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紙雑誌PONTE休刊のお知らせ

PONTEの紙雑誌の刊行を、いったん中止することにしました。

最新号の紙面で「定期購読を開始します」と宣言しておきながらお恥ずかしい限りです。

中止に至ったいちばんの理由は、読者の方が満足するような形で紙の雑誌を定期的に発行することが、少なくとも今の段階では難しい、と判断したためです。

「今後紙媒体の発行を一切しない」というわけではありません。

むしろ、ここぞというときに質の高い紙媒体を発行したい、と思っています。

そのためいまは、「定期刊行」を中止する、という考えです。

今までどおり、Web上では記事を発行していきます。

PONTEを「雑誌」と呼んでいくことはまだ続けていきます。

紙の出版をたまに行う、「ジャグリングについて考えるWebマガジン」のように捉えていただければと思います。

書いて考える以外のプロジェクトも、少しずつ進めていきたいと思っています。

現在は、看板プロジェクトとして、「Juggle Pack」という、ジャグリング道具を持ち歩くためのいれものを研究、開発するプロジェクトもすすめています。

仮ロゴと試作品

紙雑誌のしっかりした定期刊行を辛抱強く期待してくださっていた皆様には大変心苦しいのですが、ぜひこれからも、メルマガ、Webマガジンならびに、ジャグリングに関わるプロジェクトをいろいろと公開していきますので、何卒、PONTEをよろしくお願いいたします。

書くジャグリングの雑誌:PONTE編集長 青木直哉

2019/02/13

パフォーマンスを身体から切り離す。ジャグラー・小野澤峻さんの美しき試み。

編集長の青木です。小野澤峻さん、というジャグラーの友人がいます。
彼が、”Movement act”と名付けられたこんな作品を発表していました。
(註:記事公開時現在、展示は終わっています。)

 

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小野澤さんは現在、東京藝術大学4年生。
今春には学部を卒業予定。
この作品は、卒業制作として提出されました。
8方向から次々にボールが打ち出されて、中心で交わり続けるこの美しい作品。
ジャグリングをモチーフとして制作された、とのことですが、一体どのような経緯で制作されたのでしょう。

“Movement Act” 作者の小野澤さんインタビュー


青木:この作品のもとになった考えは?

小野澤:「パフォーマンスを身体から引き剥がして展示することはできるのか、ということです。この機械は5分に一回くらいの確率で失敗もするんですよ。そういう風に調整しています。全く失敗せずに終わる回もあれば、(註:この展示会では、15分おきに一回起動して、3分ほど動かしていた)はじめの1分くらいで衝突してしまう回もある。ちゃんと失敗するので、見るたびに異なる結果が引き起こされて、まるでパフォーマンスを見ているようなライブの緊張感、ワクワクする感じが引き起こされる、と思っています。」

作品の説明をする小野澤さん(右)

青木:どんな経緯でこれを思いついたのでしょう?

小野澤:「大学に入ってから4年間ずっと、ジャグリングを美術で表現するにはどうしたらいいんだろう、と考えてきました。でも、そもそも美術予備校に入ったのも高校3年生の9月で、本当に遅かった。入ってからも全然美術の知識がなくて。ジャグリングを演じるという手法しか知らない自分にも嫌気がさしていました。そこで2年生でいったん、わざと直接的にジャグリングを絡めた作品を作って、そこで区切りをつけたんです。」

「3年生の時は、写真をやっていたんですよ。その時の作品で、『こういう細かいところの感覚は、小野澤くんらしい、ジャグリング的な作品だね』と講評されたものがありました。それは、ジャグリングを絡めていないものだったんです。その時に気づいたことがありました。それは、自分に宿るジャグリング性は、身体の技術だけじゃなくて、むしろ世界の捉え方や、ものごとの見方の中にあるんだな、と。」

