月別: 2016年2月

第48回「ジャグリングにおいて同じ演目をカヴァーすることについて」

カフェにいて、シンディ・ローパーの『Girls Just Want To Have Fun』のカヴァーが流れている。

ジャグリングでは人の演目を真似て演じることがあまりない。
なぜだろう?
代役として演目が再現されることはある。
今日本にいる『トーテム』のコーンジャグリングもそうであろう。
元祖はグレッグ・ケネディですよね。

歌だと、他人がライブで歌ったとしても問題はない。
むしろ喜ばれることの方が多いんじゃないだろうか。
徳永英明の『赤いスイートピー』のカヴァーなんか、私は大好きである。
カヴァーばかりしているアーティストが高評価を受けるわけでもないけれど。

ジャグリングで人の演目を演じると、興行上の必要性などがない限りパロディとしてしか機能しない。
ネタがばれたりすると、「パクリ」との誹りを受けることになる。

たとえばバレエにおける『春の祭典』のような誰もが模倣するピースは、ジャグリングには今のところ無い。
まだ歴史が浅いということかもしれないし、永遠にそういうものは出てこないのかもしれない。

但し見方を変えれば、少なくとも「大道芸」の中に、模倣は多くある。
「現代日本でジャグリングをする大道芸人の芸風」には、一定のスタイルがあると思う。
初めに大道芸でジャグリングをし始めた人たちの名残が脈々と受け継がれているように見える。

もちろん批判したいわけではなくて、そういう傾向がある、ということである。
中身はそれぞれ個性的にやっている方がたくさんいるが、なんとなく、こう始めて、こう終わる、という形式に、型がある。
全ての大道芸人が「良質な古典の模倣」という意識でやっているかどうかは、知らないけれど。

ジャグリングそのものでは「技」という最小単位に古典が集約されていくのかもしれない。
ミルズメス、アルバート、レインボー、台南ジェノサイドetc…。
元祖の人間や集団は、技の呼称や文献にわずかに名前を残したりなどするのみである。

メソッドとしてのもの、たとえばピアノでいうエチュードのような「一連の流れ」にまで昇華したものがあったら便利なんじゃないかと思う。
そういえば昔竜半さんら黎明期の日本のジャグラーが、インターネット上でそういうコンセプトのルーティーンを作ろうとしていたような記憶がある。

ジャグリングにおける羨望の対象が「形式美」ではないから、模倣が流行らないということもできるのかもしれない。定番には重きを置かず、革新性を求めていくことの方が重視される。個性が尊重される。

音楽とパフォーミング・アーツの本質的な違いにもっと大きな理由があるような気もしますが、とりあえずそんなことを思います。
深く熟考した末の文章でもないので単なる議論の端緒にすぎないことをとりあえず明記しておきます。
書いていたらあっという間にコーヒーがなくなってしまった。

文=青木直哉

第46・47回「イギリスのジャグリングの大会BJCについての記憶を手繰り寄せてみると」

BJCは、キャンプを初めてジャグリングコンベンションで体験した初めてのことだったなあ、と今になって思い出す。
それでとんでもなくわくわくしたことも思い出せる。

BJCは、ブリティッシュ・ジャグリング・コンベンション、つまりイギリスのコンベンションのことで、年に一回、今年も4月に開かれる。
私が行った時はサセックス、ロンドンから少し南に行ったところ、サウスエンドというところで開催であった。

アイルランドに行って、ちょっと観光をしてから(ついでにホステルでパソコンを盗まれてから)、船でイングランド側に渡って、ロンドンを4時間だけ(その割に友人にたまたま会えたり、キングズクロス駅を見たり、充実していたけれど)観光してから大会に向かった。

別に友達がいたのでもなく、一人で向かったのだった。
英語もまぁ大会に行くくらいで不自由したことはないし、いきゃあなんとかなるだろうと思って行ったのである。

そういえばイギリスを訪れた時は、なんだか不思議な心地がしたような気がする。
フランス、ポーランド、デンマークなど、小さい頃には印象がとりたててなかった国々と比べて、イギリス、という国にはハリー・ポッターの影響などもあって、何か親しみがあった。それが原因かはわからないが。

