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ジャグリングがつなげるもの 欧州ジャグリング紀行2018 memory no.21

いよいよロンドンを出て、アゾレス諸島へ向かう。アゾレス諸島はアメリカとヨーロッパの間にある小さい島々である。メインの島、サン・ミゲル島に行く。
案外飛行機はたくさん出ている。「アゾレス諸島」という名前はまったく聞いたことがなくて、イメージが湧かない。きっとこんな時期にそこへ行く人はジャグラーだけなんじゃないかな、と思っていた。
しかし蓋を開けてみれば、サン・ミゲル島行きの飛行機に乗る人々の9割ほどがジャグリングとは関係のなさそうな人たちだった。もちろん間違いなくジャグラーも混じっているが、その他大勢は、まぁどう見てもジャグリングの大会に行く人達ではない。

ロビーで待っていると、日本から便を乗り継いできたたろりん君が現れた。
彼は、日本から何カ国も飛行機を乗り継いで、ここロンドンまでやってきて、最後に乗るアゾレス行きの飛行機がたまたま一緒だったのだ。
少し久しぶりに知っている日本人に会うので、やはり嬉しかった。たろりん君は、なぜか機内食が出てこなかった、と言って嘆いていた。
彼が持っていたポンドで、一緒にサンドイッチやりんごを買い、僕らは飛行機に乗りこむ。

ジャグリングがつなげるもの 欧州ジャグリング紀行2018 memory no.19

ロンドンでバレエを踊った話(後編)

スタジオからアパートは、歩いて15分ぐらいだった。そこは、大きな大きな体育館。
中に入るともう何人かが集まっていて、その中にショーンもいた。
ショーンは、もじゃもじゃでグレーの髪が特徴的な人だ。バレエやコンテンポラリーダンスが大好きで、ジャグリングとダンスを融合する試みを90年代からずっとおこなっている。もうおそらく50歳を過ぎた大人なのだけど、いつまでたっても好奇心を失わないでいる。自分でも、言っていた。「僕はジャグリングのことを考えると、いっぱい可能性があって、まるでお菓子屋さんに来た子供みたいにワクワクしちゃうんだよね」と。
「へーい、なんでこんなところにいるんだい」と、ショーンは僕を見るなり、肩に手を置いて優しく迎え入れてくれた。明日にはアゾレス諸島に行くんだけど、少しだけロンドンに滞在してるんだ、と僕は言った。
するとショーンは、はじめの笑顔を崩さず、いつもの高い声で一息にこう言った。
「そうかそうか。じゃあね、今日はダンスのレッスンをまずやるから、君も一緒に僕たちと踊ったらいいよ、ここに来ちゃったからには、踊っていかなくちゃダメだよ」
そういうわけで、一緒にみんなと踊ることにした。
適当に広がって、前に立っているバレエの先生の真似をする。バレエなんか一度もやったことがないので、本当に見よう見まねで恥ずかしいのだが、周りを見てみれば、何度もガンディーニジャグリングの作品に出演してきた人を除いて意外にみんな苦戦している。ショーン自身も、もう25年以上ガンディーニ・ジャグリングをやっているのに「こうかな、それともこうかな!」などと言いながら楽しくやっている。(しかも特別うまいわけではないのがまた微笑ましい)
ショーンは練習の最中、笑顔を絶やさない人だった。僕が見ている間ずっと、常にチームの人たちを笑わせながら、ジャグラーやダンサーたちを丁寧にまとめあげていた。彼の激しい作風からは想像しづらい風景である。また、今回作っていた作品が、バランスボールのように大きなボールを、十数名のジャグラーとダンサーが噴水の中でジャグリングする、という明るい作品だったこともあるのだろう。そして生演奏のジプシーミュージックバンドも来ていて、その演奏に合わせて、みんな楽しそうにしていた。ドミニクも、すごく楽しそうだった。

