第57回「SNSは、精神にとってのタバコである」

インターネットの弊害についてはもうつとに言われていることである。

私個人、インターネットにつながれていること、特にSNSにつながれていることに、とても害があると最近やたらと感じる。
精神的な涵養を阻害するための劇薬のようにすら思う。
SNSは、精神にとってのタバコであると言って差し支えないだろう。
ここ三日くらい、図書館に立てこもって、卒論を書いた時のように机にへばりついていたら、インターネットの無い生活って、なんて素敵なんだろう、と思った。
自分の頭の中にあるリソースで、鈍行列車の速度で頑張って考え抜く、という行為に、至上の喜びを覚えた。
インターネットは、思考にとってのリニアモーターカーだ。本当の旅の醍醐味なんて一向に訪れない。
遠くにいる友達を大事に想うことも無くなったし、自分の好きだと思った本の著者を忘れることにも危機感は無くなった。
たどり着きたい、という目的地を思い浮かべた瞬間、そこについて、終わりである。
旅の道中で出会うものも何もあったもんではない。

もうインターネットがない時代には戻れないし、こういうことを今ネット上で発表する自分にものすごくアンビヴァレントな感情を抱くわけだけれども、だがしかし、大事なことは依然大事なことである。

ちゃんと身体を、特に精神を時々SNSから解放してあげないと、ろくなことがない。
それは大いなる魂の救済である、と半ば本気で思った。
オレは死ぬときに「ああ、フェイスブックで1000人友達ができてよかったな」と思いながら死んでいくのか。
それで「自分が分からないことに対してどうアプローチするか」ということを考えた。
「わからないから自分で考える」というのは、あらゆる局面においてものすごく素敵なんだ、と思う。

ある友達が、遠くで何をしているかわからない。だからその人のことを想像する。 ある問題があって、それについて考える。それこそが問題意識と向き合うということだ。インターネットで仔細に何があったかを知ること自体にはなんら意味はない。大事なのはそこから先の話である。

喫煙について文句を言うのもいいが、SNSについてもっと節操を持たねばならない。集中をいかに阻害されているかは火を見るよりあきらかだし、電車の中で全員が小さな画面に向かって一心不乱に何かをしているのを見て、「おっ、皆、生産的な時間を過ごしているなぁ」と思うことも無い。
文=青木直哉

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