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ジャグリングがつなげるもの 欧州ジャグリング紀行2018 memory no.23

〜日記より〜

次の日の朝。テントが日照りで、とても中にいられないぐらい暑くなるので、外に飛び出して、シャワーを浴びる。
シャワーは、キャンプ場の中にある。シャワーの数はそれなりにあるのだが、少し待つ。洗濯をしたりする人もいるから、そのせいもある。
シャワーを終えて、ひとまずジムへ行く。ジムは、片面が全面ガラス張りになっているので、向こうの景色が一望できる。
山があり、海がある。地平線が見える。
そんな中、ジム全体を埋めるぐらいのジャグラーがみんな物を投げている。
今日は、ジャグリングをしながら町を練り歩く、パレードがある。シャトルバスに乗って、町まで行く。会場から、リベイラ・グランジまでは、シャトルバスで7、8分ほど。駐車場のようなところについて、パレードが12時きっかりに始まるのを待つ。
ここで、芹川さんとも初めて会う。彼はPONTEでも連載をしてもらっている、現在オーストラリア在住のジャグラー。オーストラリアのジャグラーを紹介してもらう。
パレードでは、鼓笛隊が先頭を歩く。町の道路を歩いていると、道路沿いの住人たちが窓から顔を覗かせる。リベイラ・グランジは小さな町で、普通の速度で歩けば、ものの10分、15分で、町の外から中心の広場までたどり着いてしまう。しかしパレードでは、1時間かそれ以上かけて、途中ウェーブをしたりしながら、広場まで行く。
広場に着くと、しばらく休憩の時間があった。炎天下で歩き続けるのでとにかくみんな喉が乾いている。水やビールを飲む人たち。広場にあるカフェではアイスやお菓子も売っていた。よく売れる。僕もエッグタルトを買って食べた。安いし、非常に美味しい。
1時間ほど休憩があってから、広場でゲームが始まる。長くジャグリングをし続けるエンデュアランス、クラブをはたき落としあうコンバット、ディアボロを小さな箱に入れるコンテストなど。だが随分暑くて、途中で見るのにだんだん疲れて来る。

広場はとても穏やかな雰囲気だった。

ゲームが終わると、今度は広場を降りたところでショーがあったが、じっと何かを見るのに疲れてしまったので、ひとまず近くのビーチに行くことにする。いまいちどう行くのかわからないが、とりあえず浜の方角へ向かい、なんとかたどり着く。ビーチでは、すでに何人かジャグラーや観光客の姿が。ただ浜から海を眺めるつもりでいたが、やはり海にいながらただ眺めているだけではどうしようもないので、別に海に入る格好をしてきたわけではないが、Tシャツを脱いで、海に入ってしまった。
波が強い。
一緒にいたドイツ人のヘナが、「サーフィンをしよう」というので、思い切って試してみることにした。今までの人生で、サーフィンなどしたことがない。とりあえず、やってみる。先にヘナが見本を見せてくれた。だが、あまりうまくいっている様子ではない。しばらくトライした後に、疲れた顔で戻ってきて、「波が強すぎるね」と言った。
しかし、もうボードを借りてきてしまったことだし、と思って、とりあえずこちらも挑戦してみることにした。結果は哀れなもので、立ち上がることはおろか、波にただただ流されただけで、最後には、思ってもみなかった方向に流されていってしまい、一瞬、死を覚悟した。
浜遊びを終える頃には、日が傾き始めている。(と言っても、7時を回っていたが)
スーパーに立ち寄ってから、ピザ屋に行く。のんびりと食事をしていると、帰りの最終バスの時間になる。少し焦って広場へ向かい、なんとか、一緒にいたヘナ、台湾人のペイ、芹川さんと一緒に、バスに乗り込んだ。