英語が通じるというのも大きいのである。
なまじイタリアにずっといただけに英語がすんなり通じるのが、というか看板から何まで英語で書いてあるのが却って不自然にも思えた。

ただ実際コンベンションに着いてみると、見事に聞き取れない英語が飛び交っていたな。特に、スコットランドの人、ウェールズの人の英語。

よく言われるところではあるけれども非常にクセのある(まぁ当人たちにとってはそれがまさしく英語なんであるだろうが)言葉をしゃべるので、 これは果たして本当に英語なのだろうか、と思うことさえあった。
日本人は、アメリカの英語で教えられているんだということを強く思ったな。

結局一番仲良くなったのは、シンガポール人のゼンハオと、その仲間達、韓国人のインホンと、アイルランド人コーマック、オランダ人のトムと、香港人のアンジェラ、といういま気づいたけれども、私を含めて全員国籍の違うグループであった。
彼らは同じインペリアルカレッジの学生だったのだ。

彼らとの出会いは本当にたまたまであった。
駅から会場に向う途中で、向こうから声をかけてきたのである。はじめ、ゼンハオは日本人かと思ったので、思わず「あ、日本人の方ですか」と聞いてしまった。

普段は別に日本人だからという理由で旅先の人と仲良くすることはないのだが、BJCに来るぐらいの日本人ならば、仲良くなってみようかな、という気でいたのだと思う。

結局日本語の通じる人はおらず、インホンも「腹減ったー」とは言えたが、日本語を完璧に話せるわけではなかったので、英語で通していくことになった。(唯一、ニコラスという完全なイギリス人かと思いきや日本語ペラペラの青年ならいたが)

最近読んだ伊丹十三のエッセイで、外国人について述べた箇所があり、「わたくしにとって、彼らは、一個の人格である以前に、外国語そのものであるように思われる」と言っていた。
これには膝を打った。

BJCそのものは、初めて行く大きな大会だけあって始終興奮しっぱなしであった。
その年は結局、ブリアンツァコンベンション、NJC、FDC、EJCと、泊りがけでいくコンベンションにいくつも行った。

確かにこの最中ずっと楽しんでいたのは、(EJCはそうでもないけれど)外国語と触れながらジャグリングをする、ということであった。
これは、なんだか、自分の、核のようだね。

 

BJC2012

BJCで仲良くなった人たち。 左からトム(オランダ)、青木(日本)、インホン(韓国)、ゼンハオ(シンガポール)、コーマック(アイルランド)、アンジェラ(香港)。

文=青木直哉

第45回「マーヴィンのこと」

文=青木直哉

マレーシア出身、アメリカ在住のマニピュレーター、マーヴィンが、「ジャグラーの孤独(アイソレーション)」と称して熱心なジャグラーの悲哀(と呼んでいいかはわかりませんが)を投稿している。
http://objectepisodes.com/t/jugglers-isolation/262

マーヴィンは好きなことを見つけるともう一直線に熱中してしまう「熱中症」持ちの人のようで、特にこの4年間、ジャグリングにすっかり入れ込んでいる。一日3〜7時間は「最低」室内で練習している、という。
マーヴィンは本当に上手い。

マーヴィン、「練習」の哲学について語る動画。

そもそも圧倒的に上手い人というのはやっぱり圧倒的に練習している人であって、(当たり前なんですが)昨年JJFに来ていたトニー・ペッツォのインタビューでも、彼は1日最低3、4時間は練習するかな、と言っていました。

投稿では、同じ仲間のスピナー、ジャグラーと一緒に練習をしていると、それはそれで楽しいのだけど、やっぱり一人で、生産的な練習をしたいな、という欲も芽生えてきてしまうのである、こういうことってありますよね、と書く。

