カテゴリー: ジャグリングがつなげるもの

ジャグリングがつなげるもの 特別編 ジェイ・ギリガンに会いに。(5)

2016年7月4日発売『書くジャグリングの雑誌:PONTE』第12号では、編集長自らがニュージーランドへ行き取材をしてきた様子を掲載しました。その全編を毎週水曜日、8月3日まで全5回でWebに連載。

お楽しみください。

(2016年7月4日発売『書くジャグリングの雑誌:PONTE』第12号より転載)

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ジャグリングがつなげるもの 特別編 ジェイ・ギリガンに会いに。(5)

ガラショー本番

日が暮れ始めて、ガラショーの時間が来た。こちらに来るまでこんなことになるとは思っていなかったので、とりあえずたまたま持ってきていた、普段使っている演技の曲を渡して、急いで準備をした。衣装もなかったからあり合わせの中で一番まともに見えそうな服を着るしかなかった。
楽屋に置いてあったコリンが作ったピッツァを頬張って本番に備える。舞台裏にはガラショーに出る人たち全員が待機していた。自分の番を待っている間、日系ニュージーランド人のリサと仲良くなった。私と同年代の彼女は、生まれも育ちもずっとニュージーランドだが、両親が日本からいらした人たちであるので日本語も上手く話せる。会場では度々見かけていたし、インターネットでもいくつかビデオを観たことがあったものの、それまで一度も話さなかった。だが緊張感を共にしていたこともあってか、舞台裏では気がついたら会話が始まっていて、何日かぶりの日本語で気を紛らわすことができた。
若者2人の愉快なMCを交えて進むガラショー。コメディ調のもの、正統派ジャグリング、そしてマジックなど、ちょうどよいバランスで並んでいた。気がついたら自分の番が来ていた。始まってみればあっという間であった。演じ終わるとちょうど中休みの時間になったので、舞台から降りて観客席に混じってショーを観に行った。
大喝采で全ての演目が終わると、いよいよDJタイムが始まる。あたりはすっかり暗くなっていた。
もう一度舞台に上がって、出演者のみんなとビールを飲みながらガラショーのポスターにサインをすることになった。するとジェイが近づいてきて、「俺はナオヤの演技、たぶん一番好きだったよ」と言ってくれた。

たくさんの人が踊り狂っていた。ヒッピー風の人たちの騒ぎようは生半可ではない。あと一時間したら世界が終わるのか、というぐらい全力で踊っていた。DJの隣で虹色のシャツにベレー帽をかぶった白髪のおじいさんが、サックスを吹いてセッションをしている。手持ち花火を数人が持って、駆け回っている。遠巻きに見る人たちは、ショーの感想を語ったりしながら笑っている。私はビール片手に、時々踊りに加わったり、椅子に座って他の人と話したりしていた。コリンは私の演技を見て、すごく誇りに思った、と言ってくれた。とても幸せな気分だった。

 

ジャグリングオリンピック

3日目。クリスティーンが「あなたもったいないわよ」と、ことさらに低い声で言うので、一緒にウォータースライダーに行った。ベルギー人の青年アスターもついてきた。何度も何度も滑っていると、確かに気持ちが良かったし、もはや自分がどこで一体何をしているのかわからなくなってきた。途中から空が曇ってきて、滑り終える頃には寒くなってしまった。
スライダーから戻ると、ジャグリングオリンピックが始まっていた。ジャグリングやアクロバットを使ったゲームが行われるイベントだ。ジャグリング耐久戦に始まり、逆立ち耐久戦、バランス耐久戦、四つん這いの人に乗って進むヒューマンサーフィンレース、主催者のサムにフープを投げ入れる輪投げ競争など、面白いゲームが盛りだくさん。勝った人は、きちんとしたメダルがもらえる。準優勝の人も、(なぜか)フォーチュンクッキーを受け取ることができて、特典として中身をメガホンで読んでもらえる。
明るい芝生で、日照りが強い中延々と競技が続き、顔中真っ赤になってしまった。私は結局、何も勝てなかった。だが、前日新しいディアボロを買ったコリンとディアボロ・ロングパスに出ることを約束していたから、一緒にチームを組んでディアボロを飛ばしあった。正直なところ、コリンは上手いとは言い難かった。だがゲームを終えて、がははは、と笑いながら肩を思い切り抱いてきて、一緒に出てくれてありがとう、と言ってくれたのは、何よりも嬉しいものであった。