ジャグリングがつなげるもの 欧州ジャグリング紀行2018 memory no.17

 ロンドンに着く前日、僕は泊まるところがなかった。

 まあ、こういうアテの無い旅をしていると、別にそんなことは普通なのだが、ひとまず、どこかは泊まるところを確保しないといけない。

 空港で待ちながら色々と連絡を取った末、リサ、というクラブジャグラーの家に泊めてもらえることになった。

 しかし前述の通り飛行機が遅れてしまった上に、さらに直前になって、「うっかり、別の友達が来るってことを忘れてたから、もう一人ジャグラーが同じフロアにいるんだけど、そっちの部屋でもいい?」と言われた。まぁ、こっちとしては泊めてもらえるだけ、ありがたい。もちろん、承諾して、遅れてきた飛行機に乗り込んだ。

 ロンドンに着いた頃にはもう夜中。

 僕は言われた住所に行って、通りを歩いていた。

 すると向こうから、ニコニコと笑いながら、大柄なオーストリア人が近づいてきた。

 「よー」と言って近づいていきたのは、ドミニクだった。ドミニク君は、たしか3年前くらいからちゃんとした交流がある。日本のアニメやマンガが大好きで、腕にはワンピースのタトゥーがしてある。「よく来たなあ」と言って、実に嬉しそうに僕を迎えてくれた。

 彼とリサは、同じアパートの同じフロアに泊まっていた。たぶん、これは厳密には人を泊めてはいけないところなんじゃないか、と思ったのだが、「大丈夫だよ」と言って泊めてくれた。

 部屋は正直なとところかなり狭くて、室温も湿度もかなり高かったので、窓を開けっ放しで、床に寝袋で寝た。

ジャグリングがつなげるもの 欧州ジャグリング紀行2018 memory no.16

(no.15は今週土曜日にこちらにアップロードされます)

実のところ、CATCH!フェスティバルについては、それほど語るべきことがない。だから、帰り道に、何が起こったかを記しておこう。

とりあえず僕は、CATCH!フェスティバルが終わると、空港に向かった。少し離れたマンチェスターに戻る形だ。一応、車に乗せてもらえないか、周りの人に色々と聞いてみたんだけど、時間も合わなかったので、アップルビー村から出ている電車を使うことにした。(駅舎は、まるでハリー・ポッターに出てきそうな、趣のあるものだった)
ちょうど同じくらいの時間の飛行機に乗るんだ、と言っていた、オランダ人のヤン君と一緒に電車に乗った。
しばらく電車に揺られていると、急にアナウンスが入った。
「ただいまヨーク駅に落雷があった影響で、鉄道全線に停電が発生しています。この電車も、どこまで運行できるかわかりません。」
車内がざわつく。
目の前に座っていたおばあちゃんと話すと、「きっとこの電車はもうマンチェスターまではいかないわよ、途中どこかで乗り換えないと」と言う。
まぁしかしあがいてどうにかなるものでもないので、二人で黙って、本なんか読みながら、ヤン君はパズルなんかをときながら、電車に乗っていた。
すると予想通り、電車は止まってしまった。
あーあ、と思ったが、仕方がない。のろのろと動きつつ、なんとか次に乗り換えるべき、リーズまでは着いた。
しかしそこからが問題だった。何しろほぼ全ての電車が止まっているので、空港までの電車も当然ない。あっ、次が出るよ、と電光掲示板に表示されたかと思いきや、それはたちどころにキャンセルされる。ヤン君の飛行機は僕の飛行機よりも早いので、かなり焦っている。
いやしかし、一つの駅に落雷があっただけで、こんなことになるんですね。本当に、イギリス全土に影響があったようである。
ヤン君は、実に焦っていた。僕も、やや焦ってはいるのだけど、まぁ、なんとかなるだろう、くらいにしか思っていないから、いまいち具体的な行動にならない。ヤン君はどんどん行動する。駅員さんに聞く。違うホームを目指す。
そうこうするうち、いよいよ、本当に電車が出そうだ、というホームが発表された。
そこで僕らは走った。ついでに、一緒にホームで立ち往生していたカップルとも一緒に。そしてホームについて、電車の姿が見え、よし、乗ろう、とみんなの顔がほころんだところで、電車のドアが容赦なく閉まった。
「おい! 待ってよ! 嘘だろ!」
ヤン君、叫ぶ。僕らは、まさにその電車の、もうドアの前に立っている。
「いいから、一瞬、開けてくれよ!」
しかし車掌はきっぱりと首を振って、電車は出発した。
一瞬にしてヤン君の顔は歓喜から絶望に変わった。
呆然としてしまった。あと5秒早ければ、きっと乗れただろう。そして、2時間は余裕を見て空港に到着できただろう。
しばらく、4人で話したが、もうタクシーで行くしかなかった。
そんなわけで、下に降りて、タクシーを見つけ、みんなで運賃を割り勘で空港に行くことにした。
実のところ、僕の便は更に夜遅くだったから、別にみんなと同じように行く必要はなかった。むしろ、トラムにでも乗って、のんびり乗り継いで向かった方が面白いかな、くらいに思っていたのだけど、まぁ、だめですねえ、こういうところで、僕は自分を貫けなかった。
結局、一人1000円ぐらいだったか払って、僕らはマンチェスターの空港に到着したのだった。