帰ってきたら、色々と片付けるべきことを片付け、少しステージに向けての練習をして、床についた。

ジャグリングがつなげるもの 欧州ジャグリング紀行2018 memory no.22

 サン・ミゲル島の空港は、小さかった。日本の小さい地方空港(徳島とか)ぐらいの大きさである。ロビーを出ると、僕たちよりも前に到着したジャグラーたちが大勢待っていた。
 ここからは送迎バスが出るので、その到着をみんなで待っているのだ。中には知っている顔もいた。ああ、やっぱりEJCは違うな、と思う。とにかく人数と、いる人達のバラエティが違う。
 空港から会場まではバスで20分ほどだった。到着時点では夜だったので、全く外の景色は見えない。いったいここはどんな場所なのだろう、とワクワクした。写真で見た限りでは、あじさいが咲いていたり、緑の山並みが見えたり、あとは、海にはクジラがいる、というイメージもあった。別にここからクジラが見えるというわけでもなかろうが、ともかく、自然がいっぱいということはわかっているのだ。

 会場に着くなり、畜産を営んでいるところの、あの穀物と土と畜糞が入り混じった匂いがした。ほうほう、と思ってあたりを見回したいところだが、やっぱり暗いので何も見えない。 
 会場に着くと、また、たくさんの知っている顔があった。その中には、毎年ステージを仕切っているポーラもいた。もうなんだかんだで6年の付き合いになる。いやはや。
 僕はポーラが大好きなんである。いつもまるで親戚のお姉さんのように、「よく来たね」とか「来年も待ってるからね、ステージの席は確保しとくからね」などと言ってくれる。そして、乾杯のためのビールの瓶をガシャガシャ運んできて、豪快にガパガパ開けていく姿も、男気があってホレてしまう。そういえばポーラは、僕がEJCに行きたいと思うきっかけになった2006年のEJCの様子を収めたDVDの中でも映っていたよな。その時のことを思い返すと、彼女と今こうして友達でいるのは実に不思議な感じだ。
 「ここねえ、この会場の窓はオーシャンビューなのよ」と言った。
 そう、今年の会場の体育館は大きな大きな窓があって、そこからは外が一望できた。これは、朝が来るのが楽しみだな、と思った。
 他には、ノルウェー人のジャグラーたち、ベルギーのジャグラーたちなど、こちらもずいぶん長いこと交流のあるヤツらがすでにたくさんいた。
 やっぱりね、この感じなのである。
 普段は忘れている。日本で、普通に働いて、まぁ時々ジャグリングはして、それでも特に外国の空気と触れることのない生活をしていると、たくさんのジャグラーたちと自分に接点がある、ということをどんどん忘れていってしまうのだ。しかしこうしてEJCに来ると、一気に、思い出す。自分がいかにもっと大きな世界と触れ合ってきて、人々と交流を重ねてきたか、全部思い出すのである。
 それは、他人に出会う、ということよりも、「そうだった自分」に改めて出会う、という、そのことの感動のほうが、よほど大きい。
 みんなが「ナオー、元気かよー」と抱きしめてきてくれるところにいると、僕は「別の自分」になれる。「本当の自分」ではない。僕は日本で働いている時の自分になんら不満はないし、なんなら、今現在では、こっちの方をいわゆる「本当の自分」だと思っているくらいだけど、まぁ、こうして他人を通して自分を知る、ということは、自分と似たような境遇の人たちしかいないところでは、決してできないことなのだ。

 かくして、体育館にいた知り合いたちと、思う存分挨拶をしてから、僕は自分のテントをたてに向かった。

ジャグリングがつなげるもの 欧州ジャグリング紀行2018 memory no.21

いよいよロンドンを出て、アゾレス諸島へ向かう。アゾレス諸島はアメリカとヨーロッパの間にある小さい島々である。メインの島、サン・ミゲル島に行く。
案外飛行機はたくさん出ている。「アゾレス諸島」という名前はまったく聞いたことがなくて、イメージが湧かない。きっとこんな時期にそこへ行く人はジャグラーだけなんじゃないかな、と思っていた。
しかし蓋を開けてみれば、サン・ミゲル島行きの飛行機に乗る人々の9割ほどがジャグリングとは関係のなさそうな人たちだった。もちろん間違いなくジャグラーも混じっているが、その他大勢は、まぁどう見てもジャグリングの大会に行く人達ではない。

