カテゴリー: events

ことです。
things.

台湾のサーカスフェスティバル

明日より、台湾の高雄でサーカスフェスティバルが開かれる。

日時:128日~10

場所:高雄 駁二藝術特區 大義區公園

内容は、ショーやワークショップ(教室)、演者の公募をしたオープンステージ、日本のジャグリング・ジャム・セッションにも似た、ジャグリングバトルなど。海外からもゲストアーティストを多数招聘しており、国籍もブラジル、スペイン、フランス、日本など多様で、スタイルも全く違う人たちが集まっている。

さらに注目すべきは、フェスティバルが行われるのは野外で、一般に開かれており、誰でも無料で見ることが出来るということ。しかもオープンステージ出演者には、宿泊、食事、現地での交通費の援助がある。

主催は、昨年も高雄で別名のサーカスイベントを開いた、Hsing ho co. Ltd.

台湾におけるサーカスシーンを本気で考える陳星合(チェン・シンホー)氏が率いる団体。サーカスを浸透させたい、アーティストを育てたい、という意気込みが伝わってくる。編集長青木も参加。

(画像は公式サイトより)

公式情報は、こちらをチェック。

ホゴノエキスポ2017レポート

大変遅れてしまいましたが、1月21日、仙台に行って、ジャグリングの公演を見てきたレポートです。

文責は編集長、青木直哉。昨年に引き続いて、二回目の参加です。今回は最後に、大事なお知らせもあります。

ホゴノエキスポとは

本郷仁一(まさかず)さん(=ホゴムラ名人)率いるホゴノプロフィスが、仙台において一年に一度行う、ジャグリングイベント。それがホゴノエキスポです。それほど大きなイベントではなく、主な対象は東北地方のジャグラーたち。ですが、中には筆者も含め、関東地方などから遠出してくる方々もいます。(詳細はこの記事この記事を参照。)

まずは昼行便のバスで仙台へ。新宿から仙台までは、およそ6時間で到着。仙台は、東京とは違って、ちくりとする寒さ。

まず稽古場を見学へ。この場所は、後日の交流会の会場にもなりました。稽古には大橋昂汰さんと、出演者の方々、結城敬介さん、その他関係者の皆さんがいて、通し練習中。流れる、穏やかな音楽。以前取材に来た時と比べて格段に進歩していました。本番前日なので当たり前なのですが、前回には見たことのない動きも多数。

長崎に住む大橋さんを招いての稽古。短い練習期間と、物理的な難しい条件に負けず、工夫して稽古をした跡が窺えました。

稽古を終えて反省会中。雰囲気は終始和やか。

ホゴノエキスポ・当日

次の日、ホゴノエキスポ本番。会場は、JR仙台駅から徒歩20分ほど、地下鉄の駅近くにある、仙台エル・パーク。開場より一時間ほど早く入って中を見学。今年は昨年のエキスポ会場の隣で開催。場所は少し小さくなっていたけれど、おなじみの顔ぶれがそろうのはいつもと同じでした。全国からたくさんの人を集めて盛大に開催するようなイベントではないですが、だからこその魅力があります。

まずは開会式。

左が本郷さん、右は結城さん。

午後12時からイベントは緩やかにスタート。各自で好きに練習をする時間を経て、まずは大橋昂汰さんによるワークショップ。

内容は、「ボールジャグリングのタイミング(高さ)の合わせ方」。

メトロノームを使用して、全員が投げるタイミングを合わせる。集団に振り付けをした時に、ボールの高さを綺麗に合わせるのに苦労した経験から生まれたワークショップなのだそう。確かに、ボールジャグリングではタイミングを合わせようとすると、自然と高さを合わせる、ということになります。正確に同じ高さで毎回投げること自体が、訓練の必要な技術であるため、実際に合わせられるようになるには時間がかかりますが、方法としてはすごく有効。単純なやり方で問題を解決する大橋さんの手法に唸らされました。このように指導に優れており、問題を発見してから解決するプロセスが鮮やかであるところにも、大橋さんの自分自身の能力を掘り下げる力が滲み出ている気がします。

 

Kota Ohashi workshop

Naoya Aokiさん(@jugglernao)がシェアした投稿 –

世界ハイパフォーマンス王選手権

休憩を挟んで、毎年恒例、世界ハイパフォーマンス王選手権

事前に申し込みをした出場者が技を競う大会です。とはいえ、内容は肩肘張らず、各自思い思いに好きなことをするものなので、司会進行の結城さんの進行もゆるく、演技内容も、全く毛色の違うものが次々に出てきます。

印象的だったのは、昨年、杏さんとペアで優勝した、コイン積みで有名なたぬさんが行った演技。まず演技のはじめに床に積んだコインを、くずさぬようにジャグリングをするというもの。惜しくも途中でコインが落ちて終わってしまいましたが、おもしろかったです。途中でなぜか杏さんも出てきました。

優勝はクラブが生きているという設定で芝居風のジャグリングを披露したせりかわさん。北海道からわざわざこの大会のためにいらしたということです。その日の午後にはまた北海道に帰られました。おおいに笑いました。演技中に、Wes Pedenからも電話がかかってくる。よく作られていました。

大橋昂汰監督作品、大橋昂汰ソロ

世界ハイパフォーマンス王選手権が終わると、ゲストステージ。

以前の記事でも紹介した、大橋昂汰さんによる振り付けの、集団ジャグリングパフォーマンス。今回大橋さんが監督をした作品は、全部で10分と少し。合計5人で、動きまわって、関わりあって、視覚的な面白さが満載でした。

舞台裏。これだけでも何が起こるのか、想像を掻き立てる。

出演者5人。

内容は、短期間の練習で仕上げたとは思えぬ、とてもよい仕上がりでした。

前半と後半で毛色が違って、前半の主人公は、小学生のはると君。子供を中心として、その周りの大人たちがいたずらをしてみたり、あるいはぐるぐると駆け回ったり。九州で子供達にジャグリングを教えている大橋さんの今までの積み重ねが、いかんなく発揮されている感じを受けました。

後半は、よりジャグリングそのものを使った、視覚的効果を駆使した内容。

幕で見えない部分を利用した、不思議な感覚の作品になっていました。

この演目で一番注目すべきは、大橋さんが東北のジャグラーを「振り付けた」というところだと思います。

現時点での日本のジャグリングシーンでは、客観的な見ためや全体の統一性、というよりは、自分自身の感覚的な気持ちよさや、自分自身の持つ技術の披露、といったものに重点のある演技が多かったりします(例外ももちろんたくさんあります)。

とにかく以前にも書きましたが、ジャグリングでは、一般的に言って、誰かを振り付ける、という発想がまだそこまで浸透していません。

ですが、振り付けるとなると、一気に「見る側」としての視点が作品に反映されやすくなります。

今回の演技を見て、大橋さんが振り付ける作品をもっと見てみたい、という気持ちにもなり、また他にも優れた「ジャグリング振付家」が何人も現れたら面白いだろうな、と思いました。

今回の公演は、その端緒としてとてもよいものに思えました。

そのあとは、大橋昂汰さんによるソロの発表。

ボールのみ、そしてボールとリングを用いての演技。

コンタクトジャグリングに使う大きめのボールとリングを組み合わせたりもしていました。

普段行っているさまざまな動きと、道具のコンポジションを、音楽に合わせて即興で発表する、というふうな印象を受ける演技でした。日頃から探求をおこなっていなければ出し得ない、落ち着いた、いろいろなパターンの連続は、見ていて心地がよかったです。

ホゴノエキスポを終えて/お知らせ

ゲストステージが終わると、イベントは終了。各自帰路につきます。

さて、仙台まで足を運べなかった読者の方々へ。

公演の中身は、まとめの動画の中でも少し映っています。

(8分17秒あたりから)

ですがこの度、

ホゴノエキスポで行われたこの集団製作と、その舞台裏大橋昂汰さんのジャグリング

そして他にも盛りだくさんの内容をパッケージにして、販売されることが予定されています。PONTEも関わっています。

舞台製作の過程や、そのあとも含めて、総括的に今回の舞台を堪能できる内容になるはず。

詳細は後日発表。

text= Naoya Aoki

Photos= Naoya Aoki

 

