月別: 2016年8月

ジャグリングがつなげるもの 特別編 ジェイ・ギリガンに会いに。(5)

2016年7月4日発売『書くジャグリングの雑誌:PONTE』第12号では、編集長自らがニュージーランドへ行き取材をしてきた様子を掲載しました。その全編を毎週水曜日、8月3日まで全5回でWebに連載。

お楽しみください。

(2016年7月4日発売『書くジャグリングの雑誌:PONTE』第12号より転載)

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ジャグリングがつなげるもの 特別編 ジェイ・ギリガンに会いに。(5)

ガラショー本番

日が暮れ始めて、ガラショーの時間が来た。こちらに来るまでこんなことになるとは思っていなかったので、とりあえずたまたま持ってきていた、普段使っている演技の曲を渡して、急いで準備をした。衣装もなかったからあり合わせの中で一番まともに見えそうな服を着るしかなかった。
楽屋に置いてあったコリンが作ったピッツァを頬張って本番に備える。舞台裏にはガラショーに出る人たち全員が待機していた。自分の番を待っている間、日系ニュージーランド人のリサと仲良くなった。私と同年代の彼女は、生まれも育ちもずっとニュージーランドだが、両親が日本からいらした人たちであるので日本語も上手く話せる。会場では度々見かけていたし、インターネットでもいくつかビデオを観たことがあったものの、それまで一度も話さなかった。だが緊張感を共にしていたこともあってか、舞台裏では気がついたら会話が始まっていて、何日かぶりの日本語で気を紛らわすことができた。
若者2人の愉快なMCを交えて進むガラショー。コメディ調のもの、正統派ジャグリング、そしてマジックなど、ちょうどよいバランスで並んでいた。気がついたら自分の番が来ていた。始まってみればあっという間であった。演じ終わるとちょうど中休みの時間になったので、舞台から降りて観客席に混じってショーを観に行った。
大喝采で全ての演目が終わると、いよいよDJタイムが始まる。あたりはすっかり暗くなっていた。
もう一度舞台に上がって、出演者のみんなとビールを飲みながらガラショーのポスターにサインをすることになった。するとジェイが近づいてきて、「俺はナオヤの演技、たぶん一番好きだったよ」と言ってくれた。

たくさんの人が踊り狂っていた。ヒッピー風の人たちの騒ぎようは生半可ではない。あと一時間したら世界が終わるのか、というぐらい全力で踊っていた。DJの隣で虹色のシャツにベレー帽をかぶった白髪のおじいさんが、サックスを吹いてセッションをしている。手持ち花火を数人が持って、駆け回っている。遠巻きに見る人たちは、ショーの感想を語ったりしながら笑っている。私はビール片手に、時々踊りに加わったり、椅子に座って他の人と話したりしていた。コリンは私の演技を見て、すごく誇りに思った、と言ってくれた。とても幸せな気分だった。

 

ジャグリングオリンピック

3日目。クリスティーンが「あなたもったいないわよ」と、ことさらに低い声で言うので、一緒にウォータースライダーに行った。ベルギー人の青年アスターもついてきた。何度も何度も滑っていると、確かに気持ちが良かったし、もはや自分がどこで一体何をしているのかわからなくなってきた。途中から空が曇ってきて、滑り終える頃には寒くなってしまった。
スライダーから戻ると、ジャグリングオリンピックが始まっていた。ジャグリングやアクロバットを使ったゲームが行われるイベントだ。ジャグリング耐久戦に始まり、逆立ち耐久戦、バランス耐久戦、四つん這いの人に乗って進むヒューマンサーフィンレース、主催者のサムにフープを投げ入れる輪投げ競争など、面白いゲームが盛りだくさん。勝った人は、きちんとしたメダルがもらえる。準優勝の人も、(なぜか)フォーチュンクッキーを受け取ることができて、特典として中身をメガホンで読んでもらえる。
明るい芝生で、日照りが強い中延々と競技が続き、顔中真っ赤になってしまった。私は結局、何も勝てなかった。だが、前日新しいディアボロを買ったコリンとディアボロ・ロングパスに出ることを約束していたから、一緒にチームを組んでディアボロを飛ばしあった。正直なところ、コリンは上手いとは言い難かった。だがゲームを終えて、がははは、と笑いながら肩を思い切り抱いてきて、一緒に出てくれてありがとう、と言ってくれたのは、何よりも嬉しいものであった。

