第65回「春樹の書き方について」

村上春樹が好きで、今、『ラオスにいったい何があるというんですか?』を読んでいる。
フィンランドでアキ・カウリスマキの兄弟が経営するカフェに行ったら、40分くらいじっと注文を取りに来るのを待ったけれども、ついに飲み物を頼むことすらできなかった、というエピソードが最高だった。

旅行について書く時に、どうしても夢を説明する時みたいになってしまって非常に歯がゆい思いをするというような話も確か春樹がしていた。
旅先で経験する光景というのは、その景色に至る過程まで含めた立体的なものなのである、というのもあった。写真に収まるスケールのものではない。

ジャグリングのコンベンションに行くなんていう経験も多分にそういう性質を含んでいる。
ある時思い立って航空券を買って、その日になって空港へ行って、どんなことが起きるんだろう、と思いながら外国に着いて、(この時すごくワクワクしている)列車に乗ってやっと着いた時の会場の様子。

そういうものを含めた「コレ」と、その場での一回性の体験(とくに初めてその国に行くような時は、極めて張り詰めた、色合いの濃い体験が待っています)に対する誤差は、どうしようもないくらい大きい。
迫るような質感は私の中にだけある。

 

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かつての旅のことを私は眼前に、立体的に、時間軸的に思い出せる。
今から施設にパフォーマンスをしに行くのだが、演技を生で観る、という相対的には小さな経験にも、同じような一回性の切実さが宿っている。YouTubeなんかより、とんでもなく鮮やかで立体的で、奥深な経験なのだ。

文=青木直哉


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