 

ジャグリングユニット・ピントクル公演 「秘密基地vol.6」レポート

Review on “Himitsu-Kichi Vol.6” by Pintcle

京都のジャグリング集団、ピントクルによるオムニバス公演を、主催のひとり中西みみず君のお誘いで京都まで見に行った。

公演が行われた場所は、京都大学の吉田寮近くにあるスタジオ・ヴァリエ

吉田寮という長い歴史のあるボロ屋(と言ったら失礼なのかもしれないが、たぶんあそこに住んでいる人たちは、むしろそれを誇りにしているのではあるまいか)を少し先に行くと、そのスタジオはある。

静かな住宅街にある、小さな構えの小屋だが設備は本格的。建物の佇まいにも魅力があって、ここは劇場です、と言われなければそんなことに気がつかずに通り過ぎてしまいそうな、主張の少ないこじんまりとした劇場である。

(photo=Naoya Aoki)

2016年12月10、11日、全3回の公演。8組の演者が出演した。

司会はジャグリング・ストーリー・プロジェクト(ジャグリングと演劇を組み合わせる試みを行っている)にも関わったことのある、冨迫晴紀さん。(以下の舞台の写真も冨迫さんによるもの)夜行バスで前日から京都入りし、京大近くの進々堂という素敵なカフェで一通り仕事を終え、仕込みの途中から密に観覧。

1.中西みみずと愉快な仲間たち ver.3 「らいん」

舞台の左右にそれぞれ大きな輪があり、それがレールで繋がれている。輪の中には携帯電話。舞台奥にはCDプレイヤーが乗ったテーブル。

作品のタイトルは「らいん」である。タイトル通り、SNSのLINEが活用されている。電子的なメッセージのやりとりを、プラレールの往復に置き換えて非常に冗長に見せる。

舞台で行われる物体操作は、輪の傍に座った男女(じょさいさん、いとたさん)が、プラレールが来る度に、その上に載せられたスマートフォンを手元のものと交換する、というただそれだけ。壁には、スマートフォンの画面が投影されている。

途中、メッセージの内容を読み上げる音声が演者の足元のスピーカーから流れる。同じように途中からCDプレーヤーの方からも流される。

しかしその音声と画面、モノレールの操作がだんだんズレていく。

プラレールの走行音が静かに響く空間と、冗長な間がそのメッセージの中身のなさを強調しているようでもある。

終盤に差し掛かると、文字を乗せたプラレールが舞台奥を走り始める。

最後に、いとたさんがすぐそこにいるじょさいさんに向かって初めて発話し、暗転して終わり。

日常的に行っている意味のないやりとりをわざと誇張しているようである。でもこの演技には、別にそれを揶揄したり、皮肉に見せたりといった、教条的な演出は無い。どちらかというと、ただそのモチーフで遊んでいるだけ。

あとで中西君に聞くと、音声と画面のズレは、意図的に創出しているものだったという。しかし初めて今回の演技を観る方からすると、その意図が多くの人に技術的な失敗に見えてしまったと思う。その微妙な加減は、難しいのだとは思うのだが。なにはともあれ、「ズレているのって面白いとおもう」とは本人の談。

核としての、「プラレールの緩慢な動きとSNSのインスタントなメッセージのやりとりのコントラスト」はとても面白かった。

中西みみずの舞台は以前にも観たことがある。いつもその佇まいには「洗練されていなさ」がつきまとっている。

映画監督ティム・バートンの展覧会に行った時、レストランの紙ナプキンに描いた落書きが展示されていた。他にも素晴らしい展示はいっぱいあったのだが、筆者はその紙ナプキンの絵の荒さに、ティム・バートン本人の素に一番近い姿を観たような気がして、息遣いを感じ、親近感を覚えて、結局その紙ナプキンが一番気に入った。

東京で行われた前回の『Crossing』でもそうだったが、舞台に立つ時に力が全然入っていない中西みみず君の様子や、ちょっといい加減な舞台セットは、これはこれでいいのかもしれない、と思わせる力がある。

今回の演技は、秘密基地と名付けられた、希望する人がほぼ誰でも参加できる実験的な舞台における発表だった。当演目は、その雰囲気にとても似合ったものだった。これがもっと大きな舞台の遡上に乗るかどうかは別問題だが、別に「大きい舞台で目立ちたい」のではなく、自分のやりたいことを追っているみみず君の姿勢は、なかなか素敵なのである。いや、本当は大きい舞台にも立ちたいのかもしれないけど…。

「メディアとしてのジャグリングを追求したい」と日頃から言う中西みみずの意図は、本公演でも表れていたと思う。ジャグリングそのもの、ではなくて、ジャグリングをなにかを伝える媒体として用いる(だから伝えたいことの比重が、「なにか」の方にある)という程度の意味だろうか。

演技が終わったあとのアフタートークでは、ジャグリングでは、ボールの『交換』が行なわれていて、その『交換』がモチーフになっている、というようなことを喋っていた。

終演後に演出の中西みみず自身が書いた記事はこちら

 

2.吉安勇人 「たわむれ」

デビルスティックを使った演技。

従来のデビルスティックの使いかたに縛られることなく、一本の太めの棒と、それ以外のゴムで覆われた細い二本の棒、という前提だけを用意して、何ができるかを見せた。つまり既存の体系を無視してデビルスティックと純粋に「たわむれ」ているだけの様子を見せたのである。

ただ、たわむれるといってもランダムに遊ぶだけではなく、むしろ「技」として動きを行うことの方が多かった。今までにない、足や口を使ったり、地面に置いたりする類の動き。

ジャグリングの道具は「目的」に沿ってデザインされてきた。その殻を破ろうとする試みはいくつもある。(シガーボックスでトスジャグリングをするとか)だがその試みを見るたび「それだったらこの道具の形をしている必要はないんじゃないか」と思うことは多い。

今回の吉安さんの演技は、光る技が多々あり、従来の動きとは別の動きを模索したい、という試みの意図がよく伝わってきた。しかし棒と向き合う、ということだけを考えるなら、どうせならもっとなんの変哲もない、ただの棒の方がよりよいのではないか、という気がした。本当に、ただの木の枝とか。鉄パイプとか。ラップの芯とか。わからないけど。

この演目においては、デビルスティックの形をしていて、プリズムの装飾をされていることが邪魔な要素に思えた。きらびやかなデビルスティックが、吉安さんの野性的な動きの質感にあまりマッチしていてないように映った。

使う道具がデビルスティックの形をしていることのメリットがあるとしたら、それは「デビルスティックをやっている人が驚く」ということだろう。それは、デビルスティックをやっている人にとっては悪いことではないけど、いざ「ただの棒として扱う」のならば、なくてもいい要素である。

たとえばこれは、ディアボロでコンタクトジャグリングをすることの違和感に似ている。いや、自分自身でもやることはあるのだが、やはりもともとディアボロはディアボロらしい動きをするためにデザインされているので、別にやりやすくもないし、これをどこまで突き詰めても、所詮あくまで、「ディアボロの文脈におけるエッセンス」にとどまるだけで、根本的に新しい、ということにはならない。もし新しい面白いディアボロジャグリングが見つかったとしたら、そのときはもう違う道具としてデザインしなおした方がいいんじゃないか、と思うのである。もしその新しいジャグリングを既存のディアボロで見せているとしたら、それは自分が見つけたジャグリングの追求への怠慢ではないか、という気がしてしまうのだ。

もちろん、そこで実際にただの棒の追求を始める、というのは、それはそれで大変であるのもわかる。ただの棒がすごく見えるだけの技術体系を自分で一から確立しなければならないからだ。だから、そこまで「根本的に新しいジャグリング」を希求しているのではないのならば、まぁデビルスティックやディアボロでやればいいのかな、と思う。

なにはともあれ、とりあえず手近にあるジャグリング道具で心に浮かぶアイデアを試すのは、自然な流れである。制約の中から飛び出したい、と思ってまずは既存の道具であれこれ違う手法を試す。もし本気でそのアプローチを次に進めるとなると、道具の形状を変えていくことになる。「デビルスティックの形状であることが、ジャグリングの演技であることを担保している」ということになってくると、それはちょっと力が弱い。