ロビーで待っていると、日本から便を乗り継いできたたろりん君が現れた。
彼は、日本から何カ国も飛行機を乗り継いで、ここロンドンまでやってきて、最後に乗るアゾレス行きの飛行機がたまたま一緒だったのだ。
少し久しぶりに知っている日本人に会うので、やはり嬉しかった。たろりん君は、なぜか機内食が出てこなかった、と言って嘆いていた。
彼が持っていたポンドで、一緒にサンドイッチやりんごを買い、僕らは飛行機に乗りこむ。

ジャグリングがつなげるもの 欧州ジャグリング紀行2018 memory no.19

ロンドンでバレエを踊った話(後編)

スタジオからアパートは、歩いて15分ぐらいだった。そこは、大きな大きな体育館。
中に入るともう何人かが集まっていて、その中にショーンもいた。
ショーンは、もじゃもじゃでグレーの髪が特徴的な人だ。バレエやコンテンポラリーダンスが大好きで、ジャグリングとダンスを融合する試みを90年代からずっとおこなっている。もうおそらく50歳を過ぎた大人なのだけど、いつまでたっても好奇心を失わないでいる。自分でも、言っていた。「僕はジャグリングのことを考えると、いっぱい可能性があって、まるでお菓子屋さんに来た子供みたいにワクワクしちゃうんだよね」と。
「へーい、なんでこんなところにいるんだい」と、ショーンは僕を見るなり、肩に手を置いて優しく迎え入れてくれた。明日にはアゾレス諸島に行くんだけど、少しだけロンドンに滞在してるんだ、と僕は言った。
するとショーンは、はじめの笑顔を崩さず、いつもの高い声で一息にこう言った。
「そうかそうか。じゃあね、今日はダンスのレッスンをまずやるから、君も一緒に僕たちと踊ったらいいよ、ここに来ちゃったからには、踊っていかなくちゃダメだよ」
そういうわけで、一緒にみんなと踊ることにした。
適当に広がって、前に立っているバレエの先生の真似をする。バレエなんか一度もやったことがないので、本当に見よう見まねで恥ずかしいのだが、周りを見てみれば、何度もガンディーニジャグリングの作品に出演してきた人を除いて意外にみんな苦戦している。ショーン自身も、もう25年以上ガンディーニ・ジャグリングをやっているのに「こうかな、それともこうかな!」などと言いながら楽しくやっている。(しかも特別うまいわけではないのがまた微笑ましい)
ショーンは練習の最中、笑顔を絶やさない人だった。僕が見ている間ずっと、常にチームの人たちを笑わせながら、ジャグラーやダンサーたちを丁寧にまとめあげていた。彼の激しい作風からは想像しづらい風景である。また、今回作っていた作品が、バランスボールのように大きなボールを、十数名のジャグラーとダンサーが噴水の中でジャグリングする、という明るい作品だったこともあるのだろう。そして生演奏のジプシーミュージックバンドも来ていて、その演奏に合わせて、みんな楽しそうにしていた。ドミニクも、すごく楽しそうだった。

ジャグリングがつなげるもの 欧州ジャグリング紀行2018 memory no.17

 ロンドンに着く前日、僕は泊まるところがなかった。

 まあ、こういうアテの無い旅をしていると、別にそんなことは普通なのだが、ひとまず、どこかは泊まるところを確保しないといけない。

 空港で待ちながら色々と連絡を取った末、リサ、というクラブジャグラーの家に泊めてもらえることになった。

 しかし前述の通り飛行機が遅れてしまった上に、さらに直前になって、「うっかり、別の友達が来るってことを忘れてたから、もう一人ジャグラーが同じフロアにいるんだけど、そっちの部屋でもいい?」と言われた。まぁ、こっちとしては泊めてもらえるだけ、ありがたい。もちろん、承諾して、遅れてきた飛行機に乗り込んだ。