特にこの投稿の中では、「刺激と上達へのハンガァ(空腹)」というタームが気にいった。なるほど、自分の練習への欲を「空腹」というように喩えると、しっくりくる気がする。それを満たすのは、至極自然なことのように思えてくる。

マーヴィンといえば、話題と関係がないが、クラブやポイのマニピュレーションはとんでもなく上手いのに、皿を回させたら2時間経っても全然回せずに、ぼとぼと落としていて、(落とすんだ、と思った)みんなで面白がって応援した、というエピソードを思い出します。

コンスタントに、もう職業として専門的に、規則的に、一人で籠って黙々と追究し続けるというあたり、村上春樹も思い出す。

第44回「フランシス・ブラン」

久しぶりにオブジェクト・エピソードを見ていた。
http://objectepisodes.com

ところで一時期FacebookページJuggling Rockを賑わせていた、ワールドレコードを立て続けに宣言し続けた、イタリア人のウィリー・コロンバイオーニさんという人がいる。

彼のビデオのクラブバランスはフェイクなんじゃないか、というスレッドがあり、そこで偶然、エリック・オーベリがフランシス・ブランの妹のビデオをシェアしていた。

伝説のジャグラー、フランシス・ブランの妹ロッティ・ブラン。
http://juggling.tv/506

フランシス・ブランは、この人。

恥ずかしながらフランシス・ブランに妹がいたことも知らず結構驚いた。手元の”Virtuosos of Juggling”を紐解いてみたら、晩年(2001年)には、フラメンコの監督、振り付けも担当したこと、彼の父親はドイツ人の飛び込みのチャンピオンだったことなど、面白い事実を知った。

フランシス・ブランは、このアントニオ・ルイスというダンサーに憧れていたとある。
https://en.wikipedia.org/wiki/Antonio_(dancer)
実際、ビデオを見る限り彼の動きにはフラメンコの動きが多いに取り入れられている。

今日のジャグリングのように毎日100本新しいビデオが出てくるような状況ではなくて、映像資料が限られていることが逆に魅力で、フランシス・ブランなどの本当に職能的な、ソリッドなクラシックジャグリングに最近関心があります。

文=青木直哉

第43回「焦らなくていい」

昨日ジェイが発表した動画。
ジェイは、今年で39歳。「30年ジャグリングをしています」と言う。

自分があと20年後に、「僕は今年で44歳だけど、30年ジャグリングをしていることになります」と言っていることを想像してみると、30年ジャグリングを続けるということのスケールが分かる。

もちろんただジャグリングしていればいいというのでもないが、長いことジャグリングをしている人を見るたびにそれだけで尊敬の念が湧いてくるのも事実である。ただ単に「飽きなかった」というだけのことかもしれないが、同じことにこう何年も飽きないでいられるのは、それだけでも素晴らしい。

短期の目標を積み重ねて、長期的に飛躍ができることは言うまでもないのだけど、一方で「今!!明日までに!!明後日までに!!」と、真剣に悩む必要もないのかもしれない、という気がしてくる。

「若いうちに」くらいの長さの目標を持つのはなんとなく妥当な感じがするけど、あまり目先だけの目標にとらわれすぎずに、時々、たぶん、月に一回くらい、「30年後の自分」について考えるのも悪くない。
これは、ジャグリングでなくても、語学でも、他のスポーツでも、なんでも言えるだろう。

そう思うと、自然と、ローギアではあるけれどエンジンがかかってくる。
長期的な未来の自分の姿を描いた像の中に、目標が見出せるようになってくる。

ジェイは2月18日が誕生日。もう少しで39歳です。

文=青木直哉

第40回「PONTEのサイズが変わるかもしれません」

着々と準備を進めている次回の号。今日は、いつもとは違うサイズで試し刷りをするための原稿を入稿しました。
なかなか、いいんじゃないかと思っている。

本のよさは、その持った時の感触に80%くらいがかかっているんじゃないかと思う。ものとして持っていたいかどうか。しばらく図書館で本を借りる生活をしていたけれど、最近また新刊本をぼつぼつ買うようになった。文庫本、いいよなぁ、と思う。この小ささに、すべてが詰まっている感じがいい。