あくまでジャグラーのコミュニティの中で驚いてもらうのでよければ、既存の道具をそのまま使うのも一向に構わない。筆者個人としては、今回の吉安さんの演技は、ちょっと、ダイエット・コークみたいな物足りなさを感じた。「ただの棒と戯れる」というふうに純化したいのであれば、棒ももっと単純であって欲しい、よりピュアなものであって欲しいという感想だった。ストイックすぎるかなぁ。

第一回公演のあとに行った「棒で遊ぼう」というワークショップでは、とりあえずデビルスティックへの固定観念をリセットしてただの棒として扱ってみて、何ができるかを自由に実験した。デビルスティックの機能性を全く無視して扱ってみる、というのは可笑しくてとてもよかったです。

 

3.姫島知樹 『音とたま』

3ボールジャグリングと、クリスタルボールの演技。ダンスが織り交ぜられている。最近言われるところの、「ダグル」の演技。特に真新しくはなかったが、ひとつひとつの技がうまかった。音をしっかり取れていて、実はこれはジャグラーの中では珍しい。終わったあとに話を聞いたら、ジャグリングから入って、のちにダンスを始め、今は二つを融合したスタイルでやっているそう。やっぱり、ダンスをしっかり学んで、その上で取り入れている人は、動きが違いますね。

見ていて心地のいい動きが多かったです。

JJS(ジャグリング・ジャム・セッション)にも出てみたい、とのこと。いつかJJSの舞台に現れることを期待しています。

 

4.田寺志帆 「禁断の。」

ピントクル代表・山下耕平君の演出作品。

ある日祭りで太鼓叩きを見て、それが格別うまかったわけではないのだが、「その場にいる人ではなくて、神に向かって何かを行っている」という状態をすごくかっこいい、と思ったという経験をもとに作ったのだという。

ジャグリングと儀式をくっつけてしまおうという試みは、筆者の目にはそこまで親和性があるとは思えないのだけど、こんなことをする人は今のところ山下君ぐらいで、真剣にそのアイデアに取り組んでいるのが愉快である。

内容は、そのまま、ジャグリングを織り込んだ「儀式」。

巫女さんの服を着たらっしーさんが、ジャグリングボールと様々な色の帯を使ってジャグリングをしつつ、鈴を鳴らしながら儀式を執り行う。

まず初めに帯のついたボールを投げて、絡まった帯が取れるまでカスケードをする。次第に帯とボールを織り交ぜたアクションに移って行き、最後は帯で全てのジャグリングボールを包んで、それを抱きかかえるシーンで終わる。精子の象徴のような、尾ひれのついた球を投げる演出や、音少なに静かに流れる時間などから、タルコフスキーの映画『ストーカー』を連想させた。

ジャグリングボールは、巫女さんの衣装や、醸し出そうとしている厳かな空気に似つかわしくないような気がした。ジャグリングボールはやっぱりジャグリングのためにある、という事実を時折思い出させてしまう。それに連なって、「ジャグラーの普段の姿」がふと連想される。

でも今、山下君の気持ちになって、「なんとかジャグリングを儀式にしたい」と思って演出をいちから考えるところを想像してみたんですが、うーむ、難しいですね。だったらもう、「太鼓叩きはあれは違うタイプのジャグリングなんだ」と宣言するだけの方が楽なんじゃないか、とか思ってしまう。どこまで行っても、儀式をいじってしまうと、それはもう儀式じゃないような気がしてしまう。

ジャグリングは普通「お客さんに見せるもの」だという観念を崩す、というのはなにかもっと探れそうだ。ただそれを結局「よし、お客さんに見せるものじゃないものをお客さんに見せよう」と思った時点で、お客さんを意識してしまっているというジレンマがある。動物園で、自然なままの動物を見せる、みたいな。いや、動物園に来てしまった時点で自然じゃないんじゃないか、みたいな。

それはさておき、演技中のらっしーさんのたすき掛けが颯爽としていて、素敵でした。演目をやることになってから練習したらしいですが、なかなかカッコよかったです。

 

5.劇団速度 『寝てる間に死んじゃったらどうしよう』

劇である。

筆者は恥ずかしながらあまり演劇には明るくない。

4人の演者が、舞台袖から出てきたりひっこんだりして、バラバラな文脈でセリフを言い、動き回る。時々演者同士が干渉することもあるのだが、言っていることはあくまでその本人の文脈における発言なので、しっちゃかめっちゃかで、つじつまが合わない。

中盤でおにぎりと玉子焼きが天井から落ちてきて、(本来は豆腐でやる予定だったが散らかり過ぎるのでやめたらしい)しかしそれは特に明確な影響を役者の行動に与えることなく、劇は続行する。最後は一人、死んでしまって台車で運ばれていく。

演出・武内ももさんの言によれば、「食べ物が主役。ジャグリングでは、操作「する人」と「されるもの」がある。この劇はそれを切り離しただけであって、これはジャグリングです」という。(ただこれは発言から読み取った筆者の解釈で、本人が意図するところとは少し違うかもしれない)

劇としては噛み合っていない感じが悪くなかったですが、「ジャグリング」としては、概念的すぎてピンと来なかった。

かつてジェイ・ギリガンというジャグラーが、「ジャグリングは、なにはともあれフィジカルなものだ」(PONTEの紙雑誌第12号より)と言っていた。あまりに概念的すぎるものをジャグリングと呼び出すと、あんまり意味のない探求になってしまう。道具を使わないジャグリング、とか。当人にとってはそれが有意義で面白いこともあるし、無関係なわけじゃないんですが、やっぱり見るほうからしたら、なんらかの物体と身体が「関わる」様をジャグリングと呼びたいです。「関わらない」ことを選択しちゃうと、それはもうジャグリングじゃないだろう、と。

筆者もやっぱりそう思います。もし「関わらない」を選択することが面白いアイデアだったとしたら、よほどよく伝える方法を選ばないと、まぁまず納得はできないだろうと思う。

演じたメンバーの中にはジャグラーがいた。当初ジャグリングをする予定もあったようだが、今回はジャグリングをしていない(その、つまり、一般的な意味で)。

 代表の野村眞人さん(上写真で紫の服の方)によると、この劇団は固定された役割を持たないことを目標にしているそうである。メンバーは、その都度演出家になったり役者になったりするそうだ。一般的な演劇のように、演出家が作り上げた、その人の演劇、ではなく、その時創作に関わったメンバー全員の作品である、と言えることが理想らしい。

演劇の中でもやはり行き詰まりがあって、いろいろ模索をしている人がいるのだ、ということを肌で感じられたのがよかった。

 

6.尾納宗仁

「イナーシャ」というタイトルで、主にスカーフ(ヴェール)ジャグリングを披露。ヴェールに包んだボールを投げることで、ヴェールがたなびく様子を見せる。

最後はヴェールポイ(という名称で合ってるんでしょうか)をやって終わり。

ポイにくくりつけられた状態でヴェールがたなびく、というアイデアはあるが、意外とボールに尾ひれがついているという形は見ない、というので、それを提示したようです。

確かに、言われてみればボールがひらひらとする、というのはあまり見ない。邪魔ですからね。ボールをヴェールにぶつけて、火の玉のような印象に一瞬で変える演出は、発展しそうな予感。全体の感想で言えば、もう少し動きのバリエーションをみたかった、というのと、最後のポイが結局一番きれいでよかったわりに、一瞬で終わってしまった、というところが残念な部分。でも、アイデア自体はもっと広がりそうな気がした。

7.うずっきー

ジャグラー、うずとぬっきーによるパフォーマンス。

うず君がぬっきー君の部屋に遊びに来て繰り広げる寸劇から始まる。舞台セットは、パソコンと、本、ゴミ箱。PONTEも置いてあった。どうも、どうも。

寸劇をしつつ、ジャグリングもする。だんだんとジャグリングだけの演技に移行していく。音楽に合わせたジャグリングのみのデュオの演技の後半は、二人の技術が光った。とくに実験的、という感じではなくて、明るく楽しい感じの、笑える演技であった。秘密基地というイベントの目標も、小劇場でどんなジャグリングを体験できるのか、ということの実験であるというので、堅いこといわず、こういう演技があっていいのだな、という感じ。