 ロンドンに着いた頃にはもう夜中。

 僕は言われた住所に行って、通りを歩いていた。

 すると向こうから、ニコニコと笑いながら、大柄なオーストリア人が近づいてきた。

 「よー」と言って近づいていきたのは、ドミニクだった。ドミニク君は、たしか3年前くらいからちゃんとした交流がある。日本のアニメやマンガが大好きで、腕にはワンピースのタトゥーがしてある。「よく来たなあ」と言って、実に嬉しそうに僕を迎えてくれた。

 彼とリサは、同じアパートの同じフロアに泊まっていた。たぶん、これは厳密には人を泊めてはいけないところなんじゃないか、と思ったのだが、「大丈夫だよ」と言って泊めてくれた。

 部屋は正直なとところかなり狭くて、室温も湿度もかなり高かったので、窓を開けっ放しで、床に寝袋で寝た。

ジャグリングがつなげるもの 欧州ジャグリング紀行2018 memory no.16

(no.15は今週土曜日にこちらにアップロードされます)

実のところ、CATCH!フェスティバルについては、それほど語るべきことがない。だから、帰り道に、何が起こったかを記しておこう。

とりあえず僕は、CATCH!フェスティバルが終わると、空港に向かった。少し離れたマンチェスターに戻る形だ。一応、車に乗せてもらえないか、周りの人に色々と聞いてみたんだけど、時間も合わなかったので、アップルビー村から出ている電車を使うことにした。(駅舎は、まるでハリー・ポッターに出てきそうな、趣のあるものだった)
ちょうど同じくらいの時間の飛行機に乗るんだ、と言っていた、オランダ人のヤン君と一緒に電車に乗った。
しばらく電車に揺られていると、急にアナウンスが入った。
「ただいまヨーク駅に落雷があった影響で、鉄道全線に停電が発生しています。この電車も、どこまで運行できるかわかりません。」
車内がざわつく。
目の前に座っていたおばあちゃんと話すと、「きっとこの電車はもうマンチェスターまではいかないわよ、途中どこかで乗り換えないと」と言う。
まぁしかしあがいてどうにかなるものでもないので、二人で黙って、本なんか読みながら、ヤン君はパズルなんかをときながら、電車に乗っていた。
すると予想通り、電車は止まってしまった。
あーあ、と思ったが、仕方がない。のろのろと動きつつ、なんとか次に乗り換えるべき、リーズまでは着いた。
しかしそこからが問題だった。何しろほぼ全ての電車が止まっているので、空港までの電車も当然ない。あっ、次が出るよ、と電光掲示板に表示されたかと思いきや、それはたちどころにキャンセルされる。ヤン君の飛行機は僕の飛行機よりも早いので、かなり焦っている。
いやしかし、一つの駅に落雷があっただけで、こんなことになるんですね。本当に、イギリス全土に影響があったようである。
ヤン君は、実に焦っていた。僕も、やや焦ってはいるのだけど、まぁ、なんとかなるだろう、くらいにしか思っていないから、いまいち具体的な行動にならない。ヤン君はどんどん行動する。駅員さんに聞く。違うホームを目指す。
そうこうするうち、いよいよ、本当に電車が出そうだ、というホームが発表された。
そこで僕らは走った。ついでに、一緒にホームで立ち往生していたカップルとも一緒に。そしてホームについて、電車の姿が見え、よし、乗ろう、とみんなの顔がほころんだところで、電車のドアが容赦なく閉まった。
「おい! 待ってよ! 嘘だろ!」
ヤン君、叫ぶ。僕らは、まさにその電車の、もうドアの前に立っている。
「いいから、一瞬、開けてくれよ!」
しかし車掌はきっぱりと首を振って、電車は出発した。
一瞬にしてヤン君の顔は歓喜から絶望に変わった。
呆然としてしまった。あと5秒早ければ、きっと乗れただろう。そして、2時間は余裕を見て空港に到着できただろう。
しばらく、4人で話したが、もうタクシーで行くしかなかった。
そんなわけで、下に降りて、タクシーを見つけ、みんなで運賃を割り勘で空港に行くことにした。
実のところ、僕の便は更に夜遅くだったから、別にみんなと同じように行く必要はなかった。むしろ、トラムにでも乗って、のんびり乗り継いで向かった方が面白いかな、くらいに思っていたのだけど、まぁ、だめですねえ、こういうところで、僕は自分を貫けなかった。
結局、一人1000円ぐらいだったか払って、僕らはマンチェスターの空港に到着したのだった。