 

ワークショップをする

3日目の予定がほぼ終わるころ、主催者のサムが声をかけてきた。
「ナオ、ガラショーに出てくれたから、これに加えてワークショップをやってくれれば入場料はタダにしてあげられるよ」
つまり他のアーティストたちと同じ扱いにしてもらえるということだ。願ってもない提案である。それで、ディアボロのワークショップをすることにした。
トビアスという20歳くらいの青年が、特に熱心に一緒にディアボロをやりたがってくれたので、オリンピックが終わるとすぐに場所を移動してワークショップを始めた。
「ニュージーランドにはそもそもディアボリストが少ないからさ」
とトビアスは笑った。初心者に教えることはあっても、同じレベルで交流する機会がなかなかないのだそうだ。クリスティーンもあとから来て、三人で技に挑戦したり面白いアイデアを見つけたりした。

あっという間に夕暮れになった。ワークショップを終えてクリスティーンが、「温水プールに行こうかな」と言った。やれやれ、またか。トビアスは、車の免許の制限があって、夜10時までしか運転ができないから、というので、残念そうな顔をしていたが、ハグをして、帰って行った。
私とクリスティーンは、すっかり日が暮れた後で、温水プールに向かった。ジェイがジャグリングをしたところだ。中に入ると、もうすっかり人はいなくなっていて、プールに入っているのは私たちの他に2人だけだった。照明も消されていて、吹き抜けの天井から夕陽のオレンジだけが降り注いでいた。
中にいた2人のほかのジャグラーが、もう間もなくクローズだぜ、と言った。係員が来て締め出されるまで、広々としたプールをゆらゆらと泳いだ。

 

終わりの風景

プールから上がると、人はすっかり減っていた。そして空にもうっすらと星が見え始めていた。これにはとても驚いたのだが、プールに行くまであんなににぎやかだったはずの会場には、もう数えられるほどしか参加者がいなかった。次の日が平日であることもあって、皆早めに帰ってしまったようだ。
ファイヤースペースも開放されていたが、ゆったりとファイヤーポイを回すフランス人以外は誰も火を灯しておらず、ただただ4、5人がぽつりぽつりとそれを眺めているだけであった。
本当に、静かだった。小さい頃に、大人が祭りの片付けをしている時に感じたような、穴の空いた茫洋感を思い出した。一瞬にして共同体のあった世界が「ただの場所」になるとき。とても静かで、寝そべると星が満天に見えた。すごく疲れていたので誰とも話す気力もなく、瓶ビールを飲みながら夜空を見ていた。
するとまたクリスティーンがほいほいとやって来て「なんだか、寂しいねえ」と、やっぱり低い声で言った。
本当はその後に2回目のレネゲードショーがあったのだけど、疲れ切っていたので、歯を磨いてテントに戻って、そのまま横になってしまった。

 

行って、帰って来る

次の日は何もなかった。テントをたたんで、荷物を車に詰めて、ただただ別れを告げる。皆はニュージーランドや、遠くてもオーストラリアに住んでいたりする人たちだから、またすぐにでも、という雰囲気でさよならを言う。私は、これから地球の赤道を越えて、日本へ帰る。頭の中で地球儀を想像する。でも皆に「また会おうね」と言われるたびに、地球の反対側へ帰るなどということも、車で1時間の家に帰るのも、それほど大差はないのかもしれない、と思い始めた。
行って、帰って来る。

フェスティバルのあと、ディーナと一緒に観光をした。彼女は車を運転しながら、矢継ぎ早に質問を浴びせかけてきた。それに一生懸命英語で答えながら、気がつくと私たちは丘の上に着いていた。「ニュージーランドに来たら、どうしても夕日が沈むのを見たいのよ」とディーナは言っていたのだ。それで、誰もいないところで、美味しいワインをすすりながら、海の向こうの水平線に沈んでゆく太陽を見守ることにした。

草原と、大きな海と、岩肌と、雲と、風。それ以外何もなかった。1時間ほど経って、じっとりと夕日が消えていく時、ああ、自分は地球にいる、ということがすごくよくわかったようだった。
「これ」に住んでいるんだ、私は、と思った。
いつも騒がしいディーナは、私から少し離れて、独りですごく静かに向こうを見ていた。■

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冊子で読みたい方はこちら。他にもインタビューなど掲載。

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文・写真=青木直哉

ジャグリングがつなげるもの 特別編 ジェイ・ギリガンに会いに。(4)