漫画の台詞を読み上げるうず君の声がやたらに良くて、感心した。

ぬっきー君も、とても存在感がありました。

8.ジャグリングドラゴン ヒョウガ 「落ちモノ」

ヒョウガ君の演技は今までに何度か見たことがあって、やはり今回もいつものテトリスと、ボールをレールに沿って転がす演目。秘密基地での公演ですが、別にてらいはなく、楽しく見られました。

筆者がジャグリングを始めた頃(2006年)は、自分で思いついたジャグリングを「一応は形にしようとする」人が多かったような気がする。いや、どうなんだろう。インスタグラムのように、その場で断片を公開するようなことはできず、発表の場が少ないものだから、人に見せる頃にはそれなりに形が出来上がっているというか。

黎明期から活躍するヒョウガ君はまさにその「形になったものをきちんと見せる」タイプで、懐かしさがこみ上げてきた。昔はインスピレーションが限られていた分、ひとつのテーマに集中できた、ということもあるかもしれない。

テトリスでシガーボックスをするネタは、やはりいつ見ても最後までぬかりのない演出に満足感を覚えます。

秘密基地という公演は、小劇場でやることに主眼があるだけで、あとはわりとなんでもよいのだな、と今まで持っていた「バリバリのアングラ」というイメージを修正することとなった。

初めに聞いたときは、なぜヒョウガ君が秘密基地に出るんだろう、と思ったのだけど、(いや、確かに他に類を見ないタイプのジャグリングなのだけど、アングラ感は全くないので…)合点がいきました。想像していたより明るいイベントだったんですね。勝手に暗いイベントだと思っていてごめんなさい。

大道芸やインターネット上のような、目に付きやすい土俵にある「ジャグリング」があって、その一方で、個人の力ではなかなか実現までこぎつけづらい、「小劇場での発表」という形態がある。秘密基地は、うまくいこうがいくまいが、とにかく実際に劇場で淡々とジャグリングを実践している。

主催の山下君によれば、今回の公演では、事前に自分から「ぜひ出たい」と申し出る人が多かったとのこと。やっぱり、それなりにちゃんとした定期的な発表場所があるというのは、ジャグラーにとって、とてもありがたいのですね。

さて、個人的には何が一番よかったかというと、彼らの「ちょっとゆるい雰囲気」です。小劇場でやっていて、別にその公演が失敗したから大変なことになる、というわけでもないので、みんな好き勝手に、プレッシャーを感じず、見せたいものを見せている感じが、とてもよかった。仕込みや片付けの最中の居心地もよかったです。(ダンスをみんなで練習したりなど)

日本のジャグリングシーンにおいて、貴重な「場」だと思います。

次回があれば、また観に行きたい。…進々堂にもまた行きたい。

(photo= Naoya Aoki)

関連リンク

・ジャグリングユニット・ピントクル HP/Twitter

プラレールジャグリングの可能性 by 中西みみず

text= Naoya Aoki

Photos= Haruki Tomisako (except for the first and the last one with credit)

2017/01/14 記事冒頭の冨迫さんに関する情報を訂正しました。

台湾で現代サーカスのフェスティバル 衛武營(えいぶえい)藝術祭

台湾初の本格的なサーカスフェス
台湾では初めてとなる本格的なサーカスフェスティバルが、台湾・高雄で10月28日より開催中。「サーカスプラットフォーム(馬戲平台)」と称して現代サーカスを紹介する3日間。

一ヶ月強続くアートフェスティバルの一環である。

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サーカスといっても、今までのいわゆる伝統的なサーカスに限らず、たとえば上の写真のように、けん玉が舞台で舞うことだってある。いまや多様化した「パフォーマンス」を紹介することが目論見でもある。
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ガラショー、ワークショップ、ジャグリングバトルなどイベントも盛りだくさん。
ゲストの国籍もヨーロッパ、アメリカ、アジアと幅広い。
PONTEが注目するジャグリングイベントもたくさん。
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このイベントは、衛武營文化センターと、星合(シンホー)有限公司が共同で主催しており、また政府からの援助も出ている。
主催者にインタビュー/台湾サーカスの現状
出演者の選定、イベントの運営を担う星合有限公司の陳星合(チェン・シンホー)、江侑倫(ジュン・ヨウルン)さんはこう語る。
「台湾にはサーカスアーティストが沢山いますが、内にこもりがちです。ただ練習をたくさんすればいいという考えも根強く、演技も固定観念に縛られて似通ったものが多い。まだまだ可能性を持ったアーティストはたくさんいます。サーカスそのものは発達してきているので、今度は台湾の中だけではなくて、外の世界へと視野を広げるきっかけになったらと思っています」
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(陳星合(チェン・シンホー)氏)
主催の二人はEJC(世界最大のジャグリングフェスティバル)やフランスのアビニョン芸術祭を始め、海外のフェスティバルにも頻繁に参加している。
特にヨーロッパから受けた影響は大きいという。
「ヨーロッパでは、演劇、音楽、ダンスと並んでサーカスが紹介されているのを目の当たりにしました。ジャグリングのフェスティバルに行っても、人々は活発に交流して、シーンを盛り上げています」
dsc09289 江侑倫(ジュン・ヨウルン)氏
フェスティバルの雰囲気
フェスティバルは入場無料で、一部のプログラムを除いて、全てが市民に解放されている。
参加者は老若男女幅広く、家族連れや年配の方々からジャグリング、サーカス好きの人々まで、全員が親しみやすい雰囲気の中で、おもいおもいに楽しんでいた。
ショーだけではなく、立ち並ぶ露店もお菓子や小物など様々なものを扱っていて、さながら夏祭りのようである。
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台湾に現代サーカスは根付くか?
主催者二人は、イベントそのものが無事開催できたことを喜ぶ反面、この現代サーカスの祭典が台湾のサーカス認知の向上とアーティストの育成など、今後につながっていくかどうか、万全の自信はないという。
確かに一朝一夕に状況を変えることは叶わないだろう。
だが自然にショーを楽しむ市民たちの姿を見て、また積極的にゲストたちと交流する台湾のアーティストを見て、徐々に、見えないところで新たなつながりの端緒が生まれているように見えたのは間違いない。
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真面目過ぎず、ゆるすぎず、適度なのんびり具合で人々がサーカスと付き合っているのを目の当たりにするにつけ、台湾での新たなサーカスの萌芽が十分に見えていると感ぜられた。
台湾サーカス/ジャグリング界の今後には大注目である。
PONTE編集部の一部もフェスティバルに参加中。
引き続きレポートをお届け予定。お楽しみに!
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サーカスを広める活動はまだまだ続きます!
衛武營藝術祭サーカスプラットフォーム公式サイト:http://waf.org.tw/en/activities/circusseries/
text by NAOYA AOKI
photos by SHUN ONOZAWA

最新号発売中

ジャグリングがつなげるもの 特別編 ジェイ・ギリガンに会いに。(5)

2016年7月4日発売『書くジャグリングの雑誌:PONTE』第12号では、編集長自らがニュージーランドへ行き取材をしてきた様子を掲載しました。その全編を毎週水曜日、8月3日まで全5回でWebに連載。

お楽しみください。

(2016年7月4日発売『書くジャグリングの雑誌:PONTE』第12号より転載)

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ジャグリングがつなげるもの 特別編 ジェイ・ギリガンに会いに。(5)

ガラショー本番

日が暮れ始めて、ガラショーの時間が来た。こちらに来るまでこんなことになるとは思っていなかったので、とりあえずたまたま持ってきていた、普段使っている演技の曲を渡して、急いで準備をした。衣装もなかったからあり合わせの中で一番まともに見えそうな服を着るしかなかった。
楽屋に置いてあったコリンが作ったピッツァを頬張って本番に備える。舞台裏にはガラショーに出る人たち全員が待機していた。自分の番を待っている間、日系ニュージーランド人のリサと仲良くなった。私と同年代の彼女は、生まれも育ちもずっとニュージーランドだが、両親が日本からいらした人たちであるので日本語も上手く話せる。会場では度々見かけていたし、インターネットでもいくつかビデオを観たことがあったものの、それまで一度も話さなかった。だが緊張感を共にしていたこともあってか、舞台裏では気がついたら会話が始まっていて、何日かぶりの日本語で気を紛らわすことができた。
若者2人の愉快なMCを交えて進むガラショー。コメディ調のもの、正統派ジャグリング、そしてマジックなど、ちょうどよいバランスで並んでいた。気がついたら自分の番が来ていた。始まってみればあっという間であった。演じ終わるとちょうど中休みの時間になったので、舞台から降りて観客席に混じってショーを観に行った。
大喝采で全ての演目が終わると、いよいよDJタイムが始まる。あたりはすっかり暗くなっていた。
もう一度舞台に上がって、出演者のみんなとビールを飲みながらガラショーのポスターにサインをすることになった。するとジェイが近づいてきて、「俺はナオヤの演技、たぶん一番好きだったよ」と言ってくれた。

