第70回「ポイをやろうと思って考えること」

要するに、本当に僕たちは守破離を絶対に経なければならないのかどうか、という話である。

ポイを始めた。
何かを「習おう」というか、「勉強しよう」と思う。
なるべく自由にやりたい、と思う。
だがその前に一通り基礎を押さえなければならない、というのが一般通念である。

どんな個性的な達人にしても、結局、みんながやっているようなことを一通りやってから、
それを初めて「破って」そして「離れていく」。
ただし、一個の例外もないのか、と聞かれたら、確信を持ってハイ、とは言えないのではないか。
全部自分で体系を作り上げて、全部一から自分でやりました、という人も、中にはいると思う。

新しくないと意味がない、なんてことはないから、今までの先達が築いてきた基礎を押さえる、全くそれでいいはずだ。
しかしどこか「ただなぞっているだけ」という意識は、歯がゆいものがある。

大体、それに命を賭すくらいの覚悟がない限り、一から自分で何かを作り上げて普及させることを志向しても失敗すると思う。
そういう覚悟がなければ、ただ楽しみのために予めあるサンプルに沿って新しいことを始めて、みんなでワイワイやればいい。(別に批判ではない)

「一体我々は何に縛られているのか」ということばかり最近は気になってしまう。
雑誌が書店に並べられている様子を見ても、YouTubeで皆がジャグリングをやっているのを見ても、結局「何かしらの鋳型に自分を流し込むしかない」ということを眼前に突きつけられているようで、めまいがする。

文=青木直哉


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