2016年7月4日発売『書くジャグリングの雑誌:PONTE』第12号では、編集長自らがニュージーランドへ行き取材をしてきた様子を掲載しました。その全編を毎週水曜日、8月3日まで全5回でWebに連載。

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(2016年7月4日発売『書くジャグリングの雑誌:PONTE』第12号より転載)

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ジャグリングがつなげるもの 特別編 ジェイ・ギリガンに会いに。(4)

レネゲードショー

レネゲードショー、というのは日本にない習慣である。欧米のジャグリングのフェスティバルには欠かせないイベントだ。夜10時、11時くらいから始まって、そのまま日付が変わるまでだらだらやっている。レネゲード用にセットされた舞台(といっても、照明が当たっているだけの空きスペースであることが多い)の前にみんなで集まる。集まった人の中から、我こそは、という人が舞台に入ってきて、なんでもいいので披露する。初日の夜、まず公式のイベントとして行われたのがこのレネゲードであった。
少数だが正統派のジャグリングをする人もいる。仰向けになった男の人の手で支えられながらヴァイオリンを弾く人もいる。母親にゲイであることを告白したときの話をする人もいる。MCが面白ければ面白いほど、大したことをしていなくても観客は大盛り上がりする。このフェスティバルのMCは、大柄で人のいい大道芸人のザックだった。日系ニュージーランド人のコウゾウと一緒に、オークランドの街角でバスキングをしているそうだ。
私も、酔った勢いに任せてディアボロの演技をした。実に、大盛り上がりだった。終わると、控えていた次のパフォーマーが愉快に話しかけてくる。その愉快な気分で、彼が調合した、ジンジャービールという汚い色の液体を勧めてきた。会場のみんなが「飲むな、飲むな!」と言う。私はすっかり酔っていて、それを勢いよく飲んでしまった。そのあと、口の中にずっと変な味が残り、なんだか気分が悪かった。

レネゲードショーが終わった後、私はガラショーに招待された。つまり、演じる方として。そういうわけで、次の日にミーティングをすることになった。

 

クリスティーンに会う

前日ファイアーセッションを経て遅くまで起きていたものの、不思議と目が早く覚めて、ミーティングが始まる時間までずいぶんあった。なのでフェスティバルらしいことをして過ごす。
コンベンションならではのワークショップの枠もこのフェスティバルにはある。それは各自がホワイトボードに書くだけで、その中から選んで好きに参加すればいい、という形態のものだ。別に文句を言われるわけでもないので途中から適当にぶらっと入ってもいい。正午になるまで、知り合ったクリスティーンとコンタクトポイのワークショップを受けたり、空いた芝生でディアボロを教えあったりしてぶらぶらした。
クリスティーンはオーストラリア出身の女の子である。見た目はむしろ日本人だ。彼女によれば、両親はマレーシアの中華系の家庭の生まれだという。だから一緒にいると、二人とも日本から来たのか、と尋ねられることが多々あった。というより、私はどこか東南アジアの人だと思われて、「日本から来たっていうのは君か」とクリスティーンが標的になった。
さて、正午になるとクリスティーンと別れて、昨日のレネゲードが行われた場所に向かった。なんということはなく、音楽を提出して、照明について説明して、それで終わった。実に簡単である。ミーティングが終わると、髪を濡らしたクリスティーンを見つけた。なにをしていたの、と聞いてみると、「ウォータースライダーが面白すぎて、もう今日だけで3回行っちゃった」ということである。その3回というのが、3本滑ったのではなくて、今日で3セッション目というような意味で、まず眠りから覚めてすぐに滑って、汗をかいたらまた滑って、ジャグリングに疲れたらまた滑る、というようなことをしていたそうである。呆れてしまった。朝から目覚まし代わりにウォータースライダーに行くクリスティーンは低い声で「あなたも次は一緒に行くべきよ」と言った。

 