たくさんの人が踊り狂っていた。ヒッピー風の人たちの騒ぎようは生半可ではない。あと一時間したら世界が終わるのか、というぐらい全力で踊っていた。DJの隣で虹色のシャツにベレー帽をかぶった白髪のおじいさんが、サックスを吹いてセッションをしている。手持ち花火を数人が持って、駆け回っている。遠巻きに見る人たちは、ショーの感想を語ったりしながら笑っている。私はビール片手に、時々踊りに加わったり、椅子に座って他の人と話したりしていた。コリンは私の演技を見て、すごく誇りに思った、と言ってくれた。とても幸せな気分だった。

 

ジャグリングオリンピック

3日目。クリスティーンが「あなたもったいないわよ」と、ことさらに低い声で言うので、一緒にウォータースライダーに行った。ベルギー人の青年アスターもついてきた。何度も何度も滑っていると、確かに気持ちが良かったし、もはや自分がどこで一体何をしているのかわからなくなってきた。途中から空が曇ってきて、滑り終える頃には寒くなってしまった。
スライダーから戻ると、ジャグリングオリンピックが始まっていた。ジャグリングやアクロバットを使ったゲームが行われるイベントだ。ジャグリング耐久戦に始まり、逆立ち耐久戦、バランス耐久戦、四つん這いの人に乗って進むヒューマンサーフィンレース、主催者のサムにフープを投げ入れる輪投げ競争など、面白いゲームが盛りだくさん。勝った人は、きちんとしたメダルがもらえる。準優勝の人も、(なぜか)フォーチュンクッキーを受け取ることができて、特典として中身をメガホンで読んでもらえる。
明るい芝生で、日照りが強い中延々と競技が続き、顔中真っ赤になってしまった。私は結局、何も勝てなかった。だが、前日新しいディアボロを買ったコリンとディアボロ・ロングパスに出ることを約束していたから、一緒にチームを組んでディアボロを飛ばしあった。正直なところ、コリンは上手いとは言い難かった。だがゲームを終えて、がははは、と笑いながら肩を思い切り抱いてきて、一緒に出てくれてありがとう、と言ってくれたのは、何よりも嬉しいものであった。

 

ワークショップをする

3日目の予定がほぼ終わるころ、主催者のサムが声をかけてきた。
「ナオ、ガラショーに出てくれたから、これに加えてワークショップをやってくれれば入場料はタダにしてあげられるよ」
つまり他のアーティストたちと同じ扱いにしてもらえるということだ。願ってもない提案である。それで、ディアボロのワークショップをすることにした。
トビアスという20歳くらいの青年が、特に熱心に一緒にディアボロをやりたがってくれたので、オリンピックが終わるとすぐに場所を移動してワークショップを始めた。
「ニュージーランドにはそもそもディアボリストが少ないからさ」
とトビアスは笑った。初心者に教えることはあっても、同じレベルで交流する機会がなかなかないのだそうだ。クリスティーンもあとから来て、三人で技に挑戦したり面白いアイデアを見つけたりした。

あっという間に夕暮れになった。ワークショップを終えてクリスティーンが、「温水プールに行こうかな」と言った。やれやれ、またか。トビアスは、車の免許の制限があって、夜10時までしか運転ができないから、というので、残念そうな顔をしていたが、ハグをして、帰って行った。
私とクリスティーンは、すっかり日が暮れた後で、温水プールに向かった。ジェイがジャグリングをしたところだ。中に入ると、もうすっかり人はいなくなっていて、プールに入っているのは私たちの他に2人だけだった。照明も消されていて、吹き抜けの天井から夕陽のオレンジだけが降り注いでいた。
中にいた2人のほかのジャグラーが、もう間もなくクローズだぜ、と言った。係員が来て締め出されるまで、広々としたプールをゆらゆらと泳いだ。

 

終わりの風景

プールから上がると、人はすっかり減っていた。そして空にもうっすらと星が見え始めていた。これにはとても驚いたのだが、プールに行くまであんなににぎやかだったはずの会場には、もう数えられるほどしか参加者がいなかった。次の日が平日であることもあって、皆早めに帰ってしまったようだ。
ファイヤースペースも開放されていたが、ゆったりとファイヤーポイを回すフランス人以外は誰も火を灯しておらず、ただただ4、5人がぽつりぽつりとそれを眺めているだけであった。
本当に、静かだった。小さい頃に、大人が祭りの片付けをしている時に感じたような、穴の空いた茫洋感を思い出した。一瞬にして共同体のあった世界が「ただの場所」になるとき。とても静かで、寝そべると星が満天に見えた。すごく疲れていたので誰とも話す気力もなく、瓶ビールを飲みながら夜空を見ていた。
するとまたクリスティーンがほいほいとやって来て「なんだか、寂しいねえ」と、やっぱり低い声で言った。
本当はその後に2回目のレネゲードショーがあったのだけど、疲れ切っていたので、歯を磨いてテントに戻って、そのまま横になってしまった。

 

行って、帰って来る

次の日は何もなかった。テントをたたんで、荷物を車に詰めて、ただただ別れを告げる。皆はニュージーランドや、遠くてもオーストラリアに住んでいたりする人たちだから、またすぐにでも、という雰囲気でさよならを言う。私は、これから地球の赤道を越えて、日本へ帰る。頭の中で地球儀を想像する。でも皆に「また会おうね」と言われるたびに、地球の反対側へ帰るなどということも、車で1時間の家に帰るのも、それほど大差はないのかもしれない、と思い始めた。
行って、帰って来る。

フェスティバルのあと、ディーナと一緒に観光をした。彼女は車を運転しながら、矢継ぎ早に質問を浴びせかけてきた。それに一生懸命英語で答えながら、気がつくと私たちは丘の上に着いていた。「ニュージーランドに来たら、どうしても夕日が沈むのを見たいのよ」とディーナは言っていたのだ。それで、誰もいないところで、美味しいワインをすすりながら、海の向こうの水平線に沈んでゆく太陽を見守ることにした。

草原と、大きな海と、岩肌と、雲と、風。それ以外何もなかった。1時間ほど経って、じっとりと夕日が消えていく時、ああ、自分は地球にいる、ということがすごくよくわかったようだった。
「これ」に住んでいるんだ、私は、と思った。
いつも騒がしいディーナは、私から少し離れて、独りですごく静かに向こうを見ていた。■

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文・写真=青木直哉

ジャグリングがつなげるもの 特別編 ジェイ・ギリガンに会いに。(4)

2016年7月4日発売『書くジャグリングの雑誌:PONTE』第12号では、編集長自らがニュージーランドへ行き取材をしてきた様子を掲載しました。その全編を毎週水曜日、8月3日まで全5回でWebに連載。

お楽しみください。

(2016年7月4日発売『書くジャグリングの雑誌:PONTE』第12号より転載)

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ジャグリングがつなげるもの 特別編 ジェイ・ギリガンに会いに。(4)