そういう意味では、私は辞書がとても好きである。
「辞書っていいよね」と、「寝るのっていいよね」と同じくらい当然のごとく同意を得られると思って留学中相部屋の友達に訊いたら、固まられてしまったくらい、無自覚に好きです。

辞書はいい。教室などで一番よく使われているサイズの、あのハンディな辞書が好きです。
けど好きな理由はうまく言えない。
すべてが詰まっている感じも、ページを繰る時の質感も好きだけど、それだけではない。
好きな理由がうまく言えないということは、本当に好きなんだと思う。

作るなら、自分が一番愛せる形で作りたいよね、ということで、最近の自分自身の嗜好に合わせてまずはPONTEのサイズを変える気でいます。
内容についても、いろいろと試行錯誤中です。
手にとってすぐに「あっ、これはいい」と直感してもらえるような雑誌を作っています。

文=青木直哉

【PONTEインタビュー】『TROPE3.0』モノクロームサーカス・渡邉尚インタビュー(JP)

IMG_1732

(写真)『TROPE3.0』に出演される渡邉尚さん

脚がない机を想像してみる。
それはただの板だ。
一方で、限りなく「脚の短い」机なのだ、と言い張ることもできる。
ほかに何か支えになるものがあれば立派な机になる。
そんな「ちょっとおかしな家具」が実際にあるとしたら。

並の人よりも優れた身体性を持ったダンサーたちが
実際にそのような家具を使って様々な可能性を試す
「家具と身体の問答(公式ページより)」が
今年3月に新宿で見られる。

Monochrome circus(モノクロームサーカス)は
京都を拠点に1990年から活動しているコンテンポラリーダンスカンパニー。
2016年3月に行われる作品『TROPE3.0』に
先年末のジャグリング公演『MONOLITH』で『逆さの樹』を披露した渡邉尚も出演する。

「TROPEはgrafという大阪のデザイン事務所のブランドライン名。
脚のない机、登れないはしご、よくわからないかばん、使い方が明確じゃない家具が揃っている。
『TROPE3.0』では、動物的な意味も含めてその家具への接し方を探ります。
アプローチとしては『逆さの樹』と重なる部分も多々ありますね」

と渡邉さんは語った。
grafのホームページ、TROPEの説明では、

あらかじめ決められた用途や役割を与えられていないこれらの道具たち。
(中略)TROPEは、使いこなしながら新しい感覚を育んでゆくラインナップです。

出典:http://graf-d3.com/products/trope
とある。

「自分で使い方を考える」というのが、TROPEのひとつのテーマなのである。

渡邉さんは、

「アクロバティックなもの、テクニカルな妙技を期待する向きには合わないかもしれない。
けど、一度でも『ものとの接し方』について考えたことのあるジャグラーならば
きっと面白いはずです」

と自信を持って語った。
また、

「『TROPE』は、アフォーダンス(註:環境が動物全般に対して与える「用途」「使い方」)についての作品でもあります」

と言う。

家具のみならず、人間が使うもの、ひいてはジャグリング道具も
決して例外ではなく扱える「アフォーダンス」の概念は
ジャグラーにもおおいに関係のあるテーマだ。
ジャグリングボールはただの球。アフォーダンスが明示されていない。
クラブは『ここが持つところです』という風に、アフォーダンスが明示されている。
ディアボロならば、それは回すことに適したようにアフォーダンスが示されている。

『TROPE』は過去二回の公演でも、デザインの方面からの評価がとても高かったという。

「今まではダンス、デザイン、建築、アートなどの分野から見られていましたが
新たにたくさんのジャグラーが興味を持ってくれたら、とても嬉しいですね」

渡邉さんは笑顔でこの公演を薦めてくれました。

チケット予約は記事公開現在受付中。
普段は京都で活動する彼らが東京に来るこの機会に
ぜひとも「身体と家具の物語を紡ぎだす実験的な時間(公式ページより)」
を体験したい。