プールのショー

ガラショーの前に、ジェイによるもうひとつのショーが行われた。「プールでやるらしいよ」と言われたので、私はてっきり「プールの辺り」でやるのだという風に解釈したのだが、実際に演技が行われたのは、本当に室内プールのへりであった。
会場にはフェスティバル参加者ではない一般の人も遊びに来ており、三々五々自由に遊泳していた。そこへジャグリング道具を持ってジェイがひょこひょこ現れて「どうもみなさん」と挨拶をして、ジャグリングをし始めたのだ。私はすっかり感心してしまった。ポカンとしている水着姿の人々が多い中、外からそのままの服装で入ってきた私は、なんだかすごく気分がいいのと、おかしいのとで、ゲラゲラ笑いながら演技を見ていた。もちろん全員が唖然としているのでもなく、面白がる人はとことん面白がって歓声をあげて盛り上がっていた。
そして、あらかた舞台上を暴れ終えて、そこら中に道具や毛糸や紙くずが散らばっている中、最後にきちんとプールの中に飛び込んでくれたジェイに、心から拍手を送った。

 

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文・写真=青木直哉

ジャグリングがつなげるもの 特別編 ジェイ・ギリガンに会いに。(3)

2016年7月4日発売『書くジャグリングの雑誌:PONTE』第12号では、編集長自らがニュージーランドへ行き取材をしてきた様子を掲載しました。その全編を毎週水曜日、8月3日まで全5回でWebに連載。

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(2016年7月4日発売『書くジャグリングの雑誌:PONTE』第12号より転載)

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ジャグリングがつなげるもの 特別編 ジェイ・ギリガンに会いに。(3)

芝生を抜ける風

身支度を整えるとジョーの青い車に乗り込んだ。農場を出て延々と走り続ける。だらだらと際限なく続く牧場、鉄道、森。牛が、羊が、馬が、いたるところに身体を横たえている。幅のある道路。乾いた日差し。間違いなくここは日本ではないなぁ、と気持ちが徐々に土地に対する他者としての実感に切り替わってくる。ニュージーランドに来ることを決めてからこちらに来るまでは、1週間しかなかったのだ。

一時間もしないうちに会場に着く。
プールとキャンプ場が一体となったレジャー施設だった。大部分が青々と茂った芝生で覆われている。早速テントを張ってやろう、と思って気がついたのだが、私の荷物はほとんどコリンのバンの中にあった。そしてコリンはそれを乗せたままどこかに行ってしまったし、いつこちらに着くんだかわからない。右往左往していると、ジョーが来て「もし昼寝でもしたいんなら私のテントを使いなさい」と相変わらず明るく言ってくれた。私はその言葉に甘えることにした。
ジョーのテントを張り終わると、唯一先に到着していた二人の青年たちクリスとマットが、昼食に誘ってきてくれた。会場には独立した建物の中にキッチンがあって、そこで何か食べよう、と言う。
キッチンの中を覗くと、流し台が6つついていて、冷蔵庫や電子レンジも完備、よく動く電気コンロもあった。共用の電気コンロというと、イタリア留学中に、10分間隔で勝手にブレーカーが落ちる(それと火力が全然出ない)ポンコツの記憶が鮮明であって、あまり信用できない。ビーフシチューを作るのに3時間くらいつきっきりで本を読みながら、がしゃんがしゃん落ちるブレーカーをその度に立って持ち上げに行ったのを思い出す。
二人はビニール袋に入ったレタスやトマトやツナ缶を出して、アーミーナイフを使って素材を切り、手早く手巻きサンドイッチを作ってくれた。巻くのに使ったパンは、少し厚めでぎっしりしていて、かみごたえがあって甘い。ベンチに座って食べ始めると、日差しが強くて、もうすでに日焼けをし始めていることを肌で感じ取る。出発した時の日本は、まだまだ冬の気候だった。
食べ終わってテントスペースに戻ると、他の参加者が少しずつ集まってきている。気温は22,3度ほどだ。日陰に入るとちょうどいい温度で、気持ちよい。前日の疲れがまだ取れていなかったので仮眠をとることにした。テントにもぐり、服をまくらにして、銀マットの上に横になる。周りの雨よけは張らず、蚊帳のような状態にして寝た。木立を抜ける風が中を通る。遠くの芝生でクラブパッシングをする声が不明瞭に耳に入ってくる。その様子をなんとなく想像しながら目を閉じると、私はもう一度、ああ、ニュージーランドに来たなぁ、と思った。

