月別: 2015年12月

第32回「ジャズのセッション」

へい、復活です。 なんとなく昔友達に紹介してもらったアーティスト(swindleという)のライブ動画を漁っていたら、音楽の途中でセッションが入るんですよね。そのセッションがむちゃくちゃ楽しそう。更にそのセッションを見ていて、これをジャグリングでやりたいな、と思った話。 あっ、ちなみに、これです。(27:00-) この曲自体は、Swindleの『Do the Jazz』という曲で、私のお気に入りです。

はっきり言って、ジャグリングでセッションをしよう、と思った時に、何を参考にしていいか非常に迷う。端的に、何をしたらいいのかわからない。 けど、これを見ていて、こう、セッションのひとつの形として、相手の様子を伺いつつ、合わせて一緒にやる、という感じがよくわかった。 ダンサーが「セッション」って言われたら、きっとぱっとわかるんだろうな、と思う。ジャズミュージシャンが「セッション」と言われても、よくわかるんだろうな、と思う。 けど、結構、ジャグリングを今までやってきて、「セッション」という概念を持たずに育ってきたなあと思う。 ここでこの動画を見て欲しいのですが、これこそがもしかして本当の「セッションの姿」なんじゃないか、とか思うのです。 じゃれあいって、この緊張感といい、相手の態勢を伺う感じといい、ぴったりですよね。

私も今のところ一体何をしたらいいのかわからないんだけど、ジャグリング・じゃれあい・セッション(JJS)なんだと思うとなんとなく、気軽に、バトルを始められるような気がするんですよ。 あ、じゃれあいなんだ、って。 ジャグリングで、「よう、お前よう」という感じなんだなと思った。 そう思うと、主たる目的は、「俺と/私とジャグリングで遊ぼうぜ」というのが主眼なわけで、正直、「勝ち方」だとか、「これはジャグリングかどうか」とか、どうでもいいな、という気がしてきますね。 今度じゃれあえそうな人がいたら、ジャグリングでじゃれあってみよう。

2015年12 月からの決済方法についてのお知らせ

PONTEが使用しているサービスの仕様変更に伴い、銀行振込の振込先が変更されております。

これまで

銀行 ジャパンネット銀行
支店 すずめ支店 (002)
口座名義 アオキナオヤ
口座番号 普通 7351788

2015年12月1日以降
銀行 三井住友銀行 (0009)
支店 アオイ支店 (969)
口座名義 ベイス(カ
口座番号 普通 1069607

従来、銀行振込を選択された場合、商品が届いてからのお振込をお願いしていましたが、
お客様の振込を確認してからの発送となりました。
また、新しくコンビニ決済が選択できるようになっておりますので、そちらもご利用下さい。
ご不便をおかけする点もあるかと思いますが、よろしくお願いいたします。

目次ポンテ君

PONTE STORE

PONTE2015年冬号

お待たせいたしました。

PONTE2015年冬号の発売です。
今回は2015年10月に福島で行われたJJF2015を特に扱っています。
くるくるシルクDX金井ケイスケさんのインタビュー、Anni Küpper論、Tony Pezzo論、理事会の黒瀬さんへのインタビュー。濃い内容です。
年越しとお正月の、こたつのお供に一冊、どうぞ。
年末年始も休まず発送しております。
※銀行振込の宛先と発送の順序の変更、またコンビニ決済が可能になりました。詳しくはこちら

2015年冬号宣伝用表紙 表紙のみ

2015年冬号宣伝用表紙 裏表紙のみ(クリックで拡大)

PONTE 2015年秋号(全50ページ)

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【特集】
【JJF2015を終えて】
サーカスという逃げ道 /金井ケイスケの哲学
Anni Küpperの魅力 ゆらぎとあわいの身体性 / 坂部認
道具が身体になる トニーはむちゃくちゃうまい / 青木直哉
JJFを支える、理事会の今 理事会黒瀬さんにJJFの今を聞く。
【サブ特集 頭と口】
文明なきジャグリング/ 青木直哉
Message from Stefan Sing to Hisashi/ ステファン・シング
【連載】
そいそいのピザ雑記/そいそい
focusの被写体深度/関矢昌宏
うさもみのおうち/うさぎのもみじ
【新連載】
メディカルジャグリングラボ/まさやん
デビステのてんぷら/きんまめ
PONTE イベントレポート Isaac(うさぎさんソロ公演)
ジャグリングがつなげるもの/あおきなおや
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第31回「頭と口リハーサルを観て 身体を使った描きかたのこと」

http://atamatokuchi.com

山村佑理と、渡邉尚。しばらくこの二人を見守ってきて、なんだかこの人たちのことばっかり言っている。実際、そうやって言わせたくなる力がある。
昨日初めて作品を生で観て、改めて衝撃を受けた。この二人の実力は知っていたと思っていたが。

ジャグリングの中では今「作品の作り方」が一定である。
「よし、ジャグリングで何かしよう」と思ったら、まず大体の人が、曲を決める、そして「技」を決める、そういう流れがある。暗黙で了解された慣行がある。しかしそのアプローチに変化をつける動きがもっとあってもいいんだ、と思った。

京都で活動するジャグリングユニットピントクル、丹哲郎、など、果敢に他のアプローチでジャグリングを解釈するような人たちもいる。こういう人たちの活動がもっと注目されてもいいよな、と思った。
こういう人たちが群雄割拠して欲しいな、と思った。

この劇団アカレンガのように、たとえばミュージカルの文脈の中にジャグリングを入れる、というようなこともある。それは既存の「作品の作り方」の範疇にジャグリングを取り入れているだけでもあるが、もちろん、新しいことでもある。
http://www15.plala.or.jp/ACALENGA/