なんだかなぁ、と思ったけれども、まぁ、空港には着けたので、文句も言えない。
カフェに入って、日記をつけながらゆっくり待っていたら、僕が乗るはずの飛行機のスケジュールに、こう表示された。

「Delay」

3時間近くの遅延だった。

なんだか、逆に面白くなっちゃったね。

ジャグリングがつなげるもの 欧州ジャグリング紀行2018 memory no.14

 CATCH!フェスティバルは、わざわざ日本人がこのためだけにいくようなフェスティバルでは、なかったかもしれない。フェスティバルの規模は、200人ぐらい。そんなに大きくない。会場もそんなに大きくない小学校を使っている。
 僕がここへ来ることを決めたのは、伝説のジャグラー、「クリス・クレモ」も来ると聞いていたからである。ジャグリングを始めた頃から彼のジャグリングビデオは見ていて、実際に会うのがとても楽しみだった。
 さて、初日のイベントは、オープンステージ。始まる前、参加者は、狭いロビーで待機していた。僕はジャグリングをしながら待っていた。
 すると一つボールを落としてしまい、ヨレヨレのコートを着たおじいさんの元に転がって行った。その人はそれを拾ってくれて、うむ、と頷いて、また黙って待っていた。会場が開くと、一緒に待っていたアルットゥと一緒に中に入る。するとそのおじいさんもするっと一緒に入ってきて、隣でみることになった。
 隣に座ると、彼は愛想よくこっちを見て眉をくいっとあげた。どうも見たことのある顔だなぁ、とその時点でも思っていた。

 オープンステージは全部で2時間だったが、途中休憩があった。その時、やはり先ほどの愛想のいいおじいさんが隣に来た。

 思い切って尋ねてみる。
 
「あの、もしかしてクレモさんですか?」
「そうだよ。いやいや、クリスでいいよ」
 そう、そのヨレヨレの服を着たおじいさんは、僕が憧れていたクリス・クレモだったのだ。
 その後も一緒にオープンステージを見て、話をした。
「日本に行ったこともあるよ。1971年と、1989年。」
 僕は一番気になることを聞いてみた。
「まだパフォーマンスの仕事、してるんですか?」
「うん、してるよ。去年も、ヨーロッパ中を回った」

 二日目、彼のワークショップがあったので行った。
 今日も、下はスポーツジャージ、上はヨレヨレのジャケットを着ている。この人が街中で目の前にいても、クリス・クレモだとは絶対気づかないだろう。
 部屋に入ると、彼は「オハヨウゴザイマース」と日本語で言った。
 「ゲンキデスカ?」と聞いてきたので、
 「元気ですよ、あなたは?」と聞くと、ハハハァ、と笑って、肩を抱いてきた。
 クリスは、僕が思っていたような「クリス・クレモ」ではなかったが、「クリス」のことがとても好きになった。