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ジェイの演技

夕方、車に相乗りさせてもらってフアパイへ行く。ジェイのショーを観るのだ。会場に入ると、ジェイは既にパフォーマンスの準備を進めていた。ぽっくりとした北欧風の天井照明が連なる、木を基調とした内装。気負いのないレストランだ。切り株のような椅子と背の高いテーブルがいくつもあって、お客としてガタイのいい、ヒゲの生えたおじさんばかり座っている。近所の人の集会所のような役割なんだろう。フェスティバルとは関係の無い人たちもたくさんいる。MacBookが舞台(と言ってもただ机を片付けただけのスペースであったが)に置いてあり、ボール、リング、クラブ、おなじみの道具が床に大量に並べてあった。ジェイはそこで、ゴールドの新型MacBookをいじっていた。見に来ている人の中には一般のお客さんも混じっている。そんな中、明らかに「いつも通り」ショーを始めようとしているジェイがいた。
私は前の方に座って、買ってきた炭酸ジュースを開けた。するとすぐにジェイが喋りだした。
「みなさんこんばんは。今年で僕は39歳になって、ジャグリングを30年続けていることになります。これから見せるショーは、『時間』に関するジャグリングのショーです。たぶんみなさんが見たことあるようなものとはだいぶ違うと思います。でも、気に入ってくれたら嬉しいです。では、よろしく」
するとまずジェイはカニエ・ウエストをかけて、リングをジャグリングしだす。「マニピュレーション」に重きが置かれた演技。時々、しつこいぐらいリングを「操っているだけ」のシーンもある。ただただパシパシと手から手へ渡らせるだけ。そして急に5枚のリングを空中にリズムよく一定時間放り投げたと思いきや、今度は3枚だけで変な振り付けをする。やっとジャグリングをしたかと思うと、またすぐに独特な振り付けをし始める。ジャグリング中にドロップをするとそれをカヴァーするために床にあった道具を拾って即興で高度な技を繰り出してみたり、壁に向かって投げつけたり、天井に思い切り当ててみたりする。
ひとつ流れを終えると、今度は話が入る。
「僕は小さい頃、おじいちゃんと一緒に湖に釣りに行くのが好きでした。でもその頃は生きた魚が針に引っかかる、ということが想像できなかった。釣りというのは、水面下に魚を持った人がいて、針が落ちてきたのを見ると引っ掛けてくれるんだと思っていたんですね。だから、魚が一匹も釣れない日は、架空の『魚人』にいわれのない怒りを向けていたものです。まぁとにかく、これが私の最初の”catch”に関する話です」
小噺が終わると、また別の道具を使ってジャグリングをしだす。この繰り返しであった。
ショーが終わったあとジェイに話しかけに行った。直接会うのは4年ぶりだ。奥さんのミルヤと、息子のシンドリくんにも挨拶をする。シンドリくんはほんの半年ほど前におぎゃあと生まれた、まだまだ小さな赤ん坊だ。(おぎゃあと言ったかは知らないけれど)騒音をがなり立てるショーの最中も泣き出すことはなかった。思い返してみれば1週間の滞在で、ただの一度も泣いたのを見る事はなかった。
ジェイが「コンニチワ」というと、シンドリくんはジェイを見た。私が「こんにちはシンドリくん」と言うと、今度はこちらを見た。ミルヤは、笑いながらまた「コンニチワ」と言った。すると手足をめいっぱい広げ、えい、えい、と空を突いたり蹴ったりしだした。私たち3人はじたばたするシンドリくんを見ていた。

 

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文・写真=青木直哉

ジャグリングがつなげるもの 特別編 ジェイ・ギリガンに会いに。(2)

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ジャグリングがつなげるもの 特別編 ジェイ・ギリガンに会いに。(2)