【公演情報】

2016 年 3 月 16 日(水)~21 日(月・祝)
全8回公演
@ P3 art and environment(新宿)
(渡邉尚さんが出る回は限られていますので、予約前に公式ページでご確認ください。)
公式詳細はこちら 
公演『TROPE3.0』ページ
http://monochromecircus.com/current-production/

Monochrome circus(モノクロームサーカス)
京都を拠点に活躍するコンテンポラリーダンス・カンパニー。
1990年に設立。主宰坂本公成。
「身体をめぐる/との対話」をテーマに国内外で活躍。これまでに作品は海外18カ国で紹介されている。
モノクロームサーカス公式ページ
http://monochromecircus.com

 

文・構成=青木直哉


渡邉尚さんの『逆さの樹』について、また彼のジャグリング哲学が貴重な長文で収められたPONTE秋号。

PONTE最新号、発売中です。

第39回「EJCのプレ・レジストレーションが2月8日に始まります」

http://www.ejc2016.org
EJC2016のチケットが2月8日から発売開始です。

EJCのチケットは早く予約すればするほど安くなります。
3月31日までは€127,50。4月1日から€150,00、6月1日から€170,00。
今1ユーロは130円なので、16575円、19500円、22100円です。
最終的に5500円ちょっとの差。ふむ。

あまりいないとは思いますが、1日だけの参加だと、1日につき40€です。つまり5200円くらいか。

EJCのチケットには入場からキャンプ場利用料、ショーまで全てが含まれていて、一度買ってしまえばあとはそれで終わりです。
中で必要になるお金は、飲食代、ショップでの買い物代くらい。

飛行機のチケットを調べてみたら、東京-アムステルダム間で、乗り換えありの最安値で8万円前後でした。
場合によっては6万円くらいがぽろっと出てきたりもするんですが、まぁこれからはどんどん値段が上がっていくと考えた方がいいでしょう。

サイトを見ていたら、アムステルダムのスキポール空港からEJCにいく直行のバスが出るそう。30分から40分で着くとのこと。わお。近いな。オンラインで予約もできるようです。

EJCは7月30日から8月7日です。
アムステルダムで会いましょう。

文=青木直哉

【PONTEレポート】2016年1月31日(日) AAPA公演『浮舟』感想 (JP)

文・写真=青木直哉
IMG_4888

ぎりぎりの時間に会場に入ると、既に一人の細身の男性(佐々木隼人さん)がチェロを穏やかに、音楽として、というよりは環境音のようにして弾いている。

会場となっているのは、団地一階の空洞をギャラリーのような空間にしたところ。
壁は表面がやや荒くて白い。
純粋な白、というより、布のキャンバスとしての白のような、ほんの少しだけ立体的な質感を感じるもの。
床は灰色のリノリウム(かどうかは分からないが、少なくともそのようなもの)。
明かりは少し褐色で、その中に椅子があり、その上にチェロ弾きがいる。

しばらくするとAAPA代表上本さんが諸注意を述べた後、おもむろに劇中の役となり、本棚に入れてある本を適当にめくりながら、チェロを弾いている男性(薫と名付けられている)と、話をし始める。
その内容は、チェロを弾く男性の来歴。
幼いころチェロをやっていたこと、チェロをなぜやめたのか、なぜ再開したのか。
印象的なのは、その際の上本さんの演技。
「まぁ、どっちでもいいんだけど」という体で話すのだが、自然に耳を傾けられる。
「いや、だから誰に?」など、きつい調子で言葉を発せられると、居心地の悪さというよりは、はっきりとした上本さんの存在を、フラットに強く感じる。

会話を終え上本さんが出て行くと、小柄で黒髪の落ち着いた雰囲気を持った女性(永井美里さん)が入れ違いのように出てくる。
男性のチェロに合わせてダンスをする。手にはペットボトルがあり、中には水が半分ほど入っている。
その水が時折立てる音、流体の質感が、女性のダンスを支持している。
場面のバランスが丁度よい。

