第97回「『5個の玉を投げ続ける』という発想 『カスケード』のシニフィエに想いを馳せてみる」

改めて5ボールカスケードの軌道をGIF画像で見て、これは素晴らしいなぁと思った。
たぶんジャグリングを見たことのない人が、いきなり5ボールカスケードを見せられるとこれくらい感動するのだろうなぁ、と瞬間的に想像した。(僕にもそういう時があったはずなのですが、もはや覚えていません。初めて食べたラーメンの味を覚えていないのと同じくらい残念なことです)

「5ボールカスケード」を、ミルズメスとか、リズミカルなボディスローとか、パズル系とか、5ボールバッククロスとか「ジャグラーならば知っている」文脈のなかで相対的に位置付けてしまうとたいしたことではないように感じてしまう。(昨今は特に)
だけどその「所与」をなるべく取り除いてそれそのものを眺めてみれば、結構ワクワクする質感が立ち現れてくる。それは、「5つの物体を常に投げ続ける」というなかなかに驚異的な行為である。
「俺は5個のボールを落とさずに投げ続けることができるんだ」と口に出して言ってみる。なんだかちょっと可笑しくなってくる。
皆さんもぜひ自分のできることを言ってみてください。電車で読んでいる方も、前の座席の人の目をみつめながら言ってみてください。

本気で文脈のことについて忘れてみると、意外なほどに、「カスケード」が、全く違う行為に思えてきませんか?

最近はジャグリングを目にする機会も増えたし、教材も山ほどあるし、ジャグラーを囲む環境は「文脈」にあふれている。
だけどジャグリングに触れたことのない人が初めてジャグリングの5個の「カスケード」をみるとした時、感じる質感は絶対にジャグラーのそれとは違う。(当然ですね)
この人は、いったいどんな練習をどれぐらいしたら5個なんか投げ続けられるようになったのだろう、というようなことを思うだろう。

もちろん文脈に浸っていれば、誰しも「門外漢」への想像力を欠いてしまうものだ。
しかしそれを超えて「内輪の外」ときちんと向き合える人というのは、すっごく素敵だなぁ、と思う。
「わぁ、すごい」と自分が思った時の感覚と大事に向き合うということでもあるからである。

「カスケード」ということばで万国共通のものを了解できるようになるというのは、ジャグラー間の伝達や、教える際に便利で、素晴らしいことだ。
ただし一旦それを脇に置いて「カスケード」ということばが指し示しているそのものの質感のことを思ってみると、自分が「カスケード」と呼んでいる時の感じとは、また随分違ったものになっていることに気づく。

文=青木直哉


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