キャラバンわぁわぁ

車が大きな草原の前に着く。中に入る道には鉄条網で柵がしてある。どうも農場のようだ。「あっちの方に羊の目が見えるだろう」とコリンに言われて向こうを見ると、車のヘッドライトに照らされてビカビカと光る動物たちの眼がたくさんこちらを向いていた。ああそうか、羊だ、と思っていると、コリンは車から私たちを降ろして、大きなキャラバンの前に連れて行った。可愛らしいキャラバンが目に入った瞬間、隣にいたディーナがわぁわぁ、突如として大きな声で騒ぎ始めた。
日本を出発する時には、てっきりコリンの家で空き部屋を貸してもらえるのだと想像していた。だが実際には、農場にぽつんと停めてあるパステルグリーンのキャラバンの中で眠るとのことらしい。
鍵を開けて生活用に改良された車の中に入ると、ディーナの興奮は頂点に達する。「オーマイグッドネス!」と30回ぐらい立て続けに言った。6畳ほどのキャラバンの中は赤で統一されており、ダブルサイズのベッドが一番大きな位置を占める。天井から吊りさげられた照明はトルコランプのような華麗な装飾が施され、控えめな光を放っている。水道が付いた簡易キッチンの上には、小さくて華奢な手編みのかごの中に、淡くキャンドルが灯されていた。ベッドの隣に洋服ダンスがあり、観音開きの戸板に取り付けられた鏡は真ん中から割れて線が入っていたが、立派だった。車の中にしてはだいぶ快適である。「ここで寝袋を敷いて寝な」とコリンは脇の方の大きなベンチを指差した。私が「うん」と言って寝る支度をしはじめるのを見てから、あとはディーナの褒め言葉と抱擁の嵐をひたすらに笑顔で迎え、相槌を打っていた。
「見てよ、これ!」といちいち目に移るものを声に出して描写するディーナ。盲者用の副音声かと思うほど、360度すべてについての説明をし、「かわいすぎる!!」と言っていた。「じゃあ、明日の朝迎えに来るからな」と言って、二人は空港から数えて通算20回目のハグをして、コリンは車に乗って去って行った。そのあとのディーナはやっぱり興奮しっぱなしで、電気を消しても「すぐ終わるからね」と言ってアメリカの彼氏に電話をかけ、そわそわそわそわ、いつまでもキャラバンを褒めていた。
私は、星空、きれいだな、と思っていた。

 

会場ヘ向かう

朝起きると、外から二人の女性の元気な話し声がしていた。片方は間違いなくディーナだ。しばらく目を閉じたまま、うーん、あと一人は誰だろう、と思い、勢い良く寝袋をはねのけて外に出て、挨拶をした。
モウニング、と言ったもう一人の女性は、ジョーといった。黒髪で、水色のシャツを着て、チノパンツを履いている。ディーナと同世代だろうか。快活ではあるが、ディーナよりは穏やかで話しやすい。イギリス生まれで、わざとらしいくらい見事なブリティッシュ英語を話す(いや、そりゃそうなのだが)。ジョーは大型のバンで来ていて、荷台にはキャンプ道具と、たくさんの段ボールが積まれていた。中にはちらほらジャグリング道具も見える。ニュージーランドに移住してきて「フリング」という名前のジャグリングショップを経営していたそうだ。もう個人輸入がインターネットで簡単にできる時代になってしまったので、今は店をたたみ、こうしてフェスティバルがある度に出張販売をするだけだという。もうじきこの商売もやめるそうだ。
朝ごはんのコーヒーとサラダせんべい(バンに唯一あった食料がそれだった)を食べていると、ニワトリがたくさんいる囲いの方から、メガネをかけたアジア人風の女性がこちらに歩いてきた。大きなサラダボウルにいっぱいの野菜を食べているディーナと私が、そちらを振り向く。「卵が採れたわよ」といって、プラスチックのタッパーに入れた新鮮な卵を見せてくれた。その女性は、中国の広州出身だという。話していると、これは今朝採れたての卵でとても美味しいからぜひ食べてみろ、と笑顔で勧められた。何もかけずにそのまま”Drink”しろ、と言う。断れるような雰囲気ではなかった。ディーナが、いかに産みたての卵がおいしいかをすでに力説し始めている。卵を受け取るとまだ温かく、ニワトリのお腹の下に手をさし入れているような気分だった。ディーナと広州の人はニコニコして見ている。しばらく躊躇したが、少し顔を強張らせて生卵をひざで割り、中身を飲みこむ。黄身は確かにクリーミーで、スーパーに売っているようなものとは全く違った。濃厚で、「生命のぬくもり」とはこのことか、というほどほかほかであった。
確かに美味しいといえば美味しいのだけど、なんだか、いったいこれは清潔なんだろうか、ということを心配し始めると急に恐ろしくなってしまった。ひとつ食べるくらいなら大丈夫かな、と自分を納得させて、にこにこ「美味しいよ」と伝えると、もう一個食べる? と訊かれた。エヘヘ、と笑い、すぐさまノォと言った。
食べ終わった卵の殻には、泥と羽毛がたくさんついていた。

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ジャグリングがつなげるもの 特別編 ジェイ・ギリガンに会いに。(1)

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ジャグリングがつなげるもの 特別編 ジェイ・ギリガンに会いに。(1)