ダンスだけを見るのは、疲れる時がある。
それは、人を見ることに他ならないからである。
言葉にはならないけれど、観客と演者との間にコミュニケーションがあるのだと思う。
その分、感情はより多く伝わってくる。
しかし、水の入ったペットボトルなど、「擬似的な生命体のように動くモノ」がそこに部分として添えられると、一気に見やすくなる。
ダンスが優れていることは前提だが、そのダンスが「質感」として捉えやすくなるのである。
簡単に言えば、「粘着質に動いてる感じ」とか、「ふわふわ浮いてるみたいな感じ」とかそういう類のこと。

水に影響される身体とか、投げられたジャグリングのリングやボールに呼応する二人の身体は(たとえあくまで「呼応しているように演じられている」踊りであるとしても)その美しいモノの軌道との領域を曖昧にする。
人間の身体と非生命体を不可分にしていくようなところがある。

時折何か寓意的なものも時々感じ取りはしたから、この公演の全てが動きの質感に捧げられているというわけではない。
袋からコップに入れた水を出すところなんて、生命の誕生を見ているようだったし、そう思うとその前のリングとペットボトルを使った踊りはまさしく夫婦の営みを見ているようだ。

しかし一番印象的だったのは、ダンスがモノによって、より強く補完されているという気づきであった。
ジャグリングも、あくまで場面全体の構成の一要素として、支持するためのものに極力徹していたところがよかった。
佐々木さんがソロでジャグリングを披露するところもあるのだが、そこだけ若干違和感がある。
しかし永井さんが佐々木さんの前に出てきてダンスを始め、更に二人の動きとジャグリングの質感がシンクロし始めた時など、ジャグリングが理想的な形で背景化している、と思った。

ここからはジャグリングの話。

ディアボロをやっていても思うのですが、ディアボロの数が2つ以上になると、途端に身体のムーブメントに沿った動きができなくなります。もっともディアボロがひとつであっても、よっぽど意識しなければそれを純粋な「モノ」としては扱いづらい。複数個になると、輪をかけて「ディアボロとスティック自体の動きを見せる」ようになっていきます。
「技をどれだけ多く鮮やかにできるかな!?」という感じになっちゃう。
それが歯がゆいので、私はひとつのディアボロを扱うのが好きです。
自分の身体の方に余地が残されている気がするから。

もしたとえばジャグリングボールの動きに自分を合わせていくとなると、その形はもちろん山村佑理のような形になったり(彼らは彼らなりの哲学でやっているので、ことはそんなに単純ではないですが)渡邉尚のようになったりする。

今回のような、一枚のリングの動きと、それを捕まえる佐々木さんの動き、さらにそれを永井さんが身体だけで追っていく動き、その3重構造にするような手法も可能である、というのが、新鮮な発見でした。
「ジャグリングを背景化」するには、工夫が必要である。
カスケードの状態になっているだけでも、もう既にコンテクストが付与されてしまっているから。
つまり、大多数の人にとって、新鮮なあるがままの質感を捉えづらい。
ジャグラーならもちろんのこと、ジャグラーでなくても、「大道芸っぽいな」とか、別の「ジャグリングっぽい文脈」を無意識に想起しちゃうんですね、きっと。
だから目立ちすぎてしまう。
そこをなんとかするには、やっぱり、ジャグリングをもっとプリミティブな状態にするとか、(たとえばただ一枚だけのリングをわかりやすいように動かすとか)もし3個ボールを投げたいのなら、それと同じくらいか、より強い強度を持ったものを前景として持ってくるとか、そういう工夫が必要になってくるのだ…

という、あくまで仮説を立てるきっかけとなりました。

それが本当かどうか判断するには、もっと実例が必要かな。

とてもいい公演でした。

IMG_4886
終演後、主演のお二人と。左が永井美里(ながいみのり)さん、右が佐々木隼人(ささきはやと)さんです。

AAPAのブログ、公式の詳細はこちら
http://minori.aapa.jp/2015/12/13031aapa.html

 

PONTE最新号発売中です。

文・写真=青木直哉