青木:ではどのようなプロセスで、ジャグリングのパフォーマンス、考え方を展示に置き換えていったのでしょう。

小野澤:「ジャグリングでは、キャッチと投げる、という行為があります。だからはじめは、投げる、取る、という構造でできた、世の中にあるものを洗い出しました。ピッチングマシンなんかも調べました(笑)最終的に、スマートボールにヒントを得て。」
「当初は上方の投げ上げで表現しようとしましたが、それではジャグリングそのものに寄り添い過ぎている。それより、展示をするということに特化した条件で模索をしていった結果、転がす、という結論にたどり着きました。」

(このアカウントで、他にもプロトタイプの動画が公開されています。)

「はじめのプロトタイプは十字のクロスで、これができたのが昨年の6月。そのあといろいろ試行錯誤があり、レールが8本になってから、難易度が飛躍的に上がりました。最終形態の調整には、4ヶ月かかりましたね。レールを0.1mm削ってはテストし、また削り、の繰り返しです。中央のレールがない部分は制御ができないので、バネとボールの距離、そしてレールで工夫するしかないんですよ。でもそこは、ジャグラーとして、あくまでお金を出して解決するのではなくて、手仕事での解決にこだわりました。」

この美しいレールも、全て自身で削って、着色している。

青木:実際の制作はすべて自分で?

小野澤:「発射を制御するプログラムは知人に作ってもらいましたが、それ以外は全て自分で作りました。盤面は木製で、それを削るところから、盤面を支える金属の台は溶接から、ソレノイド(註:発射を担う装置)の配線の格納まで、全てデザインと作業を自分でしています。」

配線について説明する小野澤さん(左)

青木:これからの予定は。

小野澤:「今所属している、先端芸術表現科の院試があと数日に迫っています。そこに受かったら、作品作りはやめて、まちづくりなどの現場に積極的に入りたいと思っていたんです。アーティストやジャグラーを、社会のどこにフィットさせるのかを俯瞰する立場の仕事がしたくて。ただその前に、作家の気持ちもわかるようにしておこう、と思った。だからこの4年間は表現活動に捧げて、それで終わりにしようと思ってきたんですが、まさかこの作品にこんなに反響があるとは思わなくて(笑)ありがたいことに、ぜひ続きが見たい、という声もいただくので、どうしようかな、と迷っているところです。」


小野澤さんのお話を聞いてから見ると、より芯のある作品だ、と感じられました。
ジャグラーとしての、4年間にわたる美術の研究が、シンプルに表されているような気がしました。
ジャグラーが、別の形でジャグリングを表現する、ということの、非常に秀逸なかたちだと思います。
今回の展示は東京都美術館で行われたもので、2019年1月28日から2月3日までで終了しています。
いち観覧者として、ぜひまた多くの人に見てもらう機会があったらいいな、と思う素敵な作品でした。

小野澤さん自身について

小野澤峻(おのざわ しゅん)。ボールジャグリングが得意。本格的な映像制作・写真撮影もお手の物。大きなジャグリングの舞台にも出演経験があり(ながめくらしつによる作品)、「SLOW MOVEMENT」という、障害者とともに作り上げるサーカスの活動にも積極的に参加。さまざまな方面に興味を持つジャグラーです。

小野澤さんが撮影した映像作品

PONTEより

PONTEは、ほぼ個人プロジェクトとして継続しています。
以下リンクから、雑誌バックナンバーや、Tシャツなどのグッズを購入していただけると、とても励みになります。

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第7便 (2018/12) シドニーのジャグリング・バスキング事情

こんにちは。オーストラリア滞在中(編集部註:この原稿は12月に執筆されたもので、2018年1月現在、芹川さんは日本に戻られています。編集部都合で掲載が遅れてしまいました。)のエクストリーム芹川です。4月から連載させて頂いているワーホリ×ジャグリングも今回で最終回になります。最後はオーストラリア最大の都市シドニーのジャグリング事情をレポートしていこうと思います。