なんだかなぁ、と思ったけれども、まぁ、空港には着けたので、文句も言えない。
カフェに入って、日記をつけながらゆっくり待っていたら、僕が乗るはずの飛行機のスケジュールに、こう表示された。

「Delay」

3時間近くの遅延だった。

なんだか、逆に面白くなっちゃったね。

ジャグリングがつなげるもの 欧州ジャグリング紀行2018 memory no.14

 CATCH!フェスティバルは、わざわざ日本人がこのためだけにいくようなフェスティバルでは、なかったかもしれない。フェスティバルの規模は、200人ぐらい。そんなに大きくない。会場もそんなに大きくない小学校を使っている。
 僕がここへ来ることを決めたのは、伝説のジャグラー、「クリス・クレモ」も来ると聞いていたからである。ジャグリングを始めた頃から彼のジャグリングビデオは見ていて、実際に会うのがとても楽しみだった。
 さて、初日のイベントは、オープンステージ。始まる前、参加者は、狭いロビーで待機していた。僕はジャグリングをしながら待っていた。
 すると一つボールを落としてしまい、ヨレヨレのコートを着たおじいさんの元に転がって行った。その人はそれを拾ってくれて、うむ、と頷いて、また黙って待っていた。会場が開くと、一緒に待っていたアルットゥと一緒に中に入る。するとそのおじいさんもするっと一緒に入ってきて、隣でみることになった。
 隣に座ると、彼は愛想よくこっちを見て眉をくいっとあげた。どうも見たことのある顔だなぁ、とその時点でも思っていた。

 オープンステージは全部で2時間だったが、途中休憩があった。その時、やはり先ほどの愛想のいいおじいさんが隣に来た。

 思い切って尋ねてみる。
 
「あの、もしかしてクレモさんですか?」
「そうだよ。いやいや、クリスでいいよ」
 そう、そのヨレヨレの服を着たおじいさんは、僕が憧れていたクリス・クレモだったのだ。
 その後も一緒にオープンステージを見て、話をした。
「日本に行ったこともあるよ。1971年と、1989年。」
 僕は一番気になることを聞いてみた。
「まだパフォーマンスの仕事、してるんですか?」
「うん、してるよ。去年も、ヨーロッパ中を回った」

 二日目、彼のワークショップがあったので行った。
 今日も、下はスポーツジャージ、上はヨレヨレのジャケットを着ている。この人が街中で目の前にいても、クリス・クレモだとは絶対気づかないだろう。
 部屋に入ると、彼は「オハヨウゴザイマース」と日本語で言った。
 「ゲンキデスカ?」と聞いてきたので、
 「元気ですよ、あなたは?」と聞くと、ハハハァ、と笑って、肩を抱いてきた。
 クリスは、僕が思っていたような「クリス・クレモ」ではなかったが、「クリス」のことがとても好きになった。

ジャグリングがつなげるもの 欧州ジャグリング紀行2018 memory no.13

結局出発したのは午後少し遅くなってからだった。車で延々とドライブをする。地図で言えば上に上っていくだけ。ひたすらまっすぐ走る。リーナさんと、パートナーのイアンさんと話をしながら走った。

ある地点を境に、湖水地方、というところに入った。ここに入ると、見渡す限り、低くなだらかな丘と、羊と石垣だけの景色になる。まさに、僕がずっと想像していたとおりの景色だ。
これだけの石をどうやって人力で並べたのだろうか、と思うくらい、石は遠く丘の果てまで続いている。そして、羊(やらなんやら)は、あくまで平和に、ぽかぽかと暮らしている。でも天気はそれほどよくなくて、牧歌的な眺め、というよりは、退屈な眺め、という感じである。

