第91回「熊本の地震と私との距離感」

 

熊本県で大きな地震がまだ続いており、心配です。
被害のない地域に住んでいても、おそらく知り合いや親戚の方などが近くにいる、という方も多いでしょう。
ニュースを聞いた瞬間には、正直に言えば「自分のところでなくてよかった」というような気持ちを持ちました。
こんなことは、熊本で今被災されている方々からしたらとんでもない一言に聞こえるのは承知ですが、それでも、何人かの九州の友人に安否を尋ねたのちに「今の所自分にはあまり関係がないな」と判断した。
この地震は、私の立場としては、ニュースが流れさえしなければ知りもしなかったことです。
ニュースをみたところで「わあ、ひどい」と思いつつも、のんびり夕飯を食べている。
どこからが「自分に関係のある」出来事なんだろう。
台湾で起きた地震はどうだろう。
ブリュッセルのテロはどうだろう。
シリアの難民の惨状はどうだろう。
宇宙飛行士に何か起きたらどうだろう。
地震が起こる一方で今、全国の病院で、難病と闘っている人がいる。
自分がしたわけでもない借金に追われて苦しんでいる人もいる。
就職活動で本気で悩んでいる人もたくさんいる。
福島の地震があった時私は1500円を赤十字経由で寄付した、という経験がありますが、その時、一体この1500円という中途半端な距離感はなんなんだろう、と思いました。
惨状がメディアで流されることにより「関与しておかないといけないんじゃないか」という気分になったので「とりあえず何かした」というような感じだった。
しかしそういう関わり方というのは無関心よりも却って悪いんじゃないか、という気分になった記憶があります。
「よし、これで私は、慈善を果たした」というような気分。
でも何より自分に関係があるとすれば、悲劇的な事態というのは「次は我が身」である、という事実かもしれない。
関東地方もやはりいつ地震が来たっておかしくない。あと30分後に来るのかもしれない。
起こるまでは誰も何も知らない。
そのことが、「今自分の身には起こっていないこと」への態度を不安定なものにさせます。
少なくとも地震の被害、というのはもはや、すっかり安心して「傍観」できる距離感ではない。

文=青木直哉


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