レネゲードショー

レネゲードショー、というのは日本にない習慣である。欧米のジャグリングのフェスティバルには欠かせないイベントだ。夜10時、11時くらいから始まって、そのまま日付が変わるまでだらだらやっている。レネゲード用にセットされた舞台(といっても、照明が当たっているだけの空きスペースであることが多い)の前にみんなで集まる。集まった人の中から、我こそは、という人が舞台に入ってきて、なんでもいいので披露する。初日の夜、まず公式のイベントとして行われたのがこのレネゲードであった。
少数だが正統派のジャグリングをする人もいる。仰向けになった男の人の手で支えられながらヴァイオリンを弾く人もいる。母親にゲイであることを告白したときの話をする人もいる。MCが面白ければ面白いほど、大したことをしていなくても観客は大盛り上がりする。このフェスティバルのMCは、大柄で人のいい大道芸人のザックだった。日系ニュージーランド人のコウゾウと一緒に、オークランドの街角でバスキングをしているそうだ。
私も、酔った勢いに任せてディアボロの演技をした。実に、大盛り上がりだった。終わると、控えていた次のパフォーマーが愉快に話しかけてくる。その愉快な気分で、彼が調合した、ジンジャービールという汚い色の液体を勧めてきた。会場のみんなが「飲むな、飲むな!」と言う。私はすっかり酔っていて、それを勢いよく飲んでしまった。そのあと、口の中にずっと変な味が残り、なんだか気分が悪かった。

レネゲードショーが終わった後、私はガラショーに招待された。つまり、演じる方として。そういうわけで、次の日にミーティングをすることになった。

 

クリスティーンに会う

前日ファイアーセッションを経て遅くまで起きていたものの、不思議と目が早く覚めて、ミーティングが始まる時間までずいぶんあった。なのでフェスティバルらしいことをして過ごす。
コンベンションならではのワークショップの枠もこのフェスティバルにはある。それは各自がホワイトボードに書くだけで、その中から選んで好きに参加すればいい、という形態のものだ。別に文句を言われるわけでもないので途中から適当にぶらっと入ってもいい。正午になるまで、知り合ったクリスティーンとコンタクトポイのワークショップを受けたり、空いた芝生でディアボロを教えあったりしてぶらぶらした。
クリスティーンはオーストラリア出身の女の子である。見た目はむしろ日本人だ。彼女によれば、両親はマレーシアの中華系の家庭の生まれだという。だから一緒にいると、二人とも日本から来たのか、と尋ねられることが多々あった。というより、私はどこか東南アジアの人だと思われて、「日本から来たっていうのは君か」とクリスティーンが標的になった。
さて、正午になるとクリスティーンと別れて、昨日のレネゲードが行われた場所に向かった。なんということはなく、音楽を提出して、照明について説明して、それで終わった。実に簡単である。ミーティングが終わると、髪を濡らしたクリスティーンを見つけた。なにをしていたの、と聞いてみると、「ウォータースライダーが面白すぎて、もう今日だけで3回行っちゃった」ということである。その3回というのが、3本滑ったのではなくて、今日で3セッション目というような意味で、まず眠りから覚めてすぐに滑って、汗をかいたらまた滑って、ジャグリングに疲れたらまた滑る、というようなことをしていたそうである。呆れてしまった。朝から目覚まし代わりにウォータースライダーに行くクリスティーンは低い声で「あなたも次は一緒に行くべきよ」と言った。

 

プールのショー

ガラショーの前に、ジェイによるもうひとつのショーが行われた。「プールでやるらしいよ」と言われたので、私はてっきり「プールの辺り」でやるのだという風に解釈したのだが、実際に演技が行われたのは、本当に室内プールのへりであった。
会場にはフェスティバル参加者ではない一般の人も遊びに来ており、三々五々自由に遊泳していた。そこへジャグリング道具を持ってジェイがひょこひょこ現れて「どうもみなさん」と挨拶をして、ジャグリングをし始めたのだ。私はすっかり感心してしまった。ポカンとしている水着姿の人々が多い中、外からそのままの服装で入ってきた私は、なんだかすごく気分がいいのと、おかしいのとで、ゲラゲラ笑いながら演技を見ていた。もちろん全員が唖然としているのでもなく、面白がる人はとことん面白がって歓声をあげて盛り上がっていた。
そして、あらかた舞台上を暴れ終えて、そこら中に道具や毛糸や紙くずが散らばっている中、最後にきちんとプールの中に飛び込んでくれたジェイに、心から拍手を送った。

 

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文・写真=青木直哉

ジャグリングがつなげるもの 特別編 ジェイ・ギリガンに会いに。(3)

2016年7月4日発売『書くジャグリングの雑誌:PONTE』第12号では、編集長自らがニュージーランドへ行き取材をしてきた様子を掲載しました。その全編を毎週水曜日、8月3日まで全5回でWebに連載。

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(2016年7月4日発売『書くジャグリングの雑誌:PONTE』第12号より転載)

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ジャグリングがつなげるもの 特別編 ジェイ・ギリガンに会いに。(3)

芝生を抜ける風

身支度を整えるとジョーの青い車に乗り込んだ。農場を出て延々と走り続ける。だらだらと際限なく続く牧場、鉄道、森。牛が、羊が、馬が、いたるところに身体を横たえている。幅のある道路。乾いた日差し。間違いなくここは日本ではないなぁ、と気持ちが徐々に土地に対する他者としての実感に切り替わってくる。ニュージーランドに来ることを決めてからこちらに来るまでは、1週間しかなかったのだ。

一時間もしないうちに会場に着く。
プールとキャンプ場が一体となったレジャー施設だった。大部分が青々と茂った芝生で覆われている。早速テントを張ってやろう、と思って気がついたのだが、私の荷物はほとんどコリンのバンの中にあった。そしてコリンはそれを乗せたままどこかに行ってしまったし、いつこちらに着くんだかわからない。右往左往していると、ジョーが来て「もし昼寝でもしたいんなら私のテントを使いなさい」と相変わらず明るく言ってくれた。私はその言葉に甘えることにした。
ジョーのテントを張り終わると、唯一先に到着していた二人の青年たちクリスとマットが、昼食に誘ってきてくれた。会場には独立した建物の中にキッチンがあって、そこで何か食べよう、と言う。
キッチンの中を覗くと、流し台が6つついていて、冷蔵庫や電子レンジも完備、よく動く電気コンロもあった。共用の電気コンロというと、イタリア留学中に、10分間隔で勝手にブレーカーが落ちる(それと火力が全然出ない)ポンコツの記憶が鮮明であって、あまり信用できない。ビーフシチューを作るのに3時間くらいつきっきりで本を読みながら、がしゃんがしゃん落ちるブレーカーをその度に立って持ち上げに行ったのを思い出す。
二人はビニール袋に入ったレタスやトマトやツナ缶を出して、アーミーナイフを使って素材を切り、手早く手巻きサンドイッチを作ってくれた。巻くのに使ったパンは、少し厚めでぎっしりしていて、かみごたえがあって甘い。ベンチに座って食べ始めると、日差しが強くて、もうすでに日焼けをし始めていることを肌で感じ取る。出発した時の日本は、まだまだ冬の気候だった。
食べ終わってテントスペースに戻ると、他の参加者が少しずつ集まってきている。気温は22,3度ほどだ。日陰に入るとちょうどいい温度で、気持ちよい。前日の疲れがまだ取れていなかったので仮眠をとることにした。テントにもぐり、服をまくらにして、銀マットの上に横になる。周りの雨よけは張らず、蚊帳のような状態にして寝た。木立を抜ける風が中を通る。遠くの芝生でクラブパッシングをする声が不明瞭に耳に入ってくる。その様子をなんとなく想像しながら目を閉じると、私はもう一度、ああ、ニュージーランドに来たなぁ、と思った。