ハーバーブリッジの下から見たオペラハウス

シドニーについて
オーストラリア最大の人口(500万人以上)を誇り、観光客はもちろん、留学生からの人気も高い都市です。オペラハウスやハーバーブリッジといった有名な観光名所があります。
2018年11月、私の住んでいるブリスベンでは悪天候が続きバスキングが出来なかった為、思い切ってシドニーに行ってみることにしました。ブリスベンからシドニーへの移動手段は飛行機が主流ですが、電車やバスを使っても行くことが出来ます。シドニーでバスキングをしようと思っていたので荷物も多く、飛行機だと金額が高くなってしまうため電車(片道65ドル)を使うことにしました。移動距離は900km以上あり、約16時間の長旅です。車窓からは美しい広大な大地と、野生のカンガルーや野ウサギ(オーストラリアでは外来生物として有名)の姿を沢山見ることが出来ました。

シドニーのジャグリング練習会「Newtown Jugglers」
人口500万人越えの都市というだけあって、ジャグラーも沢山住んでいます。今回、私は滞在期間中にNew Town Jugglersという練習会に参加してきました。毎週水曜日にシティから電車で10分ほどのNewtownという場所で開催されています。練習会には10人ほどのジャグラーが集まっていました。昔教会として使われていた場所を練習に使っているそうです。主催はクラブジャグラーのJulian。彼はパッシングが大好きで、複雑なカウント数でのパッシングや、テイクアウトを混ぜたパッシングを教えてもらいました。WJFにも出場していた世界的に有名なトスジャグラーのKennyも参加していて、一緒に3up360°バランスを同時に成功させようとしていたらあっという間に時間が過ぎてしまいました。練習会後は近くのカフェに集まって、深夜まで和気藹々とジャグラー同士の話で盛り上がりました。毎週恒例らしく、シドニーのジャグラー達の仲の良さを感じました。


(動画:Kennyとの練習動画)

Newtown Jugglersのfacebookページ

シドニーのバスキング事情
シドニーには主に2つの区分のバスキングライセンスがあります。シティ圏内とダーリンハーバーという区域で、それぞれ管轄が異なります。シドニーのシティ圏内のバスキングライセンスは市役所に行ってお金を支払えばバスキングのライセンスを取得することが出来ます。私は滞在期間が短かったので、10ドルで3か月分のライセンスを申請しました。オーディションや説明会に参加する必要も無く、申請用紙を記入して窓口でパスポートを見せて顔写真の撮影をするだけで手続きが完了し、20分ほどでライセンスを発行してもらうことが出来ました。ダーリンハーバーのバスキングライセンスは年に一度のオーディションに合格する必要があるそうで、大きなサークルアクトを行うバスカーは皆ここでショーを行っています。

発行されたバスキングライセンス。可能な場所が印されたマップも貰えました

シドニーでバスキングに挑戦
私が取得したスタンダードライセンスだとサークルアクトを行ってはいけないルールになっていたので、常駐スタイルで挑戦してみることにしました。場所はピットストリートモールという、人通りが多くバスカーの人気も高いショッピングモールです。他の場所とは違い1時間までというルールがあります。1時間帽子を置いてクラブを投げ続けた結果、平日の夕方だったにも関わらず40ドルほどチップが入りました。ここでサークルアクトが出来ればもっと稼げるのに…と思いながら終了しました。(実際はサークルアクトを行っているバスカーもいるそうです)

Pit street mallで入った投げ銭

シドニーのバスカー達
年末のシドニーは多くの観光客でにぎわうため、オーストラリア中からバスカー達が集まって来るそうです。ダーリンハーバー区域に行くと、プロバスカー達による大規模なショーを見ることが出来ました。ニュージーランド在住でプロのパフォーマーとして活躍している日本人のKozoも年末年始はシドニーでバスキングを行っていて、彼のファイヤーショーはとても盛り上がっていました。