ジャグリングがつなげるもの 欧州ジャグリング紀行2018 memory no.13

結局出発したのは午後少し遅くなってからだった。車で延々とドライブをする。地図で言えば上に上っていくだけ。ひたすらまっすぐ走る。リーナさんと、パートナーのイアンさんと話をしながら走った。

ある地点を境に、湖水地方、というところに入った。ここに入ると、見渡す限り、低くなだらかな丘と、羊と石垣だけの景色になる。まさに、僕がずっと想像していたとおりの景色だ。
これだけの石をどうやって人力で並べたのだろうか、と思うくらい、石は遠く丘の果てまで続いている。そして、羊(やらなんやら)は、あくまで平和に、ぽかぽかと暮らしている。でも天気はそれほどよくなくて、牧歌的な眺め、というよりは、退屈な眺め、という感じである。

車が徐行している最中に、羊が前を通った。イアンさんが、クラクションを「プー」と鳴らした。羊は「メー」と言い返してきて、またのそのそと去っていった。

単調な景色が続き、カーラジオからはレゲエ調の音楽が流れている。僕はうとうとしてしまった。

はっと気づくと、ずっと羊と石垣だったのが、唐突に家並みに変わっていた。あっ、と思ったのもつかの間、さらに教会や、スーパーや、おみやげ屋さんがある通りに出る。
ここからが、アップルビー。
「村」と言った方がしっくりくる感じのところだ。21世紀のイギリスには、そうか、まだ、こういう街並みが残っているんだ、と素直に感心してしまった。
車はそのまま村の中心を抜けて川にかかった石橋を渡り、その先にある小学校についた。入り口には看板があって、フェスティバルの名前が書いてあり、風船も取り付けてあったりする。学校の中に入ると、そこには主催のロージーがいた。

ジャグリングがつなげるもの 欧州ジャグリング紀行2018 memory no.12

 CATCH!フェスティバルの日。フェスティバル自体は午後3時くらいから始まる。

 朝はまだマンチェスターのジョーの家にいて、昼ごろにみんなで車で出発しようか、という話だった。会場であるアップルビーは、車で北上して数時間のところにある。

 僕は街をちょっといいから見てみたかったので、少し早く起きてマンチェスターの街に出てみることにした。

 イギリスには来たことがある。でもきちんと街を探検するのは初めてでワクワクする。トラムに乗って、中心街まで行った。

 トラムの中には、都会的な顔つきをした人々に囲まれた。スーツなんかはあんまり着ておらず、自由な格好をしているけど、少し表情がかたい気がする。横浜で20年以上暮らす僕にとってはどこか親近感を覚える顔だ。

 トラムを降りると、街は少し荒れた空気があった。路上生活者も多く、みんな足早に歩いている。お互いにあまり関わりたくないな、と思っているような気配を感じる。

 朝ごはんを食べようと、事前に調べてあった北欧風のカフェ「TAKK」に行って、カプチーノとブラウニーを頼んだ。

 ブラウニーを食べながら、ふと切実にことばを送りたい気分になったので、大事な人に絵葉書を書いた。ブラウニーに負けず劣らず、カプチーノもとてもずっしりとしていて美味しかった。

 カフェを出ると、トラムの線路沿いを歩いて市立美術館まで行く。本当は外観と売店だけを見ようと思っていたのだけど、そこは入場料を取らない美術館だった。しかも平日の午前早い時間なので見物人は23人しか見かけなかった。

 中に入って、30分くらい過ごした。お金を払わずにふらっと入って、好きなものだけ見て、すぐに出てこられる、というのは、とても健康的だよな。どうもお金を払うと、「全部見なきゃ」という焦燥感にかられてしまうからいけない。