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ジェイの演技

夕方、車に相乗りさせてもらってフアパイへ行く。ジェイのショーを観るのだ。会場に入ると、ジェイは既にパフォーマンスの準備を進めていた。ぽっくりとした北欧風の天井照明が連なる、木を基調とした内装。気負いのないレストランだ。切り株のような椅子と背の高いテーブルがいくつもあって、お客としてガタイのいい、ヒゲの生えたおじさんばかり座っている。近所の人の集会所のような役割なんだろう。フェスティバルとは関係の無い人たちもたくさんいる。MacBookが舞台(と言ってもただ机を片付けただけのスペースであったが)に置いてあり、ボール、リング、クラブ、おなじみの道具が床に大量に並べてあった。ジェイはそこで、ゴールドの新型MacBookをいじっていた。見に来ている人の中には一般のお客さんも混じっている。そんな中、明らかに「いつも通り」ショーを始めようとしているジェイがいた。
私は前の方に座って、買ってきた炭酸ジュースを開けた。するとすぐにジェイが喋りだした。
「みなさんこんばんは。今年で僕は39歳になって、ジャグリングを30年続けていることになります。これから見せるショーは、『時間』に関するジャグリングのショーです。たぶんみなさんが見たことあるようなものとはだいぶ違うと思います。でも、気に入ってくれたら嬉しいです。では、よろしく」
するとまずジェイはカニエ・ウエストをかけて、リングをジャグリングしだす。「マニピュレーション」に重きが置かれた演技。時々、しつこいぐらいリングを「操っているだけ」のシーンもある。ただただパシパシと手から手へ渡らせるだけ。そして急に5枚のリングを空中にリズムよく一定時間放り投げたと思いきや、今度は3枚だけで変な振り付けをする。やっとジャグリングをしたかと思うと、またすぐに独特な振り付けをし始める。ジャグリング中にドロップをするとそれをカヴァーするために床にあった道具を拾って即興で高度な技を繰り出してみたり、壁に向かって投げつけたり、天井に思い切り当ててみたりする。
ひとつ流れを終えると、今度は話が入る。
「僕は小さい頃、おじいちゃんと一緒に湖に釣りに行くのが好きでした。でもその頃は生きた魚が針に引っかかる、ということが想像できなかった。釣りというのは、水面下に魚を持った人がいて、針が落ちてきたのを見ると引っ掛けてくれるんだと思っていたんですね。だから、魚が一匹も釣れない日は、架空の『魚人』にいわれのない怒りを向けていたものです。まぁとにかく、これが私の最初の”catch”に関する話です」
小噺が終わると、また別の道具を使ってジャグリングをしだす。この繰り返しであった。
ショーが終わったあとジェイに話しかけに行った。直接会うのは4年ぶりだ。奥さんのミルヤと、息子のシンドリくんにも挨拶をする。シンドリくんはほんの半年ほど前におぎゃあと生まれた、まだまだ小さな赤ん坊だ。(おぎゃあと言ったかは知らないけれど)騒音をがなり立てるショーの最中も泣き出すことはなかった。思い返してみれば1週間の滞在で、ただの一度も泣いたのを見る事はなかった。
ジェイが「コンニチワ」というと、シンドリくんはジェイを見た。私が「こんにちはシンドリくん」と言うと、今度はこちらを見た。ミルヤは、笑いながらまた「コンニチワ」と言った。すると手足をめいっぱい広げ、えい、えい、と空を突いたり蹴ったりしだした。私たち3人はじたばたするシンドリくんを見ていた。

 

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文・写真=青木直哉

ジャグリングがつなげるもの 特別編 ジェイ・ギリガンに会いに。(2)

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ジャグリングがつなげるもの 特別編 ジェイ・ギリガンに会いに。(2)

キャラバンわぁわぁ

車が大きな草原の前に着く。中に入る道には鉄条網で柵がしてある。どうも農場のようだ。「あっちの方に羊の目が見えるだろう」とコリンに言われて向こうを見ると、車のヘッドライトに照らされてビカビカと光る動物たちの眼がたくさんこちらを向いていた。ああそうか、羊だ、と思っていると、コリンは車から私たちを降ろして、大きなキャラバンの前に連れて行った。可愛らしいキャラバンが目に入った瞬間、隣にいたディーナがわぁわぁ、突如として大きな声で騒ぎ始めた。
日本を出発する時には、てっきりコリンの家で空き部屋を貸してもらえるのだと想像していた。だが実際には、農場にぽつんと停めてあるパステルグリーンのキャラバンの中で眠るとのことらしい。
鍵を開けて生活用に改良された車の中に入ると、ディーナの興奮は頂点に達する。「オーマイグッドネス!」と30回ぐらい立て続けに言った。6畳ほどのキャラバンの中は赤で統一されており、ダブルサイズのベッドが一番大きな位置を占める。天井から吊りさげられた照明はトルコランプのような華麗な装飾が施され、控えめな光を放っている。水道が付いた簡易キッチンの上には、小さくて華奢な手編みのかごの中に、淡くキャンドルが灯されていた。ベッドの隣に洋服ダンスがあり、観音開きの戸板に取り付けられた鏡は真ん中から割れて線が入っていたが、立派だった。車の中にしてはだいぶ快適である。「ここで寝袋を敷いて寝な」とコリンは脇の方の大きなベンチを指差した。私が「うん」と言って寝る支度をしはじめるのを見てから、あとはディーナの褒め言葉と抱擁の嵐をひたすらに笑顔で迎え、相槌を打っていた。
「見てよ、これ!」といちいち目に移るものを声に出して描写するディーナ。盲者用の副音声かと思うほど、360度すべてについての説明をし、「かわいすぎる!!」と言っていた。「じゃあ、明日の朝迎えに来るからな」と言って、二人は空港から数えて通算20回目のハグをして、コリンは車に乗って去って行った。そのあとのディーナはやっぱり興奮しっぱなしで、電気を消しても「すぐ終わるからね」と言ってアメリカの彼氏に電話をかけ、そわそわそわそわ、いつまでもキャラバンを褒めていた。
私は、星空、きれいだな、と思っていた。

 

会場ヘ向かう

朝起きると、外から二人の女性の元気な話し声がしていた。片方は間違いなくディーナだ。しばらく目を閉じたまま、うーん、あと一人は誰だろう、と思い、勢い良く寝袋をはねのけて外に出て、挨拶をした。
モウニング、と言ったもう一人の女性は、ジョーといった。黒髪で、水色のシャツを着て、チノパンツを履いている。ディーナと同世代だろうか。快活ではあるが、ディーナよりは穏やかで話しやすい。イギリス生まれで、わざとらしいくらい見事なブリティッシュ英語を話す(いや、そりゃそうなのだが)。ジョーは大型のバンで来ていて、荷台にはキャンプ道具と、たくさんの段ボールが積まれていた。中にはちらほらジャグリング道具も見える。ニュージーランドに移住してきて「フリング」という名前のジャグリングショップを経営していたそうだ。もう個人輸入がインターネットで簡単にできる時代になってしまったので、今は店をたたみ、こうしてフェスティバルがある度に出張販売をするだけだという。もうじきこの商売もやめるそうだ。
朝ごはんのコーヒーとサラダせんべい(バンに唯一あった食料がそれだった)を食べていると、ニワトリがたくさんいる囲いの方から、メガネをかけたアジア人風の女性がこちらに歩いてきた。大きなサラダボウルにいっぱいの野菜を食べているディーナと私が、そちらを振り向く。「卵が採れたわよ」といって、プラスチックのタッパーに入れた新鮮な卵を見せてくれた。その女性は、中国の広州出身だという。話していると、これは今朝採れたての卵でとても美味しいからぜひ食べてみろ、と笑顔で勧められた。何もかけずにそのまま”Drink”しろ、と言う。断れるような雰囲気ではなかった。ディーナが、いかに産みたての卵がおいしいかをすでに力説し始めている。卵を受け取るとまだ温かく、ニワトリのお腹の下に手をさし入れているような気分だった。ディーナと広州の人はニコニコして見ている。しばらく躊躇したが、少し顔を強張らせて生卵をひざで割り、中身を飲みこむ。黄身は確かにクリーミーで、スーパーに売っているようなものとは全く違った。濃厚で、「生命のぬくもり」とはこのことか、というほどほかほかであった。
確かに美味しいといえば美味しいのだけど、なんだか、いったいこれは清潔なんだろうか、ということを心配し始めると急に恐ろしくなってしまった。ひとつ食べるくらいなら大丈夫かな、と自分を納得させて、にこにこ「美味しいよ」と伝えると、もう一個食べる? と訊かれた。エヘヘ、と笑い、すぐさまノォと言った。
食べ終わった卵の殻には、泥と羽毛がたくさんついていた。

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文・写真=青木直哉

ジャグリングがつなげるもの 特別編 ジェイ・ギリガンに会いに。(1)

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ジャグリングがつなげるもの 特別編 ジェイ・ギリガンに会いに。(1)