身体を使って「描きたい。」のひとつの形としてのジャグリング、というものが垣間見えた。
そうなるともはや、果たして彼らのやることをジャグリングと呼ぶ必要はないんじゃないかと思った。
あれ、ジャグリングじゃないじゃん、と思う。

そして実際、それでいいのである。

「ジャグリング」という言葉で指し示してきたものは、物を器用に投げる、というようなことでしかなかった。だから「ジャグリング」という言葉で括ろうとするとおかしなことになってしまうのだろう。
そうじゃなくて、ジャグリングをきっかけとして始まった、新しい「描き方」と捉える。

そうか、だから彼らは、「新しい何か」というような言い方をしていたんだな、と、今になって納得がいった。
https://www.youtube.com/watch?v=RQ3HE1qX6Ic

新しい描きかたをするのは大変だ。
自分で、画材から何から全部調達しなければならないからである。
今まで漫画の文化があった中でそれに追随して漫画を描く、中の話の筋だけ変える、というのとわけが違う。
まず「何を描くのか」、次に「どういう風に描くのか」全部自分で決めるのである。

しかし同時にそれは本当に挑戦しがいのあることでもある、とリハーサルを見て思った。血の滲むような努力を重ねた結果得た「自分だけのモチベーションとアプローチ」に裏打ちされた成果物は、教本とインターネットを片手に習得した「演技」とは全く違った、フレッシュな美味しい果実である。

第30回「Forceの力」

戻ってきました。まだ余韻に浸っています。
英語で、何かを強制させる、という意味で「Force smb to do 」という表現がありますね。その、Force(フォース)、すなわち、どういう気分でもいいからとにかくやる、ということについてです。

といっても他人に言われてやるということの方ではなくて、自分で自分に何かをやらせることについて。
自分が何かを「やりたくなる」っていうのは不思議だなぁと思う。
と同時に、やりたくないなあ、というのもいろいろ理由があって、ひとくくりにできない感じがある。

そのひとつには、「誰かに何かを思われる」ということがある。
平たく言えば、評価が気になって前に進めない時、というのがある。
自分でもそういうことはよくある。
雑誌作って印刷して売ったりしていると、しょっちゅうある。

でも、結局前に進むしかないんだよね。
何か躍進したいと思ったら、なんというか、前に進んで失敗したことを、また前に進んでかき消すしかないんじゃないかと思うんである。
なぜなら、結果は自分の手ではどうしようもないからである。
前に進むのは怖いんだけど。

なんだか最近、誰にもインストラクターなんて本質的にはいないんだ、と思っている。
誰かに導いて欲しいなー、としょっちゅう思うよね。その方が楽だし、間違いがなさそうだから。でも実際は、「しっかりした自分を持った人」が、「しっかりとしたことやる」だけなんじゃないかと思うのである。

だから自分に「やらせる」、自分にフォースする、フォースを使うしかないんじゃないかと、思うんである。

いやはや。

書くジャグリングの雑誌:PONTE最新号、もうすぐ発売。

第28回「最近、元気ありますか?」

僕はそこそこ元気です。
元気がないときは、なんだか、元気がない。
とにかく、元気がないのである。
僕もたまに元気なくなります。
元気って、なくなるよね。

創作のためのモチベーションがなくなることもよくある。
それはどんなものづくりすとでも同じことだと思う。
ものを作るには、強い憧れが必要である。
同時に、何かを「やろう!!やってやろう!!」と思うにも、動機付けが必要だ。

動機付けの方法は様々にあると思いますが、やっぱり根本的には、「圧倒的な存在を見る」ということだと思います。今あることに関してすごくモチベーションが上がっているのですが、それはまさしく圧倒的な存在をいくつも見たからです。そして、そういう憧れを持つと、とにかく猪突猛進になる。

そこが大事だな、と思います。
そして、猪突猛進になると元気が出る。
次への活力は、「憧れ」から生まれます。今、すごくよくわかった。(どうせそのうち忘れるんだけど)

最近元気ないんだよね、と思う人は、自分が好きなジャンルの、ジャグリングでもダンスでも言葉でも建築でも漫画でも釣りでも礼儀作法でも、とにかく、「自分もこうなりたい!こんなことができるようになりたい!」というものを見つけるのがいいんじゃないかと思います。私は、それでした。

元気出していきましょう。

書くジャグリング専門雑誌、PONTEもよければよろしくお願いします。
http://jugglingponte.com

第23回 「全体性の回復としてギヨームを見てみる」

昨日見たギヨームの動画がまた頭に残っている。
実に素晴らしかった。
ここで、電車に乗るのに駅まで歩いていて、エスカレーターに乗った瞬間にふと「そうか、全体性の回復を志向するのはいいな」と思った。
どういうことか。

「全体性の回復」というのは茂木健一郎氏が「癒し」について定義をするのに使っていた言葉で、たとえば仕事でデスクワークで頭ばかり使っている人は、休日には運動でもしたほうがかえってだらだら休むより「癒される」し、逆もまた然りである、というような、そういう話の中で出てくる。

ギヨームのディアボロの演技は、まさに「全体性の回復」を志向しているなあと思った。みんなが3ディアボロや、複雑な動きのインテグラルを習得しようとする中で、シンプルに、一個のディアボロと、身体と、その位置関係と、動きの緩急を使ってバリエーションを生み出している。癒される。

https://www.youtube.com/watch?v=wz7wCW5qanE … この動画の1:51~の高紅星(カオ・ホンシン)のアクロバットもそうだが、彼らが見せるものはディアボロの世界に欠けていたものである。
それが、ディアボロのコリをほぐすのだと思う。

だからなんだか、ギヨームのビデオは、とてもエキサイティングであるのだが、同時に「癒し」、今までの凝り固まった自分の視野への目薬であるように私には思えるのである。