 

ワークショップをする

3日目の予定がほぼ終わるころ、主催者のサムが声をかけてきた。
「ナオ、ガラショーに出てくれたから、これに加えてワークショップをやってくれれば入場料はタダにしてあげられるよ」
つまり他のアーティストたちと同じ扱いにしてもらえるということだ。願ってもない提案である。それで、ディアボロのワークショップをすることにした。
トビアスという20歳くらいの青年が、特に熱心に一緒にディアボロをやりたがってくれたので、オリンピックが終わるとすぐに場所を移動してワークショップを始めた。
「ニュージーランドにはそもそもディアボリストが少ないからさ」
とトビアスは笑った。初心者に教えることはあっても、同じレベルで交流する機会がなかなかないのだそうだ。クリスティーンもあとから来て、三人で技に挑戦したり面白いアイデアを見つけたりした。

あっという間に夕暮れになった。ワークショップを終えてクリスティーンが、「温水プールに行こうかな」と言った。やれやれ、またか。トビアスは、車の免許の制限があって、夜10時までしか運転ができないから、というので、残念そうな顔をしていたが、ハグをして、帰って行った。
私とクリスティーンは、すっかり日が暮れた後で、温水プールに向かった。ジェイがジャグリングをしたところだ。中に入ると、もうすっかり人はいなくなっていて、プールに入っているのは私たちの他に2人だけだった。照明も消されていて、吹き抜けの天井から夕陽のオレンジだけが降り注いでいた。
中にいた2人のほかのジャグラーが、もう間もなくクローズだぜ、と言った。係員が来て締め出されるまで、広々としたプールをゆらゆらと泳いだ。

 

終わりの風景

プールから上がると、人はすっかり減っていた。そして空にもうっすらと星が見え始めていた。これにはとても驚いたのだが、プールに行くまであんなににぎやかだったはずの会場には、もう数えられるほどしか参加者がいなかった。次の日が平日であることもあって、皆早めに帰ってしまったようだ。
ファイヤースペースも開放されていたが、ゆったりとファイヤーポイを回すフランス人以外は誰も火を灯しておらず、ただただ4、5人がぽつりぽつりとそれを眺めているだけであった。
本当に、静かだった。小さい頃に、大人が祭りの片付けをしている時に感じたような、穴の空いた茫洋感を思い出した。一瞬にして共同体のあった世界が「ただの場所」になるとき。とても静かで、寝そべると星が満天に見えた。すごく疲れていたので誰とも話す気力もなく、瓶ビールを飲みながら夜空を見ていた。
するとまたクリスティーンがほいほいとやって来て「なんだか、寂しいねえ」と、やっぱり低い声で言った。
本当はその後に2回目のレネゲードショーがあったのだけど、疲れ切っていたので、歯を磨いてテントに戻って、そのまま横になってしまった。

 

行って、帰って来る

次の日は何もなかった。テントをたたんで、荷物を車に詰めて、ただただ別れを告げる。皆はニュージーランドや、遠くてもオーストラリアに住んでいたりする人たちだから、またすぐにでも、という雰囲気でさよならを言う。私は、これから地球の赤道を越えて、日本へ帰る。頭の中で地球儀を想像する。でも皆に「また会おうね」と言われるたびに、地球の反対側へ帰るなどということも、車で1時間の家に帰るのも、それほど大差はないのかもしれない、と思い始めた。
行って、帰って来る。

フェスティバルのあと、ディーナと一緒に観光をした。彼女は車を運転しながら、矢継ぎ早に質問を浴びせかけてきた。それに一生懸命英語で答えながら、気がつくと私たちは丘の上に着いていた。「ニュージーランドに来たら、どうしても夕日が沈むのを見たいのよ」とディーナは言っていたのだ。それで、誰もいないところで、美味しいワインをすすりながら、海の向こうの水平線に沈んでゆく太陽を見守ることにした。

草原と、大きな海と、岩肌と、雲と、風。それ以外何もなかった。1時間ほど経って、じっとりと夕日が消えていく時、ああ、自分は地球にいる、ということがすごくよくわかったようだった。
「これ」に住んでいるんだ、私は、と思った。
いつも騒がしいディーナは、私から少し離れて、独りですごく静かに向こうを見ていた。■

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文・写真=青木直哉