第68回「『パフォーミング』について思ったこと」

ジャグリングにもいろんなあり方がある。
別に、エンターテインメントとして純粋に見せるも良いし、あるいは「表現芸術」として追求するも良い。
ただ昨日、二つの公演を続けざまに見て(『我的地図』『TROPE3.0』)ますます「ジャグラーがやれることはいっぱいあるなぁ」と思った。

ジャグリング「から」出発する追求の方向性がいっぱいある。
ナンバーズを極めるのもいいし、マニアックな3ボールをやるのもいい。あるいは「アーティスティックに」やるのもいい。
…という言い方をもうちょっと超えた捉え方で。

哲学者の鞍田さんがおっしゃっていた「抽象的な振る舞いの中で家具同士や、床とぶつかった時の音がすごくリアルで」という話が一番気になった。

つまりジャグリングでいうと、「5ボールカスケード」という抽象的な(つまり「他の誰でも再現できる」とみなしている)ものから、急に「青木くんのつや消し加工のやや重いボールが、割と高いところから落とされて手に収まった時の感触」みたいなあまりにも具体的なものにフォーカスが移ると、結構はっとする。

いや、これは成功するかわからないんだけど、たとえばボールに、回転数とか、どの面で止まったか、とか、逐一区別するような仕組みを作って(それが明らかに外に見えるような仕組みを作って)みたらどうだろう。
一度そういう話を美術家伊東篤宏さんとしたことがある。

それによって「なるほど、区別するとこういう結果になるんだ」ということに関して、何か「ははは」と笑いたくなるような成果物を生み出したら面白いと思う。今まで気づかなかった面に愉快に光を当てたことになる。

ものとの関わりが「抽象的な営みである」とみなされた時、最大公約数的に「ジャグリング」となるんじゃないかとも思う。(トートロジーっぽいが。「再現可能」に系統付けた時「ジャグリングの技だね」と言われる)ならば「リアルの生々しさ」を織り交ぜて驚きを作り出すことが十分可能である。

普段は、一個一個のボールを識別したりしないし、色が違かろうとなんだろうと「パターンを生み出すために使われるファクター」として、いわばただの「点」として扱われるが、(そうじゃないとジャグリングは成り立たない。「ボール半回転ミルズメス」と「ボール一回転ミルズメス」はどちらがいいか、という議論が存在しないように)道具の生々しさに時々意識的になることで、結構発見があるんじゃないかということだ。

文=青木直哉


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