ダーリンハーバーでのKozoのショーの様子。写真に納まりきらないくらい大勢の観客がいます

まとめ
私のオーストラリアワーホリも終了したため、今年4月から連載させて頂いたワーホリ×ジャグリングも今回で最後になります。今まで読んでくれた皆さん、ありがとうございました。
私はジャグリングというスキルがあったからこそ、海外でも沢山の友達が出来て、バスキングでお金を稼ぐことが出来ました。そして何より、自分の人生の中で最も挑戦した1年になりました。
この記事がきっかけで、少しでも海外に興味を持ったり、実際に海外のジャグリングイベントに参加する方がいたら幸いです。絶対楽しいですよ。
最後に、声を掛けて頂いたPONTE編集長のNaoyaさんにこの場を借りてお礼申し上げます。

1年住んだブリスベンにて最後のバスキングショー後に撮った記念写真

おまけ
2019年のオセアニアはジャグリングイベントが目白押し!
日程の分かるものをまとめてみました。1月~2月にオセアニアをジャグリング旅行するのはいかかがでしょうか。
1月9日 Capital Fight Night(キャンベラ)
1月17日~21日 Spin Circus Festival (メルボルン)
1月25日~28日 Newcastle Juggling Convention(ニューキャッスル)
1月31日~2月4日 New Zealand Juggling & Circus Festival (ニュージーランド)
4月25日~28日 Adelaide Juggling Convention(アデレード)


芹川さんご自身のブログはこちら。

この他にもジャグリングに関する話が毎週読めるメールマガジン、「週刊PONTE」にもぜひご登録を。


ジャグリングがつなげるもの 欧州ジャグリング紀行2018 memory no.29

EJC4日目
いつもこれを書いているのが夜の1時過ぎで、なんとかしないといけない。今はファイトナイトを見た後。
眠い。
なんとか、Youtubeの、”Rainy Jazz”と言うお気に入りのラジオ局を聴きながら、外のバルコニーで書いている。ここが今回の僕のEJCのお気に入りの場所である。
※ ※ ※
4日目、生活のリズムがつかめてくる。
昨日のステージに出たおかげで、自分のことを認識してくれる人がいる。
この日はイベントが少なかったので、割に書くことがない。
ただ、オープンステージに、日本人の鈴木さんが出た。
やはり同郷の人が出ると、未だに嬉しいものですね。
EJCに日本人が来る、ということの意味を考える。
主催のフレッドにインタビューをした時、
「日本からも人がきてくれるのは、アゾレスのコミュニティにとっても、島が魅力的だと言うことを示唆しているからとても誇りなんだ」
と言っていた。
そう、そして、言葉についても考える。
ミツオさん、という、半分フランス人で半分日本人のジャグラーに出会った。
彼は日本語をすごく上手に話す。
だがやはり彼と話す時、少しだけ、わかりやすい日本語で話そう、という意識が生まれる。
自然、話すことについても、「日本で暮らしている人」に特有ではなかろうか、と感じられる文脈については無意識に避けて通るように話したりする。
そういう風に話している時の自分を客観的に見ながら、英語を話している時の自分のことを考える。
僕は、白状すると、今だに、英語を母語とする人との会話に慣れない。
英語がそれほど上手くないから、というのが主な理由なんだけど、それにしても、相手が気を使っているかもしれない、と思ってしまい始めた時に、上手く歯車が回らない時がある。
ただ、シンガポールの人なんかだと、その感覚は薄い。
同じような、アジア人の見た目をしているだけで、精神性も似ていることをおのずから前提にするようなところがある。
これはなぜか。
英語を話す時には、僕は「英語を話す人の態度」を自分に憑依させて、日本語の人格と切り離された人格で話している。
イタリア語を話す時は、また少し違った感覚で話している。
言葉には、その言葉の”言語外現実”と密着に結びついた「話されかた」があるからだ。
たとえばその、居酒屋で焼き鳥を食べて、美味しかったよ、というようなことを言うだけでも、そこには日本語という形で、その思念を表に出すプロセスの中に、「それを話すのが日本語であるべき理由」が宿るような感覚がある。
外国に暮らすと、その国の言語を身につけやすいのは、言葉に囲まれる、ということもそうなんだけど、何より、その言葉と密着した「現実」を実際に経験できるから、だろうと思う。
同じように、EJCの中にいる人たちでも、なんとなく、そこに特有の「言葉の話されかた」「トピックの選び方」なんかがあったりする。あとは、「態度」とか。
そのことを、いつも僕は考えてしまう。
EJCという文脈で話される言葉、そして、共有されている認識、みたいなものに、自分をチューニングさせている。
だから、日本語を話しながら、同時に片方では英語を話す、というのはとても難しい。
言語が違うと、そしてそもそも受け答える内容だって、やや違ってくるから、ということもある。