 美術館を出て、今度は図書館に行く。

 建物は荘厳で、そのへんの棚にある蔵書の奥付が19世紀だったり、夏なのに魔法使いのように大げさなコートを羽織った白髪のおじいさんが、ぼろぼろの本を小脇に抱えて歩いていたりした。

 集中して勉強ができる大きな部屋もあった。そこに入ると、咳払いにも気を使うくらい、音がしない。椅子に座って、しばらく静寂を楽しんだ。

 なぜかわからないが、その時僕の頭には、マンチェスターに長期滞在するのはどうだろう、ということが浮かんだ。

 街の見物を終えて、トラムに乗ってジョーの家に引き返した。

 トラムから見える景色は、いかにも「工業都市」という色合いのレンガの建物たちだった。

 午後になったら出発するはずだったのだが、帰って来てもまだみんなは支度をしながらのんびりしていた。

ジャグリングがつなげるもの 欧州ジャグリング紀行2018 memory no.11

 リヨンからイギリスに来た。

 イギリスには以前にも来たことがある。6年前のことだった。BJCという、イギリス最大のフェスティバルのためだ。

 今回は別のジャグリングフェスティバルに参加する。CATCH! という名前の、比較的小さなフェスティバルだ。それで、イギリスはマンチェスターへ、ロンドンを経由して、来た。

 イギリスの英語は聞き取りづらい。日本の学校教育では基本的にアメリカン・イングリッシュが採用されている。だからそれ以外の発音については、やっぱり同じ言語とは思えないくらいの隔たりを感じる。前に来た6年前は、今より英語が下手だったからすっかりお手上げだったけど、今でもやっぱり何回も聞き返す。だんだん申し訳なくなってくる。でも向こうも、しばらく話していると、「ああ、こいつには少し手加減してやらないとな」と思ってくれて、だんだん話がしやすくなってくる。

 冗談を言われて、わからない時は辛い。わかったとしても、外国語で冗談を言い返すのだって、すごく難しい。最近は英語のコメディばかり観ていたおかげか、少しは面白いことも言えている気がするが、あるいはみんなが優しいのだろう。

 マンチェスターでは、市街から少し外れにある、ジョーという人の家にお邪魔させてもらった。

 なぜ僕はジョーの家に泊まったのか。

「誰かフェスティバル会場まで、車に乗っけてくれる方、いませんか」とジャグリングフェスティバルのFBページで尋ねたら、全然知らない、リーナさんという人から連絡がきた。

「とりあえずジョーの家に行ってね」

 と言われた。

 ジョーが誰かも知らないし、それ以前にリーナさんも知らないんだけど、言われるがまま住所をたどって家に行ったら、僕が開ける前にドアが開き、「はいはい、入って入って」という雰囲気で、細身の女性が僕を中に招き入れてくれた。

 いきなり「疲れてない? シャワーとか浴びる? 寝る?」と聞いてくれた。僕は、ひとまず荷物を置いて休みたいな、と言うと、「オカイ(Okay)」と微笑んで、リビングルームに案内してくれた。そこには、もう三人、ジョーの友達がいた。しばらく話したあとにシャワーを浴び、仮眠を取った。

 何が何だかわからないまま、しばらくして目が覚めた。いったい何しにきたんだっけ、としばらく考えた。

 外から声が聞こえてきたので、はっとした。

 庭に降りると、バースデイパーティが開かれていた。今日はジョーさんの誕生日なのだそうだ。バーベキューと、ケーキがあった。

 僕は、そこにいるのはみんな知らない人だと思っていたんだけど、ジョーは3年前、福島のジャグリング日本大会に来ていたんだ、と言った。そこには僕もいた。はじめに声をかけてくれたリーナさんは、6年前のBJCで、会っていた。「BJCのあの演技、よかったわよ!」と6年越しにコメントをくれた。ほかにも、続々と庭に集まってきたジャグラーたちの話を聞くと、今までのEJCや他のイベントなど、至る所ですれ違っていた。