車が徐行している最中に、羊が前を通った。イアンさんが、クラクションを「プー」と鳴らした。羊は「メー」と言い返してきて、またのそのそと去っていった。

単調な景色が続き、カーラジオからはレゲエ調の音楽が流れている。僕はうとうとしてしまった。

はっと気づくと、ずっと羊と石垣だったのが、唐突に家並みに変わっていた。あっ、と思ったのもつかの間、さらに教会や、スーパーや、おみやげ屋さんがある通りに出る。
ここからが、アップルビー。
「村」と言った方がしっくりくる感じのところだ。21世紀のイギリスには、そうか、まだ、こういう街並みが残っているんだ、と素直に感心してしまった。
車はそのまま村の中心を抜けて川にかかった石橋を渡り、その先にある小学校についた。入り口には看板があって、フェスティバルの名前が書いてあり、風船も取り付けてあったりする。学校の中に入ると、そこには主催のロージーがいた。

ジャグリングがつなげるもの 欧州ジャグリング紀行2018 memory no.12

 CATCH!フェスティバルの日。フェスティバル自体は午後3時くらいから始まる。

 朝はまだマンチェスターのジョーの家にいて、昼ごろにみんなで車で出発しようか、という話だった。会場であるアップルビーは、車で北上して数時間のところにある。

 僕は街をちょっといいから見てみたかったので、少し早く起きてマンチェスターの街に出てみることにした。

 イギリスには来たことがある。でもきちんと街を探検するのは初めてでワクワクする。トラムに乗って、中心街まで行った。

 トラムの中には、都会的な顔つきをした人々に囲まれた。スーツなんかはあんまり着ておらず、自由な格好をしているけど、少し表情がかたい気がする。横浜で20年以上暮らす僕にとってはどこか親近感を覚える顔だ。

 トラムを降りると、街は少し荒れた空気があった。路上生活者も多く、みんな足早に歩いている。お互いにあまり関わりたくないな、と思っているような気配を感じる。

 朝ごはんを食べようと、事前に調べてあった北欧風のカフェ「TAKK」に行って、カプチーノとブラウニーを頼んだ。

 ブラウニーを食べながら、ふと切実にことばを送りたい気分になったので、大事な人に絵葉書を書いた。ブラウニーに負けず劣らず、カプチーノもとてもずっしりとしていて美味しかった。

 カフェを出ると、トラムの線路沿いを歩いて市立美術館まで行く。本当は外観と売店だけを見ようと思っていたのだけど、そこは入場料を取らない美術館だった。しかも平日の午前早い時間なので見物人は23人しか見かけなかった。

 中に入って、30分くらい過ごした。お金を払わずにふらっと入って、好きなものだけ見て、すぐに出てこられる、というのは、とても健康的だよな。どうもお金を払うと、「全部見なきゃ」という焦燥感にかられてしまうからいけない。

 美術館を出て、今度は図書館に行く。

 建物は荘厳で、そのへんの棚にある蔵書の奥付が19世紀だったり、夏なのに魔法使いのように大げさなコートを羽織った白髪のおじいさんが、ぼろぼろの本を小脇に抱えて歩いていたりした。

 集中して勉強ができる大きな部屋もあった。そこに入ると、咳払いにも気を使うくらい、音がしない。椅子に座って、しばらく静寂を楽しんだ。

 なぜかわからないが、その時僕の頭には、マンチェスターに長期滞在するのはどうだろう、ということが浮かんだ。

 街の見物を終えて、トラムに乗ってジョーの家に引き返した。

 トラムから見える景色は、いかにも「工業都市」という色合いのレンガの建物たちだった。

 午後になったら出発するはずだったのだが、帰って来てもまだみんなは支度をしながらのんびりしていた。