ジャグリングがつなげるもの 欧州ジャグリング紀行2018 memory no.28

オープンステージ、というのがEJCにはある。
立候補すれば誰でも演技をすることのできるショーである。
例年のフェスティバルでは、開催期間中、5〜6日間オープンステージがあるのだけど、今年は規模が比較的小さいこともあってか、3日間しか開催されない。

3日目の朝、出場希望者全体のミーティングがあった。
朝11時。
11時5分前くらいまでステージの前にいたのだが、裏側に回ってみるとだいぶ人が集まっていた。
今年はショーを行うスペースがメインのジムの中にある。
これは2015年のイタリア開催の時もそうであった。

集まった人たちの輪の中に加わると、いつもオープンステージを仕切っているポーラとコンチャがいた。
特にポーラとは、もう2012年からずっとオープンステージに出る度に会っている。
ポーラってなんか誰かに似てるんだよなー、と思うんだけど、いつもそれが思い出せない。だがとりあえず、ピクサー映画『インサイド・アウト』のヨロコビに似ている。
ビールの蓋をあけるのがうまい。
コンチャもポーラもドイツ人。

待っているうちに続々と人が集まってくる。
各々の道具などを聞きながら、いつ出たいか、という希望も聞いていく。

ここで初日に出る人がなかなか決まらなかった。
本当は二日目に出たかったのだけど、仕方ないな、と思い、バリエーションとしてもちょうどよかったので、コンタクトジャグラーのたろりんと一緒に、「じゃあ、出ます」と言って出ることにした。
ミーティングの後は2時くらいまで、照明のチェックをしたり、音楽のチェックをしたり、司会の人に何を言って欲しいかを伝えたりする。

※ ※ ※

さて、今年は、去年に引き続いて、お店を出すことにしていた。
といっても気楽なもので、机を出して、その上に商品を並べるだけである。
別にずっと張り付いている必要もない。
なんだけど、机がなかった。
いやあ、昨日、「机用意しとくよ!」と言われたはずなんだけどな、と思うが、コンベンションの大きさを鑑みれば、これくらい、忘れられていてもなんてことはない。
ひとまず、どうしようかなぁ、と思っていたが、展示用においてあった木棚を横に寝かせて机がわりにすることにした。
今回のEJCは、あまりイベントがキツキツに入っていないので、会場内にあるミニマーケットに行ったり、お店の様子を見に帰ったり、テントに帰ってみたり、ジムに行ってオープンステージの演技を練習したりを繰り返しながら過ごした。

夜8時半。
オープンステージに備えるため、舞台裏に入る。
スペイン、イスラエル、ドイツ、そして日本など、各国から来たジャグラーたちがいる。
各々嬉しそうに通し練習をしたり、不安そうに準備運動をしていたり、メイクをしたりしている。
トリを飾るフィンランド人のラウリは、ポーラとコンチャに気軽に話しかけたりしている。
今まで5回のEJCにきて、その全てで演技をしてきた。
今回で、6回目。
自分は、どう感じているか?
これだけ何回も出ているのだから、何か進歩があってもいいよなぁ、と思うのだけど、自分が進歩したことって、果たしてなんだろう、と考える。
何が起こるか大体把握している、という意味では、大いに進歩している。
もう、ジャグラー7、800人の前で演技をすることには、慣れたような気がする。
ポーラもコンチャも、いつでも陽気に演技をする人たちを盛り上げてくれて、不安そうな時には、肩を抱いてくれる。
ミーティングの一番初めに言った一言。
「オープンステージは、みんなが楽しむためにあるからね」
そうそう、これがEJCだよな。