ニュージーランドに行くことを決める

その時私は白いシャツの上に黒いセーターを着ていて、平日の昼に暇な人たち(しわくちゃなおじいさんとか、読書がいかにも好きそうなおばさんとか)に囲まれて、近所の市立図書館の長机で茂木健一郎とジャズミュージシャン山下洋輔の対談本を読んでいた。そして急に、「そうだ、俺はなんか面白いことをしよう」と思い立った。
心を決めたら別に理由もなく机を立って外を歩きはじめて、じゃあ行こうか行くまいか迷っていたニュージーランドに旅に出よう、と決心した。その日家に帰ったら、まず海外に行くことを実家の両親に伝えてその場でパソコンを開いてチケットを取った。
出発は一週間後。
国について何も知らなかった。どれくらい時間がかかるかも知らなかった。一体いまどんな気候なのかも、果たしてビザはいるのかどうかも何も調べなかった。

出発の日の夜8時に、チャイナ・エアの飛行機は、ニュージーランドに向けて出発した。

 

コリンおじさん

ニュージーランドは二つの島からなっている。
その中でも北にある島の真ん中に位置する”オークランド”が最終目的地だった。
オークランド空港では5時間以上待つことになっていた。あらかじめ連絡をしておいたコリンおじさんに、町まで車で乗せて行ってもらうためだ。夜まで迎えに来られないというので、別に急ぎでもないから彼を待つことにしたのだ。コリンとはFacebookで知り合っただけで、面識はない。
空港に着いたのは17時。ずいぶん大仰な検疫があって、ロビーに出たのは18時過ぎだった。
2万円をニュージーランドドルに両替する。受付をしてくれたのは肌の浅黒いおじさんだ。マオリ族の血を引くのかもしれないし、東南アジア系なのかもしれない。そのお金を持ってマクドナルドに行ってお腹をみたしてから、残りの時間を過ごすために入国口前の黒いベンチに座った。
ずいぶんな数の風景を黙って眺めることになった。とんでもない金切声をあげながら半狂乱で待ち人に駆け寄るおばさん、ブロンドの若い女性を静かに微笑して迎える、刺青だらけの兄ちゃん、頑張ってみんなが映るように棒でセルフィーを撮る日本人の卒業旅行の団体。

コリンは青いクラブ3本を持って後ろから現れた。
「元気か」
と言って、ニンマリ笑いながら覆うように私の肩を抱いてきた。ずんぐりしていて、強そうだった。髪の毛はほとんど剃ってある。下はベージュ色の半ズボン、上は釣りに行く時に着るようなジャケットを羽織っている。アゴには白い無精ヒゲが生えており、シワといい、その手の大きさといい、大胆さと年齢の重ね方の重厚さが黙っていても伝わってきた。暇だし俺たちにはコーヒーが必要だし、カフェに行こう、というので、空港の二階でコーヒーをご馳走になった。
彼は軍人として海を渡ったこともあり、70年代には日本も訪れたそうだ。ラグビーが大好きで昔はプレイもしたし、今でも観戦はよくするという。キウイ(ニュージーランドの人は自分たちのことをこう呼ぶ)の誇り、オールブラックスが踊るマオリ族の舞踊「ハカ」や、原住民の文化、言語についても終始笑顔で語ってくれた。

 

ディーナとコリンと街へ向かう

もう一人私と同じように車に乗る、ディーナという女性がいた。ハワイ生まれだが今はアメリカに住む50代だという。もう時計は23時過ぎを指していたが、またさらに2時間ほど待つことになった。合計7時間も空港のロビーにいたことになる。
コリンと一緒にまたマクドナルドのポテトを食べていると、ブロンドの女性が出国ロビーの中に入ってきた。
コリンはニヤリとしてその人と抱き合い、積もる話を意気揚々とし始めた。これがディーナのようだ。それまで不完全な英語話者(私だ)とずっと話していたこともあって、ストレートに英語を話せるのが嬉しいようにも見える。足早に歩き始め、車に乗って、コリンはエンジンをかけた。

もう深夜であるが、交通量はそれなりに多い。空港から高速道路を抜けて、オークランドの街を眼下に臨みつつ郊外の町フアパイへと向かう。彼はフアパイでピッツェリア(ピザ屋)を経営している。その店の向かいのレストランで、フェスティバル前夜のジェイ・ギリガンによるショーも行われる。まずは初日の宿泊場所へと向かった。

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文・写真=青木直哉

【PONTEレポート】2016年3月30日(水) ナコタ・ラランス ネイティブアメリカンフープダンス・ワークショップ (JP)

取材・文・写真=青木直哉

2016年3月30日、シルク・ドゥ・ソレイユの演目TOTEMでプリンシパルダンサーを務めていたこともある、 ナコタ・ラランスさんのワークショップに行ってきました。フープダンサーAYUMIさんに声をかけていただいたのがきっかけ。
AYUMIさんはフープ東京の代表で、以前PONTEでも取材したことがあります。

「ネイティブアメリカンフープダンス」?
ナコタ・ラランスさんは、ネイティブアメリカンフープダンスの名手。
といっても、それってなんだろう、というのが正直なところでした。
実際にナコタさんによるデモを見ると、技巧をバリバリ見せるようなタイプではなく、フープとともに、大地を踏みしめながら舞う、という印象の踊り。
ナコタ・ラランスさんの父スティーブ氏に話を聞くと。
スティーブ氏
「ネイティブアメリカンの伝統で、葦を編んだ輪を使う踊りがあった。
もともとは「癒し」をもたらす儀式だった。各々の部族で、似たような伝統がある。
モダンなネイティブアメリカンフープダンスはここ20年ほどで発達したもので、それまでは踊りそのものが忘れられていたんだよ」

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(下)赤いチョッキがスティーブ氏。ワークショップ後のトークセッションで。
つまり、最近になって「再発見された文化」だとも言える。
アリゾナ州フェニックスにあるハード博物館(1929~)では、1990年から毎年フープダンスの大会が開かれているのだという。
開始当初は20人だった競技参加者も、昨年は86人が参加したと言います。
今は、スティーブさんとナコタさん、子供達にも熱心に教えているようです。

 

ナコタさんのバックグラウンドとワークショップの中身
ナコタさんは、4歳から今までずっとフープダンスをしている。(現在26歳)
マイケル・ジャクソンのビデオに触発され
スティーブ氏「ビデオが擦り切れるほど見ていたね」)
ヒップホップやブレイキンも習得し、今ではそれらを組み合わせたスタイルで踊っています。
 ワークショップでは、ネイティブアメリカンフープの基本的な動作をレクチャー。
1本に始まり、2本、3本とだんだん数を増やしていき、最後には「世界」の形を作るところまで。
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これが「世界」
多くの形にはモチーフがあり、(ワシ、水蛇、馬、人生など…)それについてスティーブ氏は
「フープは、人々、四季、自然といった世界のあらゆる美しいものを象徴している」
とのこと。
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これは水蛇(=ワニ)

スライドショーには JavaScript が必要です。

参加者は女性のフーパーが圧倒的に多かったです。

他に東北の郷土芸能「鹿踊り(シシオドリ)」の踊り手、アニメーターの方、スピナー、ジャグラーが何人か、総勢20名でした。
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アニメーター 山本美佳さんとラランス親子
特にアニメーターの山本さんは、ナコタさんの大ファンだということで、彼をモチーフにした圧巻の絵を描いて持ち込んでいました。

 

21世紀のパフォーミングアーツ
伝統から出発しつつも、様々なものを取り入れていくその姿勢は、ジャグリングと似ているところがあるな、と思いました。
しかしネイティブアメリカンフープダンスには、「精神性」が色濃く残っている。
聞いた話だと、大会に出るにはネイティブアメリカンの血を何かしらの形で引いていなければならないのだとか。
もちろん見かけ上のパフォーマンスとしてこのダンスを行うことは誰にも可能で、ナコタさん達もまた、自分たちの踊りを我々日本人と共有することを楽しんでいましたが、一方で「ネイティブアメリカンのアイデンティティー」としてのフープダンスの姿も垣間見えました。


【お知らせ】

AYUMIさんが特集されたPONTEです。
ハード博物館公式サイト http://heard.org
Pueblo of Pojoaque Youth Hoop Dancers(ラランス親子も教えている)