ニュージーランドに行くことを決める

その時私は白いシャツの上に黒いセーターを着ていて、平日の昼に暇な人たち(しわくちゃなおじいさんとか、読書がいかにも好きそうなおばさんとか)に囲まれて、近所の市立図書館の長机で茂木健一郎とジャズミュージシャン山下洋輔の対談本を読んでいた。そして急に、「そうだ、俺はなんか面白いことをしよう」と思い立った。
心を決めたら別に理由もなく机を立って外を歩きはじめて、じゃあ行こうか行くまいか迷っていたニュージーランドに旅に出よう、と決心した。その日家に帰ったら、まず海外に行くことを実家の両親に伝えてその場でパソコンを開いてチケットを取った。
出発は一週間後。
国について何も知らなかった。どれくらい時間がかかるかも知らなかった。一体いまどんな気候なのかも、果たしてビザはいるのかどうかも何も調べなかった。

出発の日の夜8時に、チャイナ・エアの飛行機は、ニュージーランドに向けて出発した。

 

コリンおじさん

ニュージーランドは二つの島からなっている。
その中でも北にある島の真ん中に位置する”オークランド”が最終目的地だった。
オークランド空港では5時間以上待つことになっていた。あらかじめ連絡をしておいたコリンおじさんに、町まで車で乗せて行ってもらうためだ。夜まで迎えに来られないというので、別に急ぎでもないから彼を待つことにしたのだ。コリンとはFacebookで知り合っただけで、面識はない。
空港に着いたのは17時。ずいぶん大仰な検疫があって、ロビーに出たのは18時過ぎだった。
2万円をニュージーランドドルに両替する。受付をしてくれたのは肌の浅黒いおじさんだ。マオリ族の血を引くのかもしれないし、東南アジア系なのかもしれない。そのお金を持ってマクドナルドに行ってお腹をみたしてから、残りの時間を過ごすために入国口前の黒いベンチに座った。
ずいぶんな数の風景を黙って眺めることになった。とんでもない金切声をあげながら半狂乱で待ち人に駆け寄るおばさん、ブロンドの若い女性を静かに微笑して迎える、刺青だらけの兄ちゃん、頑張ってみんなが映るように棒でセルフィーを撮る日本人の卒業旅行の団体。

コリンは青いクラブ3本を持って後ろから現れた。
「元気か」
と言って、ニンマリ笑いながら覆うように私の肩を抱いてきた。ずんぐりしていて、強そうだった。髪の毛はほとんど剃ってある。下はベージュ色の半ズボン、上は釣りに行く時に着るようなジャケットを羽織っている。アゴには白い無精ヒゲが生えており、シワといい、その手の大きさといい、大胆さと年齢の重ね方の重厚さが黙っていても伝わってきた。暇だし俺たちにはコーヒーが必要だし、カフェに行こう、というので、空港の二階でコーヒーをご馳走になった。
彼は軍人として海を渡ったこともあり、70年代には日本も訪れたそうだ。ラグビーが大好きで昔はプレイもしたし、今でも観戦はよくするという。キウイ(ニュージーランドの人は自分たちのことをこう呼ぶ)の誇り、オールブラックスが踊るマオリ族の舞踊「ハカ」や、原住民の文化、言語についても終始笑顔で語ってくれた。

 

ディーナとコリンと街へ向かう

もう一人私と同じように車に乗る、ディーナという女性がいた。ハワイ生まれだが今はアメリカに住む50代だという。もう時計は23時過ぎを指していたが、またさらに2時間ほど待つことになった。合計7時間も空港のロビーにいたことになる。
コリンと一緒にまたマクドナルドのポテトを食べていると、ブロンドの女性が出国ロビーの中に入ってきた。
コリンはニヤリとしてその人と抱き合い、積もる話を意気揚々とし始めた。これがディーナのようだ。それまで不完全な英語話者(私だ)とずっと話していたこともあって、ストレートに英語を話せるのが嬉しいようにも見える。足早に歩き始め、車に乗って、コリンはエンジンをかけた。

もう深夜であるが、交通量はそれなりに多い。空港から高速道路を抜けて、オークランドの街を眼下に臨みつつ郊外の町フアパイへと向かう。彼はフアパイでピッツェリア(ピザ屋)を経営している。その店の向かいのレストランで、フェスティバル前夜のジェイ・ギリガンによるショーも行われる。まずは初日の宿泊場所へと向かった。

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文・写真=青木直哉