EJCに来て、オープンステージに出る醍醐味はいくつかある。
多くの観客の前でステージに立つことができる、というのはその最たるものであるし、その観客も、ジャグリングが難しいことを知っているから、挑戦する人には優しい。
個人的に、僕がいつも楽しみにしているのは、演技が始まる前に、円陣を組んでわあーっと観客席に聞こえるくらいの声を出すときと、全てが終わって、みんなで手を繋いで礼をした後、舞台裏に戻ってビールで乾杯をするときである。
その場限りなんだけど、そこには固有の、一体感がある。

ジャグリングがつなげるもの 欧州ジャグリング紀行2018 memory no.23

〜日記より〜

次の日の朝。テントが日照りで、とても中にいられないぐらい暑くなるので、外に飛び出して、シャワーを浴びる。
シャワーは、キャンプ場の中にある。シャワーの数はそれなりにあるのだが、少し待つ。洗濯をしたりする人もいるから、そのせいもある。
シャワーを終えて、ひとまずジムへ行く。ジムは、片面が全面ガラス張りになっているので、向こうの景色が一望できる。
山があり、海がある。地平線が見える。
そんな中、ジム全体を埋めるぐらいのジャグラーがみんな物を投げている。
今日は、ジャグリングをしながら町を練り歩く、パレードがある。シャトルバスに乗って、町まで行く。会場から、リベイラ・グランジまでは、シャトルバスで7、8分ほど。駐車場のようなところについて、パレードが12時きっかりに始まるのを待つ。
ここで、芹川さんとも初めて会う。彼はPONTEでも連載をしてもらっている、現在オーストラリア在住のジャグラー。オーストラリアのジャグラーを紹介してもらう。
パレードでは、鼓笛隊が先頭を歩く。町の道路を歩いていると、道路沿いの住人たちが窓から顔を覗かせる。リベイラ・グランジは小さな町で、普通の速度で歩けば、ものの10分、15分で、町の外から中心の広場までたどり着いてしまう。しかしパレードでは、1時間かそれ以上かけて、途中ウェーブをしたりしながら、広場まで行く。
広場に着くと、しばらく休憩の時間があった。炎天下で歩き続けるのでとにかくみんな喉が乾いている。水やビールを飲む人たち。広場にあるカフェではアイスやお菓子も売っていた。よく売れる。僕もエッグタルトを買って食べた。安いし、非常に美味しい。
1時間ほど休憩があってから、広場でゲームが始まる。長くジャグリングをし続けるエンデュアランス、クラブをはたき落としあうコンバット、ディアボロを小さな箱に入れるコンテストなど。だが随分暑くて、途中で見るのにだんだん疲れて来る。

広場はとても穏やかな雰囲気だった。

ゲームが終わると、今度は広場を降りたところでショーがあったが、じっと何かを見るのに疲れてしまったので、ひとまず近くのビーチに行くことにする。いまいちどう行くのかわからないが、とりあえず浜の方角へ向かい、なんとかたどり着く。ビーチでは、すでに何人かジャグラーや観光客の姿が。ただ浜から海を眺めるつもりでいたが、やはり海にいながらただ眺めているだけではどうしようもないので、別に海に入る格好をしてきたわけではないが、Tシャツを脱いで、海に入ってしまった。
波が強い。
一緒にいたドイツ人のヘナが、「サーフィンをしよう」というので、思い切って試してみることにした。今までの人生で、サーフィンなどしたことがない。とりあえず、やってみる。先にヘナが見本を見せてくれた。だが、あまりうまくいっている様子ではない。しばらくトライした後に、疲れた顔で戻ってきて、「波が強すぎるね」と言った。
しかし、もうボードを借りてきてしまったことだし、と思って、とりあえずこちらも挑戦してみることにした。結果は哀れなもので、立ち上がることはおろか、波にただただ流されただけで、最後には、思ってもみなかった方向に流されていってしまい、一瞬、死を覚悟した。
浜遊びを終える頃には、日が傾き始めている。(と言っても、7時を回っていたが)
スーパーに立ち寄ってから、ピザ屋に行く。のんびりと食事をしていると、帰りの最終バスの時間になる。少し焦って広場へ向かい、なんとか、一緒にいたヘナ、台湾人のペイ、芹川さんと一緒に、バスに乗り込んだ。