 だんだん、自分が何者なのかわからなくなってきた。

 それは、イギリスに住んでいるほとんど話をしたことがないジャグラーと、「接点が多い」という事実が自分を困惑させるからだ。

 そして、彼らがあまりにもすんなりと僕のことを受け入れてくれるからだ。
僕がこれほどまでに「受け入れられる」理由がまったくわからなかった。日本から来た、その土地の人とはまったく縁もゆかりもない人間がなぜこれほど、優しく受け入れられるんだろう。

 そして、自分がどういう人に受け入れられるのか、ということは、とりもなおさず、自分がどういう人間であるか、ということを示しているような気がした。だから、こんな風にほとんど知らないイギリスの人から、さも近所の知り合いのように話しかけられると、自分がいったい何者なのか、全然わからなくなってしまう。

 

ジョーさんは僕に、控えめな笑顔でもう一本ビールを勧めてくれた。

ジャグリングがつなげるもの 欧州ジャグリング紀行2018 memory no.10

 リヨンを離れる日。もうボクダンはいない。起きてからすぐ、友人に勧めてもらったパン屋に行った。0.9ユーロのパン・オ・ショコラを食べた。安いんだけど、うまい。フランスのパンはフランスで食べるに限る。もう朝早くなかったから焼きたてほやほやではなかった。それでも美味しかった。

 そして、ボクダンの家の近くにあったジャグリング道具屋も、開いていたので入った。店主のお兄さんに話しかけると、「一輪車のプレーヤーならいっぱい知っているよ」と言っていた。見ると店の中には、一輪車がたくさん置いてある。ジャグリング道具は置いているが、詳しいわけではないみたいだ。でも、ボクダンのことはもちろん知っていた。

 店を出ると、今度はサイクリングをすることにした。

 リヨンでは、Velo’Vという、自転車共有システムがあって、街中にある自転車を一回1.8ユーロ、1日使い放題4ユーロ(20187月現在)で利用できる。クロワルッスの丘のあたりからずっと川沿いに走って、ローヌ川とソーヌ川が合流するところの、再開発地区まで行った。もともとは本屋に入ったり、行きたかったお店を見た。いったんカフェに入りネットに繋いだら、エティエンから連絡が来ていた。

 「なんかして遊ぼう」

 自転車で川沿いを走って、またクロワルッスの丘に戻った。オーストリアから来ていたセビとも合流し、街をぶらぶらした。トマもいる。

 僕はそういえばあまり、これまでの人生で、「なんかして遊ぼう」と言って、外にぶらっと出て、特に目的もなく街を友達と一緒に歩き回る、みたいなことをしてこなかった。僕が生まれたところが、そういうことに適していなかったのか? 僕が非社交的だったのか? 日本とフランスの文化の違いのせいか? 理由はわからない。

 みんなでディアボロができるところを探しながら歩いた。途中、屋台でチョコスプレッドたっぷりのクレープを買って食べ、スーパーでビールとポテトチップスを買って川沿いに座ってまた食べた。ディアボロをして、また歩いて、最後は行くところもなくなって、階段に座って話をしながら猫と遊んだ。夕方5時ぐらいになって、僕は空港に行くよ、とエティエンとセビにお別れを言った。トマはもう「父さんのためのパーティがあるから」と帰ってしまっていた。

 ボクダンの家に帰った。キッチンのテーブルの上に手紙を書き残して、お菓子を置いていった。荷物を整理して、まだ早いけれども、電車で飛行場へ向かうことにした。明日の朝早くの便だから、今日は飛行場で寝る。

 リヨンの空港は、新しくてとても綺麗だった。夜になっても明かりは消えず、マットを敷いて、寝袋をかぶって寝た。ロビーには、延々とどこかの子供が泣き叫ぶ声がこだましていた。あまりよく眠れなくて、飛行機の中では少し具合が悪くなってしまった。