが、そもそもの価値観としてあるのかもしれないけれども。

テート・モダンは僕のお気に入りの美術館の一つとなった。