帰ってきたら、色々と片付けるべきことを片付け、少しステージに向けての練習をして、床についた。

ジャグリングがつなげるもの 欧州ジャグリング紀行2018 memory no.22

 サン・ミゲル島の空港は、小さかった。日本の小さい地方空港(徳島とか)ぐらいの大きさである。ロビーを出ると、僕たちよりも前に到着したジャグラーたちが大勢待っていた。
 ここからは送迎バスが出るので、その到着をみんなで待っているのだ。中には知っている顔もいた。ああ、やっぱりEJCは違うな、と思う。とにかく人数と、いる人達のバラエティが違う。
 空港から会場まではバスで20分ほどだった。到着時点では夜だったので、全く外の景色は見えない。いったいここはどんな場所なのだろう、とワクワクした。写真で見た限りでは、あじさいが咲いていたり、緑の山並みが見えたり、あとは、海にはクジラがいる、というイメージもあった。別にここからクジラが見えるというわけでもなかろうが、ともかく、自然がいっぱいということはわかっているのだ。

 会場に着くなり、畜産を営んでいるところの、あの穀物と土と畜糞が入り混じった匂いがした。ほうほう、と思ってあたりを見回したいところだが、やっぱり暗いので何も見えない。 
 会場に着くと、また、たくさんの知っている顔があった。その中には、毎年ステージを仕切っているポーラもいた。もうなんだかんだで6年の付き合いになる。いやはや。
 僕はポーラが大好きなんである。いつもまるで親戚のお姉さんのように、「よく来たね」とか「来年も待ってるからね、ステージの席は確保しとくからね」などと言ってくれる。そして、乾杯のためのビールの瓶をガシャガシャ運んできて、豪快にガパガパ開けていく姿も、男気があってホレてしまう。そういえばポーラは、僕がEJCに行きたいと思うきっかけになった2006年のEJCの様子を収めたDVDの中でも映っていたよな。その時のことを思い返すと、彼女と今こうして友達でいるのは実に不思議な感じだ。
 「ここねえ、この会場の窓はオーシャンビューなのよ」と言った。
 そう、今年の会場の体育館は大きな大きな窓があって、そこからは外が一望できた。これは、朝が来るのが楽しみだな、と思った。
 他には、ノルウェー人のジャグラーたち、ベルギーのジャグラーたちなど、こちらもずいぶん長いこと交流のあるヤツらがすでにたくさんいた。
 やっぱりね、この感じなのである。
 普段は忘れている。日本で、普通に働いて、まぁ時々ジャグリングはして、それでも特に外国の空気と触れることのない生活をしていると、たくさんのジャグラーたちと自分に接点がある、ということをどんどん忘れていってしまうのだ。しかしこうしてEJCに来ると、一気に、思い出す。自分がいかにもっと大きな世界と触れ合ってきて、人々と交流を重ねてきたか、全部思い出すのである。
 それは、他人に出会う、ということよりも、「そうだった自分」に改めて出会う、という、そのことの感動のほうが、よほど大きい。
 みんなが「ナオー、元気かよー」と抱きしめてきてくれるところにいると、僕は「別の自分」になれる。「本当の自分」ではない。僕は日本で働いている時の自分になんら不満はないし、なんなら、今現在では、こっちの方をいわゆる「本当の自分」だと思っているくらいだけど、まぁ、こうして他人を通して自分を知る、ということは、自分と似たような境遇の人たちしかいないところでは、決してできないことなのだ。

 かくして、体育館にいた知り合いたちと、思う存分挨拶をしてから、僕は自分のテントをたてに向かった。